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02 -悠久に馳せる想い-番外編
深い深い闇。
決して逃げる事ができぬように私を繋ぐ鎖がジャラリと音を立てた。
見上げた視線に自らの金糸の髪と―――
白い月を背負った銀髪の妖狐の姿が映った。
「お前が佐倉か?」
温かいとは言えない声で妖狐はそう問う。
――この狐も結局は同じか…。
己の名の高さを知らないはずもなく、目の前に立つ妖狐がそれを求めているのだと悟る。
そんな事を頭の片隅で考え、私は黙って彼から視線を外した。
ジャラリ、ジャラリと動く鎖が忌々しい。
妖狐が私の視界の外で動く気配に気づいた。
「…お前が佐倉だな」
急に顎を捕らえられたかと思うと、次には視界一杯に妖狐の姿が映りこむ。
確信の声と共に見つめるその眼を、佐倉は綺麗だ、と素直に思えた。
氷のように冷たい視線は、それでもその中に僅かな炎を宿している。
「俺と来い」
「…私に構うな。死にたくなければ、な」
「ほぉ…中々いい声じゃないか」
クッと口の端を持ち上げる妖狐の手から逃れ、私は顔の自由を取り戻す。
決して強いとは言えない力での束縛は何故か優しさを感じた。
「佐倉。お前は自由を望まないか?」
「望まない筈がない。わかっているのだろう?妖狐」
「…ああ。俺の名は蔵馬だ。まぁ、今は駆け出しの盗賊だな」
「新米の盗賊がどうこう出来るようなお宝じゃない。大人しく引き下がった方が身のためだ」
蔵馬と言う妖狐から視線を逸らし、私はゆっくりと扉に近づき、そこにもたれかかる。
分厚い石の向こうには何十と言う妖怪がうごめいているのだろう。
たかが妖怪の女一人のためによくもまぁ、ここまでするものだ。
「望みは絳華石か。こんな物ならばくれてやるからさっさと帰れ」
そう言って私は自らの指を銜えた。
鋭く尖る犬歯で指の腹を傷つけ、それを放す。
やがて滴り落ちた血は赤い石となり、無機質な床に乾いた音を立てて転がった。
それを拾い上げ、蔵馬の元へと放り投げる。
「消えろ。私はここから出ることは出来ない」
「孤高の九尾ともあろう者がすでに諦めているのか?」
蔵馬はピンッと絳華石を真上に放ち、弧を描いて落ちてきたそれをまた手中に納める。
「…気づいていたのか」
「生憎鼻は悪くない。同じ狐の仲間に気づかないわけもないだろう」
「ならば尚の事…。頼むから逃げてくれ」
私とて同じ狐の仲間が無惨に殺される所を見たくはない。
ここに忍び込めるほどの力を持った蔵馬ならば、きっと後に魔界に名を残せるだろう。
こんな所で死なせるにはあまりに惜しすぎる。
「そこまでにしてもらおうか、女狐が…」
突如部屋の中に響く声に、佐倉は肩を震わせた。
俺を庇うかのように前に立つ彼女の足元では、細い足に似合わぬ太い鎖が音を立てる。
そんな彼女に、この部屋に入ってきた妖怪が舐めるような視線を向ける。
次に、その視線は俺の方へと向いた。
「俺に殺されるのはお前の大事な使い魔共だけでは飽き足らんか」
「…………」
男が細い目を更に愉快そうに細め、佐倉へと視線を向けた。
周囲の空気が彼女の怒りに同調するかのように肌を刺すものへと変わる。
ザワッと背筋が逆立ちそうなそれに、男は足を引いて口元を引きつらせた。
「フ、フン!貴様ら諸共この部屋に閉じ込めてくれるわ!!
覚えておけ、佐倉!!貴様が俺に抗う度に使い魔が一匹ずつ減っていくんだぞ!!」
負け犬の遠吠えの如く捨て台詞を吐きながら男は扉を勢いよく閉ざす。
忍び込んだ俺がこの部屋から出られないとでも思っているのか…?
短い溜め息の後に佐倉の方を見れば、彼女は閉ざされた扉を睨むようにしてその場に佇んでいた。
彼女の金色の眼には怒りと共に悲哀も入り混じっている。
俺は強く握り締めた拳から赤い血が伝うのを黙って見届ける。
静かに固体化したそれは石床に弾けてカランと乾いた音を立てた。
「何故そこまで思いつめる?」
意図せずそう紡げば、彼女はまだ居たのかと言う風な視線を俺に向けた。
戸惑いは一瞬で消え去り、後に残るのは冷たい眼差し。
「消えろ。私はここから出るつもりはない」
弱く、けれども強く。
彼女はそう言った。
「お前の答えを聞けば、この場を去ろう」
そう言った俺の言葉に佐倉は顔を歪ませる。
部屋の中は薄暗く、蝋燭の炎の届かぬ所には闇が落ちている。
そんな部屋の中でも、彼女の美しさは翳りを見せては居なかった。
薄く開いた口唇に自然と視線が引き寄せられる。
「私の分身とも言える尾達を人質に取られている。彼らは逃げろと言うが、彼らを置いて行くつもりはない」
「…残りは何匹だ?」
「………八。だが、アイツの機嫌を損ねた。…また一人減るだろう」
「九尾の使い魔は優秀と聞く。逃げられないのか?」
その言葉に佐倉は彷徨わせた視線を俺の方へと投げかける。
睨むような鋭い眼差しの中に確かな殺気を感じた。
佐倉の眼に、まるで武者震いのように背筋が粟立つ。
「逃げるわけがないだろうっ。そんな弱い絆ならば今この場に留まったりはしない!」
ガッと脇にあった壁に拳をぶつける佐倉。
握り締めた爪と壁が彼女の手を傷つけ、赤い血を流した。
ポタリと床に広がるはずもなく、血は宙で固形となって乾いた音を立てる。
「すでに黄司は言霊を唱え始めた。…もう何もかも遅すぎる」
「言霊?」
「…これ以上話す事は何もない。………去れ」
彼女はその態度でそれを示すように、クルリと背を向ける。
視線の先にあるのは冷たい鉄の扉。
俺は、その向こうに居るあの男を睨みつけているのだと感じた。
同時に、佐倉に関しては知らないことが多すぎるのだと気づく。
それでも俺を見るその眼には映るのは殺気だけではなかった。
魔界と言う広い世界で、同胞に出逢う機会など極めて低い。
仲間意識があるわけではないが、その低い確率の中で出逢えた同胞を裏切れるほど、俺も佐倉も愚かではなかった。
「使い魔と共にならばお前はここを去るんだな?」
確認のように問う言葉に佐倉は顔を振り向かせる。
そして、苦笑に似た笑みを浮かべて答えた。
「そうだな。彼らさえ無事ならばこの場に留まる理由などない」
「なら、俺が手を貸す」
その言葉が意外だったのか、佐倉は軽く目を見開いて俺を凝視する。
「無理だ」
「何故」
「どれだけの妖怪を相手にすることになるのか…蔵馬はわかっていない。私の事は忘れろ」
それがお前の為だ、と彼女は言う。
佐倉の言葉が尤もだと言う事は、自分でもよくわかっている。
ここへ辿り着くまでの間に見た妖怪の数から予想するに、その数は100を超すかもしれない。
「佐倉」
強く名を呼べば、佐倉はゆっくりと顔を上げる。
金の眼に映った自分は酷く真剣な表情で彼女を見つめていた。
「俺が信じられるか?」
「…何を馬鹿なことを…」
「信じられるか?」
二度重ねた言葉に、佐倉は軽く顔を顰める。
そして、悩むように視線を一度落としたあと、再び俺の方へと視線を投げた。
「…信じてもいいのか?」
「ああ。必ずお前をここから連れ出す」
「………わかった。蔵馬、お前を信じよう」
迷いのない頷きと共に佐倉はそう答えた。
その言葉に俺は自身の口角を持ち上げる。
出逢って間もない妖怪を信じるなど愚かな事だとは思うが…信じると言う彼女の言葉を何故か嬉しく感じた。
恐らく、彼女自身も俺と同じように自身の心情に驚いているだろう。
「一週間後、またここへ来る」
「何かしておく事はあるのか?」
佐倉の問いかけに俺はふと口を噤む。
自身の頭の中で組み立てた計画を順に思い浮かべていった。
そして、ゆっくりと首を横に振った。
「…無事に。ただそれだけだ」
自然と伸びた手が彼女の頬を撫でる。
その行動には自分でも驚きを隠せなかったが、表情に出すほど馬鹿でもなかった。
佐倉は、戸惑うよりも寧ろ俺の手を受け止めている様子に見える。
「ありがとう」
言葉と共に彼女はその表情に笑みを浮かべる。
不意打ちの微笑みに、動悸が忙しなくなるのを感じずにはいられなかった。
「………もう行け」
急かす様に俺の肩を押した佐倉の手に逆らう事なく、唯一の窓へと足を運んでいく。
そして俺は振り向く事なく窓から飛び出した。
佐倉は振り向いて視線を絡める事を望まない、と感じたから。
06.01.18