悠久に馳せる想い

人間の感覚として考えると、長い時が流れた。
周囲の家の人々も、既に世代交代したのか、知らない顔もちらほらと見える。
風の通り道となる小高い丘の上の閑静な住宅街の中に、二人の住居はあった。
しかし…ここが彼らの住居なのは、今日までのこと。
持っていくべき荷物など、何もない。
数十年前から左の薬指に輝く指輪一つで十分だ。

「お母さん」

くいっと服の裾を引かれ、紅は視線を落とした。
腰ほどまでの身長の少女の頭には、ふわふわした銀色の毛並みの獣の耳がちょこんと佇んでいる。

「準備できたよ」
「そう。じゃあ、先にお父さん…蔵馬の所に行ってなさい」

そう言って優しく少女の背中を押してやる。
彼女はパタパタと走り出し、玄関の方に居る父の元へと走った。
その背中を見送り、がらんとした家の中を見回す。
そして、ふと床に残されていた写真を拾い上げた。
色あせたそこに映る四人の姿。
妖怪も人間も関係なく、仲間だった彼らの写真。
既に、彼らがこの頃と同じように並ぶことはない。
妖怪にとっては短い時間だったとしても、人間にはとても長い時間だ。
何かこみ上げるものがあり、紅は静かに目を細める。
そして、指先の力を抜いて、その写真を手放した。
ひらり、と柔らかい線を描き、それが床のフローリングへと落ちる。

「紅!飛影が来たから、少し急いでくれ」
「すぐに行くわ!」

玄関に居る彼に声が届くようにと、少し声を大きくする。
リビングとして使っていた部屋のドアを閉じ、そちらへと歩き出す。
玄関が見える位置まで来ると、あの頃と変わらぬ姿の飛影が見えて、自然と表情を緩めた。









「…フン。何故貴様らを迎えに来てやらねばならんのだ」
「それは、君が躯の右腕だからだよ。この先三年の統治者には逆らえないだろう?」

にこりと笑顔を浮かべた蔵馬の言葉に、飛影はチッと舌を打つ。
第一回の魔界トーナメントの少し前からの付き合いで、かれこれ数十年。
飛影が躯の右腕になっているのは、自他共に認めるところだった。
本人はすべてを素直に認めているわけではないようだけれど。

「躯が紅を委員会の魔界統治者の第二位として求めてる。そんな彼女に君を遣わせるのは、何もおかしくはないさ」

確かにそうなのだが、わざわざ迎えだけに自分を使われたという事実が嫌なのだろう。
それがわかっているであろう蔵馬は、ニコニコと笑顔を浮かべている。
飛影はそんな彼の表情に、嫌そうに眉を顰めた。

「飛影ちゃん」

くん、と服の裾を引かれ、彼は顔を下に向けた。
予想通り、そこには蔵馬の二人目の子供が見上げている。
父親譲りの銀髪の中から覗く耳が、妖狐であると教えていた。

「そう呼ぶなと何度言えばわかるんだ、チビ」
「飛影ちゃんも十分小さいよ」
「………蔵馬のガキじゃなければ、貴様なんぞ一瞬で殺してやるものを…っ」

そう言いつつも、目の前で笑顔を浮かべる男の報復が恐ろしくて、実行には移せない。
人間の姿になっているからこの程度だが、本性である妖狐に戻った時のえげつなさと言ったら言葉では言い表せない。
物騒だな、なんて笑っているところで止めておかなければならないことは、飛影もよくよく理解していた。

「悪いわね、飛影」

わざわざ来てもらって。
そう声をかけながら近づいてきた紅に、少女が駆け寄っていく。
お母さん、と笑顔を浮かべ、その足に縋りついた。
紅はひょいと彼女を抱き上げ、飛影の前に立つ。

「前の統治者の時に魔界の扉が少し開きにくくなったから、面倒だったのよ。
躯があなたを遣わせてくれて助かったわ」
「そう思うならさっさと用意を済ませろ。躯が待っている」

彼はそう言うとくるりと踵を返す。
それを追う様に蔵馬が歩き出した。
ザァ、と風が吹くように彼の容姿が変化し、妖狐蔵馬へと成り代わる。
南野秀一としての生活は、もう終わり。
人間である彼を求めるものは、人間界には居なくなった。
これからは、紅との約束通り魔界で妖狐として生きていく。

「お母さん。変化しないの?」
「ええ、もう必要ないわ。ずっと妖狐のままでいていいの」

娘と目線をあわせ、紅はそう言った。
彼女の言葉の背景には、今までの生活が大きく関係している。
人間としての生活を強いられていた彼女は、周囲の目を考え、幼い頃からずっと変化と言う形で過ごしてきた。
本来の年齢はまだまだ幼子だが、人間として変化していた姿はすでに成人している。
そんなギャップのある生活をさせなければならなかったことは、紅にとっては苦痛だった。
しかし、彼女は母親である彼女の心境と、周囲の状況を正しく理解するよく出来た娘。
今まで文句のひとつも言わず、きちんと人間と妖怪を使い分けて生きてきた。

「魔界って久しぶり」
「そうね。暁斗にも声をかけてあるから、きっと待っているわ」
「お兄ちゃん!」

嬉しそうに耳や尾をぴょこんと揺らし、喜ぶ娘の姿。
紅はそっと目を細めた。












早くしろ、と急かす飛影の向こうに見えた、魔界への門。
ぴょん、と紅の腕から飛び降りた娘は、トトト、と軽やかに飛影の元へ駆け寄った。
先ほどのようにあしらわれるとわかっているのに、彼女は飛影に懐いている。
暁斗の時といい、この子といい…自分たちの子供は、随分と怖いもの知らずだ。
飛影も彼女の反応には慣れつつあるのか、裾を掴む手を邪険にせず、そのまま門を潜った。

「未練は?」
「寂しさがないと言えば嘘になるか。だが…お前が一緒なら、どこでも構わない」
「ふふ…私もよ。向こうに着いたら、暫くは忙しくなるわ」
「躯の補佐だからな」

そう言って口元を緩め、彼は紅の腰を引き寄せた。
瞼に唇を掠めさせれば、彼女は穏やかに微笑む。

「ねぇ、知っている?」
「何のことだ?」
「暁斗からの手紙に書いてあったんだけど…盗賊団の皆が、集まりだしているんですって」

珍しくも驚いたように目を見開いた彼に、紅はふふ、と笑う。
彼らが何を思って集まりだしているのか―――それは、考えるまでもないことだ。
魔界のならず者だった彼らにとって、妖狐蔵馬という頭の存在は大きかった。
彼が戻るという噂を聞き、ひとり、またひとりと集まってきているのだろう。

「あなたも忙しくなりそうね」
「…そうだな。だが、ついてきてくれるだろう?」
「もちろん」


指先を絡め、魔界の門を潜る。
身体を探るようなざわりとした感覚の後、一陣の風が頬をなぞった。
生ぬるいそれは、ここ何年も感じていなかったもの。
目を開いた先に見えた、懐かしい景色。







長い長い時の中で、沢山の命と出会った。
いくつもの出会い、いくつもの別れ。
それらを体験し、積み重ねていく中で、ただひとつ変わらなかったもの。
これからもずっと…気の遠くなる未来へと続く道。
しかし、それを共に歩むものが居る。
悠久の時を越え、なおもこの手を握り締めてくれる、愛おしい者。

帰ってきたこの場所で、二人の生は続いていく。

The End.
2005.06.18~2008.06.03