悠久に馳せる想い
知っていると思っていた自分が、実は何も知らなかったのかもしれない。
はじめまして、から新しく始まる関係だと思っていた。
それなのに…彼女は、久しぶりね、と微笑んだ。
「最近はずっと来てくれなかったでしょう?秀一が振られてしまったのかと思っていたの」
温かいカップを差し出し、彼女はそう言って本当に優しく微笑んでくれた。
記憶は消したはずだった。
それなのに、彼女は覚えてくれていたらしい。
どうしようもなく、嬉しかった。
無意識に消したくないと思った結果なのか、言葉では説明できない何かが関わった結果なのか。
どちらなのかは分からないけれど、分からなくてもいいと思った。
人間と言う儚くて弱い生き物は、実はとても強かだった。
「この辺でちょっと別行動をしてもいいか?」
不意に、蔵馬がそう声を上げた。
一緒に居た幽助と桑原が彼を振り向く。
「何だよ、もう帰んのか?」
付き合い悪いな、と呟く桑原。
無事に高校生になった彼と会うのは久しぶりだから、そんな反応も仕方ないのだろう。
しかし、蔵馬は小さく笑うだけだ。
「ごめん。待ち合わせてる人が居るんだ。もうすぐ来ると思うよ」
そう言ったタイミングを見計らったように、前から歩いてくる女性。
亜麻色の髪を揺らし、颯爽とヒールを打ち鳴らすその様は、自然と視線を奪っていく。
蔵馬に気付いていたのだろう。
彼女は穏やかに微笑み、彼の前まで歩いてきた。
「待たせた?」
「丁度いいタイミングだよ」
笑ってそう答えると、蔵馬は紅の背中に手を沿え、彼らの前に出す。
「紅!お前、帰ってたのかよ!!」
「久しぶりね」
二人に向かってそう微笑みかける。
自分たちの覚えている姿と相違ない紅が、そこにいた。
「蔵馬から急に消えたって聞いて心配してたんだぜ?」
これは桑原だ。
確かに、彼とはもう随分と顔を合わせていないような気がする。
幽助とは魔界トーナメントの最後まで一緒だったので、そんな気はしないけれど。
「いつ帰ってきたんだ?」
「幽助に付き合って最後まで残っていたのよ」
「紅はトーナメントの会場に結界を張っていたんだ。途中放棄は出来ないからな」
蔵馬の説明に、ほー、と感心したような声を零す桑原。
魔界に詳しくない彼でも、トーナメントで結界を求められることの意味深さは理解できているようだ。
「しかし…俺は、てっきり向こうで暮らすもんだと思ってたぜ」
桑原の言葉に、紅と蔵馬が揃って沈黙する。
その不思議な光景に、言った本人が首を傾げる羽目になった。
「何だよ、二人して固まって」
幽助に救いを求めてみるも、彼自身もよくわからない様子。
さぁ、と肩を竦められてしまった以上、答えを知っているのは二人だけだ。
「…まぁ、そのつもりだったのよ」
私は、と言う部分を強調する彼女に、蔵馬は苦笑を浮かべた。
「俺が説得したんだ。紅とは離れたくないけど、母さんを残していくことは出来ないから」
「まぁ、志保利さんのことを考えれば仕方がないけれど」
「南野秀一としての生を全うするまでは、紅にも付き合ってもらうってことで折り合いがついたんだ」
妖狐の長い寿命から考えれば、人間の寿命などほんの一瞬だ。
これが耐えられないほどに彼に対する情が薄いはずもなく、そこを妥協点にして紅は頷いた。
暫く人間として生きることになるけれど、期限があるのだと思えば、それも悪くはない。
どの道、彼から離れて生きていられるかと問われれば、頷けないところなのだから。
「結局、落ち着くところに落ち着いたってことだな」
幽助はそう言って屈託なく笑った。
「暁斗は向こうに残ってるのか?」
「躯が気に入ったみたいで、向こうで鍛えてもらうって」
あの紅から離れようとしなかった暁斗が…。
なにやら感慨深いものがあり、幽助と桑原が口を噤んだ。
「でも、すぐに来ると思うわ。魔界からこっちに来るのはとても簡単になったから」
そう言うと、紅はふと顔を上げる。
彼女と同様に、蔵馬も反応を見せた。
ふっと柔らかい笑みを浮かべ、彼女は蔵馬と同じ方を見る。
「噂をすれば、ね」
「母さん!」
そんな声と共に、向こうから走り寄ってくる人影。
つられる様にそちらを見た幽助と桑原が唖然と口を開いている。
そこには、予想通りに暁斗が居たのだが、その姿は思っていたものとは少し違う。
暁斗は、自分達の腰ほどしかない身長の少年だった。
しかし、今ここにいる彼は…見た目が12程度で、身長も随分と伸びている。
幽助の肩まで到達しようとしているのだから、その成長は明らかだ。
紅は驚いている様子がないことから、既にこの姿を知っているのだろう。
「帰ってきた!」
「ええ、お帰りなさい。躯はどうしている?」
「元気だったよ。色々と教えてもらったし、また教えてもらうんだ。一週間忙しいって言うからさ、こっちに来たんだ」
すっかり懐いてしまっているようだ。
嬉しそうに語る暁斗の頭を撫でる。
もうすぐ、こんな風に頭を撫でることも出来なくなってしまうだろう。
そう思うと、少し寂しいものがあった。
「…妖怪ってこんなに成長するもんなのか?」
「俺に聞くなよ!」
「お前も妖怪だろうが!」
「俺は魔族だ、魔族!」
ひそひそと話す幽助たちの傍らで、暁斗が楽しげに報告している。
「妖狐は少年期に入ると成長が早いんだ」
丁度、その時期にさしかかったのだと蔵馬が説明してくれた。
なるほど、と頷く二人は、改めて暁斗を見る。
この分だと、自分達が追い抜かれるのは時間の問題ではないだろうか。
「っつーか……こいつ、めちゃくちゃ男前に成長するんじゃねぇか?」
成長途中でも十分にそう感じさせる暁斗に、桑原がそう呟いた。
彼の言葉に、蔵馬が口角を持ち上げた。
「そりゃ、俺と紅の息子だからな」
ならないはずがない、と言う絶対的な確信を秘めた表情だ。
08.06.02