HeAvEn
03 -悠久に馳せる想い-番外編

我ら、主の為に繋ぐ者
己が主と認めし者に誓う
主に害なすその全てから
己の主を守護し
肉体の定めし限界までその生を繋ぐ
我らが主の能力『結界』に於いて
その護りを宿す事を此処に定める
代価となりし媒介は我らの生
それを以ってして、言霊を成就させよ





銀髪の妖狐と別れてから、すでに三度目の月が空から闇を照らす。
それを見上げながら佐倉は壁伝いに腰を落とした。

「黄司」

壁に刻まれた爪痕の一つを指でなぞる。

鳶司えんし

平行して並ぶそれは、まるでカウントダウンのように。

碧司へきし

確かめるように、愛おしむように。
なぞる指先と共に紡がれた名は震える程に小さかった。

唇を僅かに動かし、佐倉はその名を紡いでいく。
その合間に思い出されるのは、彼らが最期に唱えていった言霊。
鋭く尖った爪で石壁に付けられた傷の数は三つ。
それが八つになった時こそ、彼との再会の時だった。
それを見つめていた佐倉の耳に近づいてくる足音が届く。
石床と分厚い靴底がぶつかる音はどんどん大きくなっていき、やがて鉄の扉の向こうでピタリと止む。
その後に届いてきたのはガチャガチャと言う金属同士の擦れ合う音。
やがて重々しい開錠音と共に、佐倉の鼻腔を鉄臭いそれが刺激した。

「ほらよ。お仲間だぜ?」

分厚い唇がその口角を持ち上げる。
部屋の中に放り込まれたそれは石の床に赤い筋を残して横たわった。

「今部下が血眼であの妖狐を捜しているからなぁ…その内にアイツの首も一緒に持ってきてやろう」
「生憎、貴様のような愚図に捕まる愚か者ではない。無駄骨ご苦労な事だな」

彼女を監禁し始めてから何度となく聞いてきたはずの挑発染みた言葉。
だが、男は予想以上に単純な頭の構造を持っているらしい。
酷く耳に残る音で扉を閉め、足音荒くその場を去っていく。
部下に向かって「とっとと探し出せ!!」と怒号を飛ばしているのが佐倉の良すぎる聴覚に届いた。

「本当に…ご苦労な事だ」

物言わぬ躯を抱き上げ、片手を例の壁へと添える。
そして分厚い石の壁にその爪を深く食い込ませ、消して消えることのない罪悪感のようにそこに傷跡を刻む。

「口約に囚われるな、蔵馬。お前まで私の犠牲になる必要など微塵もない」

小さな窓から見下ろした世界は酷く暗く、そして狭かった。







「お頭」

窓に座り込んで視線を閉ざしていた蔵馬の耳に、部下の声が届く。
彼はその目を薄く開き、声の主の方を向いた。

「A班が戻ってきました。全員怪我もなく」
「そうか。仲間は?」
「今回でおよそ20。合計で50ほどはすでに揃っています」

この三日、蔵馬は仲間を集めることだけに集中していた。
佐倉の様子が気にならないといえば多いに嘘になる。
だが、彼女に告げた「あの場所から連れ出す」と言う約束を守る為にはそれを忘れる事が必要だった。
彼女と出逢った時点の仲間の総数が7人。
極々少数だった盗賊団が、三日の間に50まで膨れ上がった。

『1人、2人以上仲間を確保して来い。それが出来ないなら盗賊を止めろ』

そう7人に指示を出したのが彼女と別れて数時間後。
蔵馬の意図を理解した部下は、自ら仲間集めに努めた。

「実力は?」
「お頭や俺達に勝るものは居ませんけど…それなりに強者を選りすぐったつもりです」
「助かった」

蔵馬はそう答えると不意に視線を窓の外へと向ける。
夜空に浮かんだ月は、何に邪魔されるでもなく自身を美しく魅せていた。

「…期限の一週間までに、どの程度まで膨らませばいいんです?」
「………少なくとも100。それ以下なら、お前と同等の奴が20はいるな」

視線を寄越す事なく淡々とそう語る蔵馬に男は深々と溜め息を落す。
残り四日で倍まで増やせと言うのはかなり無茶苦茶だ。
到底出来る事ではないと蔵馬に見切りをつける事は簡単。
だが、そんな考えが一瞬でも浮かばないのは…彼のカリスマか、その実力故の事だろう。

「ま、努力はしてみますけどね…どうなっても知りませんから」

そう言って彼は闇色の髪を揺らして部屋から出て行った。
それを横目で見送ると、蔵馬は再び目を閉ざす。
裏の世界で生きている者の活動時間が夜なのだから、仲間集めも自然と夜に行われる。
先程の彼もすでに本拠地を去ったのか、建物の中はガランとしていた。
物音一つしない空間で、蔵馬は思考の波に飲まれる。

「深入りは身を滅ぼす。わかっていて止められない心もあるものだな…」

自身の感情の焦りに、他の誰でもなく彼が驚いていた。
今まで冷酷無慈悲な鉄の仮面を以ってその名を徐々に魔界に広めていた蔵馬。
そんな彼が、荒行と呼べるような作戦と共にたった一人の妖狐を助けようとしていた。

「………佐倉」

あの時に彼女から受け取った小さな絳華石は、それに紐を通して胸元へと押し込んである。
彼女に思考を奪われるのは、彼女が妖狐故の事だけではないと彼は自覚していた。

「お前に自由を与えれば、その答えは手に入りそうだな」

今、彼女も同じ月を見上げているのだろうか。
闇にポツリと浮かんだそれを見上げ、蔵馬はふと目を細めた。







手放しで信じられる相手を持つなど、あってはならないことだったのに。
網膜に焼き付いた姿は決して色褪せる事なく、寧ろ己の内にしっかりと居座っているのを感じる。
腕の中の同胞が朱の焔に包まれていくのを眼前で捉えつつ、佐倉はそれを見送った。
やがて残ったのは心の中にある小さくは無い焦燥感。

「一人ずつ殺されていくのを黙認しながら、未だに自由を望むなど…勝手すぎるのだろうな」

前に向かって、手の平が天井を仰ぐように手を差し出す。
そこに生まれた、熱くない焔が佐倉の顔にその朱を走らせた。
ふとした風に揺れる焔は不安定で、まるで自身を写しているようだと思う。

「私一人で逃げても殺され、逃げなくとも死は決して遠のいたりはしない。

それならば出来る限り傍にいたいと思うのを…お前達は許してはくれないだろう」

例えその身一つでも、自分達の命を懸けてでも。
生き延びて欲しいと願う彼ら。
本当ならばその意志に答えたいと思うのだが、身体が離れる事を拒否した。
どの道失う命ならば、出来る限り近い場所で、この焔によって送ってやりたいと願う。

「逃げる事も、挑むことも出来ない臆病な私を許して欲しいとは言わない」

狐火をその手の中に握りこむかのように、ギュッと指を折り込む。
掻き消えた焔の名残に手を重ね、佐倉は目を開いた。

「ただ、彼を信じる事は…許して欲しい。どうあっても疑うことなど出来ないようだ」

懺悔にも似た彼女の紡いだ声は、肌を刺す空気に溶け込んだ。

06.02.05