HeAvEn
06 -悠久に馳せる想い-番外編

――助けられた。

咄嗟に感じたのはそれ。

――助けなければ。

これが次いで浮かんだもの。
共に生きて行けると思った。
死んでいった彼らの分まで。
それなのに、私の腕をすり抜けていってしまった命。
せめて、この命だけでも助けなければ、と。

「我、九つの尾を受け継ぐ者。汝を我唯一の使いと認め、契約の証に『悠希』の名を授ける」

金司の身体を纏ったのは赤色の結界。
やがてその身体を染める赤が音もなく消え去る。







鬼樹は地面に伏した。
その身体は自身から流れ出た赤に染まる。
弾む呼吸を落ち着かせる間もなく、佐倉はその身体を抱えられた。

「蔵馬…!?」
「怪我人の文句を聞いている時間はない」

突き放すような言葉を吐き、彼は床を蹴る。
執拗に視界が揺れるのは彼が走る振動が伝わっているからではなく、失血によるものだろう。
それ以上咎めることなど出来ず、佐倉は彼の肩に担がれたまま後ろ向きに流れていく世界にぼんやりと視線を向けた。
蔵馬の足元を付かず離れず、二匹が走ってくるのが見える。
本来ならば後七匹の姿が足りないのだが…。

「無事でよかった」

その言葉はあまりにも素直に零れ落ちた。
恐らく蔵馬の耳にも届いているだろうが、彼は何も言わない。
真っ直ぐに唯一の橋へと足を走らせている。
彼の白い着衣が赤く染まってきていることに気づき、佐倉は僅かに身体を離す。
しかし、それ以上を制したのは他でもない蔵馬の腕。
彼は担ぐようにして腰にまわしていたその腕の力を強める。

「血で汚れる」
「今更だ」

蔵馬は短く答え、僅かに開いていた距離さえも縮めてしまう。
どうなのだろうとは思いながらも佐倉はその口を噤む。
彼と出会ってからの時間は短いが、それでもその性格の一部を知るには十分だ。
良く言えば自分に正直、悪く言えば頑固な部分もすでに理解している。

「………絳華石にはならないのか」
「…あぁ。私の妖気があまりに弱すぎる所為だろう。
絳華石は身体を離れた瞬間から形を維持するかのように集う。やがて凝固したそれが石となるのだ。
集う力を担うのは一重に我が妖力。弱ければ凝固しないも無理はない」

そう言って佐倉は蔵馬の走ってきた道に目を向ける。
点々とまるでその跡を残すかのように一定感覚で落ちている赤。
丸く纏まり合ってはいるものの、硬く集うことはない。
それは、彼女が弱っている証拠でもあった。

「速度をあげるぞ。落ちるな」

事実に気づいた蔵馬は一刻も早く彼女に治療を施さなければと足を速める。







どれくらい走っただろうか。
漸く見えてきた唯一の脱出経路である石橋に、蔵馬はその目を細める。
ここまで来れば時間的には十分。
そう思って、ほんの少しばかり自身の緊張を解いた。
視界を赤が掠めたのはその時。

「朱司!」

すぐ背後での爆音に、蔵馬は驚愕にその表情を染め上げる。
同時に耳を掠める佐倉の声。
それが呼んだのは紛れもなく彼女の半身らであった。
彼女はすぐにでも駆けつけようと、砂塵が収まらぬ方を睨むように見つめる。

「朱司…っ」
「佐倉!時間がない!」

降りようとする彼女に声をかけるが、佐倉の耳には届いていない。
一心に後方を見て声を荒らげる彼女を無理やりに押し止めて駆けるなど出来るはずもなかった。

「佐倉様。先に進みましょう」
「金司!?何を…」
「それが朱司の願いです。わからぬほど我らの主は未熟ではない筈」

そうですね、と確認するように見上げる自分と同じ金の双眸に、佐倉は言葉を詰まらせた。
噛み締めた歯が唇を傷つけようが、彼女の知った所ではない。

―『代価となりし媒介は我らの生』…最期の一瞬までお傍に在れた事、誇りに思います。―

彼女の背を押すように脳内に響いた最期の声。
それを最後に途絶えた声に、佐倉は自身の頭を垂らす。

「蔵馬様、お早く」

金司の声に従うように、項垂れる彼女を一瞥して蔵馬はその足の動きを再開させた。
その場所の高さを表すかのような風の唸りが鼓膜を震わせる。








「お頭!」

橋の中ほどで、そんな声が耳に届く。
蔵馬は聞き慣れたそれに自身の視線をそちらに向けた。
見れば集めた部下の約半数がそこに集っている。
それぞれに傷を負ってはいるものの、逃げ延びた者は少なくはない。
思ったよりも頭数が残ったことに、彼は内心関心の声を漏らしていた。
残りは約5メートル。
最後の爆発まで一分を切っていたが、十分な残り時間だった。
すでに窓と言う窓から今までの爆発の名残を吐き出す建物。
後方に聳えるそれを睨むように見上げていた佐倉の視界を金色が埋めつくす。
あまりにも見慣れすぎたその色は初め彼女がそれを理解するのを拒んだ。

「佐倉!?」

突然自身の肩から降りようと身体を捻る彼女。
あまりにも突発的な行動に、蔵馬はその腕の力を緩めてしまう。
半ば崩れるかのようにその場に下りた佐倉は地面に付した金の狐の傍らに膝を付いた。




――助けられた。

咄嗟に感じたのはそれ。

――助けなければ。

これが次いで浮かんだもの。




従うように佐倉はその身体を抱き上げる。
金司の声は酷く小さく、けれども確かに佐倉に届いた。

―『―――言霊を成就させよ』―

最後の一句が紡がれるなり、ぐたりと身体の力を抜いた金司ごと佐倉の身体が赤い結界を纏う。
俯く佐倉の身体を貫くように、伸びてきた爪。
真っ直ぐに向かってくるそれに蔵馬が構えを見せる。
しかし、それは彼女らに近づく間もなく赤の結界によって阻まれた。

「…行こう」

佐倉は力の入らぬ金司の肉体を持ち上げ、その場を立ち上がる。
感情のままにとどまるかと思われたが、彼女の目は死んではいなかった。
先に走り出す佐倉の小さな背中を追って蔵馬も走る。
彼女らが向こう側に渡りきって、それから数秒後。
建物は一際大きな爆発音と共に谷へと崩れ落ちていった。




地面に金司の身体を横たえると、佐倉は自身の傷口に指を這わせる。
いつものように固まらない血をそこに塗り、その指を今度は土の上に下ろした。
時間をかけぬように素早く何度か腕を動かして地面の上に奇怪な模様を完成させる。

「契約印か」

傍らでそれを見下ろしていた蔵馬がそう紡ぐ。
見覚えのあるそれは、まさに彼が口にしたものだった。
その印の上に金司の身体を移動させると、佐倉は静かに己の目を閉ざす。

「我、九つの尾を受け継ぐ者。汝を我唯一の使いと認め、契約の証に『悠希』の名を授ける」

06.02.22