悠久に馳せる想い
角を曲がったのと同時に、トン、と足に小さな衝撃が走る。
前方不注意だったわけではないが、何かがぶつかった。
何だろうと思って見下ろすと、そこに居たのは子供。
「子供…?」
「あんた誰?」
呟いた紅に答えたわけではないようだ。
訝しげな表情を浮かべ、子供が紅を見上げる。
「…佐倉よ。あなたは?」
「修羅」
「修羅、ね。見たところ…覚えのある奴とよく似ているわ」
親戚か何かだろう。
そう判断するには十分な程に、その妖怪とよく似ている。
妖気の質までそっくりなのだから、血の繋がりは否めない所だろう。
「修羅、こんな所に―――佐倉」
黄泉に限って聞こえていなかったと言う事はなかろう。
わざとらしくも感じたが、あえてそこを追求したりはしない。
修羅と名乗った子供は、彼の登場を確認するなりそちらへと駆け出した。
「ねぇ、パパ。あいつは誰?」
「佐倉だ。さっき名乗っていただろう」
「違うよ。名前じゃなくて…」
それが聞きたいわけではない、と頬を膨らませる修羅。
そんな彼の頭をポンと撫でると、黄泉は先に行くようにと伝える。
「今日は一緒に特訓してくれる約束でしょ?」
「佐倉と話がある。話が終わればすぐに行くから、いつものトレーニングを始めていなさい」
そう言われ、渋々ながらも修羅は廊下を走っていく。
彼が居なくなった所で、紅は黄泉を見た。
「息子が居るとは思わなかったわ」
「あぁ、教えていなかった。修羅は培養液の中で育ったからな」
「…何だか、とても含みのある言葉に聞こえるんだけれど…気のせいかしら」
スッと目を細める紅に、黄泉はククッと笑った。
彼女の考えている事を理解しているのだろう。
「母親が気になるか?」
「さぁ?あなたがそれを気にするようにと話を持っていっているように聞こえるわ」
「それもそうだな」
そう言うと、黄泉が手を伸ばした。
ゆっくりとした動作で紅の金色の髪を指先に絡ませる。
魔界で過ごすにあたり、彼女は殆どの時間を佐倉の姿で過ごしている。
長い金髪が彼の指へと絡まる光景に、紅は唇を閉ざした。
「修羅の母親は、弱くはない妖怪だ。蔵馬の下を去った後に出会った」
「そう。で、その彼女は今どこに?」
長いとは言えないけれど、1年に近い時をこの場所で過ごしている。
出会っていないというのはおかしな話だ。
「死んだ。もう百年以上も前の事だ」
そう告げる黄泉の表情は、いつもと変わらないように見えた。
愛する者を失った者の表情ではない。
隠している可能性も考えられたが、彼の場合は違うような気がした。
「修羅の年齢があわないと思うけれど」
「―――あれは中々優秀な能力を持った妖怪だった。そこで、ふと考えたんだ」
この能力は、次の世代に引き継がれるものなのか。
だが、それを確かめる前に彼女は死んだ。
他の妖怪の手によって命を散らせると言う、実に呆気ない最期だった。
「亡骸から髪と一滴の血を持ち帰った」
「…あぁ、だから培養液の中、ね」
与えられた情報から、紅は納得したように頷いた。
生殖行為によってではなく、科学技術により生まれた命らしい。
クローン程度は普通に生み出せる技術があるのだ。
髪と血と言う遺伝子情報さえあれば、子供を生み出すことなど簡単なのだろう。
「…あなたはその妖怪を愛していたわけではないようね」
「さぁな」
曖昧に誤魔化そうとしても、彼女は全てを悟っているだろう。
彼女は黄泉の指を拒んだりはしない。
けれど、その空気は受け入れているものでもなかった。
「実の所を言うと、ずっと妖狐の子を作ろうと研究を重ねたんだが…どれも失敗だった」
「…私は過去の事には拘らないけれどね。蔵馬がそれを知ったら怒るわよ」
一時は共に盗賊団の一角を担っていたのだ。
自分の髪を得ることくらいは、きっと簡単だっただろう。
しかし、彼女を巻き込むという事は、蔵馬の逆鱗に触れると言う事。
現実的に言えば黄泉は蔵馬よりも強い。
だが、我を忘れるほどに怒った彼を相手にしても、その構図が継続されるかどうかはわからないところだ。
何が起こるかわからないのが現実と言うものなのだから。
「そう気にする事でもないだろう。実際に生まれたのはお前達には無関係な子供だ」
「…ま、そう言う事にしておくわ」
そう言って紅はクルリと踵を返す。
不必要に馴れ合う事のない彼女は、それが自然の姿だった。
黄泉の知る限りでは、彼女が執着を見せたのは蔵馬と暁斗のみ。
今はもう少し位は増えているのかもしれないが…それは、彼の知る所ではない。
「パパ?」
「修羅か…。先に行けと言っただろう」
「うん。でも、トレーニングが終わってもまだ来ないから…」
躊躇いがちに近づいてきた息子に、黄泉はそれ以上責めるのをやめた。
怒られないと察したのか、先ほどまでとは打って変わって軽い足取りで近づいてくる修羅。
「さっきの…佐倉って奴。あの人がパパの言っていた結界妖怪?」
「あぁ、そうだ。美しい妖狐だろう」
「うん。…ねぇ、パパ。本当に、あの人がママじゃないの?」
何か思うところがあったのだろう。
そう問いかける修羅に、黄泉は無言で微笑んだ。
そして、ポンと彼の頭を撫でてから、その背中を押して歩き出す。
「佐倉様…黄泉は本当に…?」
「…例え私の遺伝子を使っていようといまいと、関係ないわよ」
「しかし…」
「私の…華持ちの狐は、第一子にのみその能力が継承される」
厳密に言うと、暁斗は華持ちの狐ではない。
結界能力の一部を継承しただけであり、ただの妖狐なのだ。
暁斗と言う存在がある以上、黄泉が何かをしたからと言って結界能力を継ぐ妖怪が生まれる事はない。
「研究した所で無駄なのよ」
「佐倉様…では、あの修羅は…」
「正真正銘、黄泉と例の妖怪の子供でしょうね」
「…それならば良いのですが」
心配性ね、と紅は苦笑する。
悠希は自分以上にその事を気にしているようだ。
「でも、蔵馬には秘密ね」
「…確かに、その様な研究に使われていたことを知っただけでも不愉快に思われるでしょうね」
「そう。黄泉に突っかかっていくのならばいいけれど…私のところに飛び火しても困るから」
自分と同じ色の毛並みを撫で、紅は小さく微笑んだ。
08.02.18