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07 -悠久に馳せる想い-番外編

摘み取った花にそっと唇を落とし、佐倉はその目を閉じた。
耳に届く風の音が身体を強張らせる原因だと気づかずにはいられない。
瞼の裏側に浮かんだ情景に、彼女はぎゅっと眉を顰める。

「佐倉様…」

僅かな足音と共に届いてきた声に佐倉は目を開いた。
足に擦り寄る自身の使い魔に視線を落とし、そっと笑みを浮かべる。
その笑みはどこまでも哀しげだった。

「皆、幸せでした」

未だに硝煙の匂いの香る地。
断崖絶壁の向こうに見えていた場所は、今となっては瓦礫に埋め尽くされた廃墟だ。

「私の選択は間違っていたのかと…正直、不安に思う」

佐倉はそう小さく呟く。
後悔というものは後から押し寄せるものなのだと、彼女は身をもって感じていた。

「お前がそう思えば、あいつらも浮かばれんな」
「…蔵馬…」

ザッと地を踏みしめて隣に立った彼を見上げ、佐倉はその名を紡ぐ。
彼はその鋭利な目に佐倉を映し、そして崖の向こうの鬼樹の元アジトへと視線を向ける。
吹く風が二人の間を通り抜けていく。

「佐倉。お前に出来ることは、あいつらの繋いだ生をお前自身が繋ぐことだ。その身が朽ちる一瞬まで」
「…そうだな。そうだと………思うしかない」

佐倉はそう言って自身の細い指で持っていた花を崖へと放り投げる。
風に乗った一輪の花は、その暗い奈落に飲み込まれた。

「…顔色が優れないな。まだ調子が戻らないのか?」

不意に彼女へと視線を向けた蔵馬がそう問いかける。
彼の視線を受け、佐倉は苦笑を浮かべた。

「どうやら、この音に酷く弱くなったらしい…情けないことだ」
「…音…?」

彼女の言葉に蔵馬はその耳に音を捉える。
奈落から吹き上げる風がうなり声を上げているのがその耳に届いた。
そして、彼女の言わんとすることを理解する。

「この音と共に彼らの命は失われた。忘れることなど出来ないだろう」

強張る身体を動かし、彼女はくるりと踵を返す。
この場所を忘れるつもりはないが、囚われるつもりもない。
彼女の背中がそう語っていた。
その背を追いつつ蔵馬はふと後方を振り向く。
彼女を守り、そして死んでいった使い魔たちを思い浮かべる。

「守ってくれた事…感謝する。これからは俺がその役を引き受けよう」

誰に聞かせるでもないその言葉は、悠希にのみ届いていた。







頭が認めた存在だからと、初めの頃はそれを理由に佐倉は受け入れられた。
完全にその実力を認められたのは、次第に盗賊団に溶け込んでいった彼女がとある計画に参加した時。
まずその結界力に驚かされ、次いで頭である蔵馬との連携に目を奪われた。
無論、二人は何の相談もなくそれをやってのけたのである。
足並みの揃った動きというのは、互いの実力がほぼ同じでなければ成り立たないものだ。
見た限り蔵馬は佐倉を庇うでもなくいつも通りの動きだった。
と、言うことは彼女が蔵馬と同じだけの力を持っているということになる。
その答えが導き出され、本拠地に噂が広がった頃から、彼女に対する陰口は途絶えた。

「元々、俺が実力の伴わない奴を部下まで連れて助けに行くはずがない」

部下の動きをしっかりと理解していた蔵馬は今頃になってそんなことを言う。
傍らで最近のものを整理していた佐倉は溜め息を漏らす。
陰口やら直接的な攻撃が苦痛だと思ったことはなかったが、一言くらいあってもよかっただろうと思う。

「おかげで後継者争いは出来ないと嘆いていたな」
「…は?」
「お前と俺の子なら当然のことだ」
「………もうすでに決定事項なのか、それは…」

テーブルの上についた腕に頬を乗せ、蔵馬はくっと口角を持ち上げて笑う。
酷く絵になる光景ではあるが、佐倉にとってはすでに見慣れたものでもあった。

「嫌なのか?」
「それ以前の問題だと気づくべきだ」

呆れた風に溜め息を一つ零し、付き合いきれんとばかりに佐倉は本棚へと向かう。
腕を伸ばして上の棚から引き出したファイルを指でめくる。
目当ての部分に挟み込んでは、またそのファイルを本棚へと戻した。
そんなことを繰り返す彼女だが、背後に近づいてきている気配に気づかないはずもない。
しかし、彼女は特にこれといった行動は起こさなかった。

「逃げないのは珍しいな」
「私からすれば仕事の邪魔だと言いたいがな」

捕らえられた腕から新たに取ったばかりだったファイルを拾われ、後ろのテーブルの上へと置かれる。
そうして背後から抱きすくめられれば、それ以上何を出来るはずもない。

「出逢ってから半年か…意外と短いな」
「私にもそう感じた。あの部屋の中で過ごしていた時には…一日はあまりに長すぎた」

すでに諦めているのか、これといった抵抗も見せずに佐倉は蔵馬に背中を預ける。
意外にも蔵馬は触れ合う事を好むのだと知ったのはつい最近の事。
容姿通りに冷めているわけではないらしい。

「お前に逢えてよかった」
「それは私の台詞だろう、蔵馬?」

口元に笑みを浮かべて、佐倉は彼の腕の中で身体を反転させた。
向き合うようにして視線を絡めれば、金の双眸に真剣な表情を浮かべた蔵馬が映る。

「信じたくはないけれど…今はこの運命とやらに感謝したい。そう思うよ」

口調を柔らかく変化させ、佐倉はふわりと微笑んだ。
普段その端整すぎる顔立ちの所為でどこか冷たく見える彼女だが、こういった雰囲気を纏う時はそれが一変する。
自分しか見ることの出来ない表情に、蔵馬は笑みを深めた。

「…子供はもう少し落ち着いてからだな」
「?」
「佐倉の子ならすぐにでも欲しい所だが…今はまだお前だけで十分だ」

そう言って蔵馬は佐倉の額に唇を落とす。
少しばかり身を捩ったのは、恐らくまだ慣れないからなのだろう。
それでも逃げないあたりはマシになったというものだ。
初めの頃ならば、こんな風に触れようものならば即座に距離をとっていたのだから。

「愛の囁きは必要か?」
「軽い言葉ならば、寧ろ遠慮したい」
「………佐倉の照れた表情を見れるとはな…中々貴重な体験だ」
「…蔵馬は思ったより性質が悪い…」

佐倉の言葉に蔵馬は喉でクククと笑う。
堪えた様なその笑いは誰に対してのものだろうか。

「佐倉様!」

そんな二人を邪魔する意図など持たず、悠希が声を上げる。
二人からそう離れていない場所に腰を落とし、首を傾げるようにして見上げる悠希。
佐倉は蔵馬の腕を解くと悠希の元に歩いた。

「何かあった?」
「また佐倉様の名を狙う者が来ております」
「…ご苦労なこと」

呆れたように溜め息を吐き出し、佐倉は蔵馬を振り向いた。
何を言わずとも彼は理解しているといった風に頷く。

「少し出てくる」
「怪我はするなよ」

追うように背中にかかった声に首だけを振り向かせ、その口元に笑みを刻む。

「…了解した」

バタンと扉が閉じられると同時に彼女はそう言い残す。
彼女の背中を見送った悠希はその首を蔵馬の方へと向ける。

「佐倉様は随分元気になられました」
「そのようだな」
「一重に蔵馬様のおかげでしょう。感謝いたします」

そう言うと悠希は深々と頭を垂れる。
揺れる金の毛並みが佐倉を思い出させるあたり、悠希が彼女の尾から生まれたのだと納得出来た。

「お前はどこまで佐倉についてくる?」
「佐倉様が必要としなくなるその一瞬までお仕えします。この名を授かった時より命を賭す覚悟もあります」
「そうか。俺が守れない時は…お前がいるから安心できるな」

佐倉自身が使い魔としてだけではなく、傍に在る事を望んだ者として、蔵馬は悠希を認めている。
彼の考え方は悠希にとって酷く新鮮なものであった。
使い魔といえば主人の為に道具として生きると言う事が魔界での一般的な考え方だからだろう。
道具ではなく、志を同じくする者として扱う彼の考えは素直に嬉しいものだった。

「佐倉様が心を許されるのも納得ですね」
「何か言ったか?」
「いえ、何も。では私は失礼します」

悠希はそう言って佐倉の後を追うように部屋を出て行った。






燦々と降り注ぐ太陽の下、佐倉はそれを見上げて目を細める。
逃げるようにして自身の膝を抱いた日々はまだそう遠いものではない。
それでも、いずれは薄れ行く記憶なのだろうと思う。
陽から逃れ、陰を求めたあの頃とは違う。
まだ少しばかり抵抗もあるけれど…それも近いうちになくなるのだろう。
一人見上げた三日月も、共に見つめられる人がいるから。

「幸せ、とはこう言うことを言うんだろうな…」

小さく紡いで微笑み、佐倉は再び足を動かした。
面倒なことはさっさと終わらせて、一秒でも早く彼の元へと戻るために。

06.03.02