悠久に馳せる想い
「悠希。繋いで」
「はい」
いつの間にか紅の肩に現れた悠希が、頭を垂れた。
数秒間目を閉ざして頭を俯けていた悠希は、突然パッと目を見開いた。
その眼が金色に輝き、周囲の空気が変化する。
暁斗はその不思議な感覚にゾクリと背筋を振るわせた。
「九尾の里は、侵入者には優しくないわ。生きて出たければ、私の元を離れないで」
紅の声に、彼は「はい」と小さく頷く。
そこで、周囲の風景が一変している事に気づいた。
先ほど眼前に見えていた巨木が、一際存在感を放つ不思議な空間。
独特の神々しさを兼ね備えたそれに、この木が神の領域のものであると悟った。
「お帰り、佐倉」
ザワリと空気が揺れ、そんな声が聞こえる。
驚いて肩を震わせた暁斗とは対照的に、紅は冷静な視線を投げた。
いつの間にか、大樹に凭れかかる様にしてそこにいた出雲。
「帰って来たつもりはないわ。ここは通過点よ」
「…なるほど。確かに…俺とお前の、通過点だ。ここから先に進む事ができるのは、どちらか一方のみ」
その言葉は、ここで決着をつけると物語るものだった。
出雲の身体は、闇色の文様によりその大部分を支配されている。
その闇は、前に出会った時よりも目に見えて増えていた。
紅はそれを見て、僅かに目を伏せる。
そして、少し後ろに居る暁斗に目配せした。
その視線の意味を悟り、彼が一歩前へと踏み出す。
自然と彼の姿を視界に捉える形となった出雲は、軽く眉間に皺を寄せた。
「久しぶりですね、出雲」
「暁斗…か。解放してやったと言うのに舞い戻ってくるとは…馬鹿な男だ」
冷めた、と言うよりは、冷酷さを滲ませた目が彼を射抜く。
取り付く島もないように見えるが、暁斗は引く様子は見せない。
説得できたなら―――紅は彼とそう約束した。
故に、彼女は何も言わずその様子を見つめている。
だが、出雲が動けば自分も動けるように、その警戒だけは解いていない。
「出雲。もうこれ以上は逃げないで下さい。この人はあなたを救おうとしています」
「…逃げる?俺が逃げてるって言うのか?」
「ええ。あなたは彼女から逃げているんですよ。信じられないと耳を塞ぎ、その可能性を潰してしまっている」
言葉一つごとに、その場の空気が張り詰めていくのを感じる。
殺気が強まっているといった方が正しいだろうか。
紅は、やはり無理だったか…と心中で呟く。
暁斗に出雲の説得は無理だろうと思っていた。
しかし、出来るかも知れないと言う可能性に賭けたのだ。
この二人には、不思議な繋がりを感じたから。
「―――…そうか。結局はお前も…俺より、こいつを選ぶのか…。闇よりも光を選ぶんだな!」
「あなたがこれ以上九尾の掟に囚われる必要はないんです!あなたが自分を偽って生きていく必要はないんですよ!」
「…黙れっ!お前に何が分かる!今更戻れるわけがないだろう!?」
「出雲、それでも私はあなたと―――」
出雲はそれ以上の言葉を許さなかった。
一瞬の内に練り上げられた妖気の塊が、真正面から暁斗を襲う。
暁斗を庇う事も出来た紅だが、あえて動かなかった。
少し離れた所まで吹き飛ばされた彼は、そのまま木の幹に背中をぶつけて意識を失った。
「―――…頑な、ね」
チラリと彼の様子を一瞥した紅がそう呟く。
一撃で意識を失うその弱さに軽く呆れつつ、まぁ頑張った方かと納得する。
一言目で攻撃を食らったわけではないのだから、そのことを考えると成績優秀だろう。
結果としては、何の意味も持たなかったけれど。
「私の声も、同胞の声も届かない。そして…暁斗の声も、あなたには届かない。―――もう手段はないわ」
「……、…初めから何度も言っているだろう。生き残るのは二人の内の一人だけ」
「そうね。でも、一つだけ確認しておきたい事ができたわ。―――九尾の掟とは、何のこと?」
眉を顰めつつ問いかける彼女。
出雲は彼女を嘲るように声を上げた。
「微温湯で生きたお前には縁のない掟だ。闇華と絳華の華持ちは、絳華が優先される。
絳華は闇華の犠牲の上に成り立っている事など…お前は知らないだろ?」
「犠牲の上に…?闇華により肉体が蝕まれる事を言っているの?」
「もっと大昔の話さ。九尾の誇りであるこの大樹のお告げ―――お前も、その存在を聞いたことくらいはあるだろう」
「…お告げの存在は知っている。けれど、どうしてそれを暁斗が知っているの」
彼は妖狐に違いはないが、九尾ではない。
怪訝そうに表情をゆがめる彼女に対し、出雲も似たような表情を浮かべていた。
何故、事実を知っている出雲がそんな表情を見せるのか。
その時の紅には、出雲の表情の変化を悟る事ができなかった。
「暁斗は九尾とは無関係の筈よ。お告げの事は同胞外には他言無用。それを破って…暁斗に話したというの?」
「黙れ!暁斗、暁斗と…お前がその名を紡ぐな!」
そう声を荒らげるのと同時に、出雲から発せられた妖気の余波が紅を襲う。
殺気とは少し違うけれど、それは感情の波だった。
「…出雲…?」
「俺はお前が憎い。そうやって何も知らず、生きてきたお前が。これからの未来を約束されたお前が!
何より…“暁斗”を手に入れ、愛する事を許されているお前がズタズタに殺してやりたいほどに憎い!」
紅の脳内に、同じ『暁斗』の名を持つ二人の妖狐の姿が浮かぶ。
困惑する思考の中、徐々にそれが形となりつつあった。
まさか、と言う想いが先に立つけれど、それを否定できない。
これが正しいのだとすると、先ほど暁斗が言っていた意味が理解できるのだ。
「出雲…あなたは、まさか―――」
紅の記憶を根底から覆す事だ。
しかし、一度浮かんでしまった仮定が見る見るうちに膨らみ、最早収拾が付かない所まで大きく成長した。
出雲は紅が言わんとする事を理解したのか、口角を持ち上げて表情を歪める。
「何も知らなかったお前に教えてやるよ。俺達が生れ落ちたあの日、媼狐は大樹のお告げを聞いた。
『遠い未来、同じ生を受けた闇が光を飲み込むだろう。光を求むならば、闇を封印せよ』」
「それは知っているわ。けれど、媼狐は同じ生を受けた私とあなた…そのどちらも殺したりはしなかった」
「同じ“生”にはもう一つの意味がある」
紅の動きが止まったのを見て、出雲は愉快そうに目を細めた。
今、彼女の脳内で仮定が確定された事実に変化した筈だ。
「俺はあんたの影として、あんたと同じ“性”を封印された。あんたの為に女を奪われ、男として育てられたんだよ」
08.04.08