悠久に馳せる想い

暁斗の自己治癒能力の高さを考えれば、紅がその能力を使う必要はない。
死んだように眠る息子のベッドの傍らに椅子を動かしてきた彼女は、その手の傷の手当を行なう。
患部を消毒し、ガーゼを乗せてからクルクルと白い包帯を巻く。
起きてしまったら「邪魔だ」と言って外してしまうだろうけれど。

「ここに居たのか」

部屋の入り口からそんな声が聞こえ、紅は首だけをそちらに振り向かせた。
ドアを開けたままの状態で壁に凭れていた蔵馬は、その視線に少しばかり目を細める。

「治さないのか?」

珍しいな、と彼はそう呟いた。
紅は蔵馬から視線を戻し、包帯の端を処理する。

「この子を自立させるには、いつまでも甘やかしていてはいけないと思って。
今回は…自分の意見を通すためにあなたに挑んだわけだし…ね」

いつまでも庇護して守ればいいと言うわけではない。
彼は、自分の意思でトーナメントへの参加を決め、その許可を求めて蔵馬に勝負を挑んだのだ。
己が受けた傷も、その試練なのだと…そう、思わなければならないだろう。

「…最中の傷は治したけれど…よく考えると、それも甘かったと思うわ」

そう言って苦笑を浮かべた紅。
彼女の傍らへと歩いた蔵馬は、眠る暁斗を見下ろした。
満身創痍の様子で深い眠りに落ちている彼。
彼は、蔵馬が予想していたよりも遥かに強くなっていた。
正直、蔵馬ですら驚かされたほどに。

「それで?お頭は息子の成長を見て、どんな判断を下すのかしら」
「…結界の使い方を教えてやれ。守りが甘い」

そう言うと、蔵馬は踵を返してドアから出て行く。
そんな彼を見送り、紅はクスクスと笑った。

「良かったわね、暁斗。許してもらえたみたいよ」

そう呟いて、暁斗の頭を撫でた。
ピクリと反応した耳の動きに微笑みを深め、腰を折ってその額にキスを落とす。
それから、蔵馬の後を追うように部屋を後にした。













廊下を少し進めば、蔵馬の背中を見つける事が出来た。
姿を確認できるのだから、彼の聴力を持ってすればその足音も十分に聞き取れているだろう。
隠す事もなく近づいていき、その隣に並ぶ。

「紅」
「何?」
「修行に付き合ってくれ」

蔵馬にそう言われ、紅はきょとんと目を瞬かせた。
それから、構わないと返事を返す。

「どうした?」
「別に、修行は構わないんだけれど…凄く久しぶりだったから、どうしたのかと思って…」
「あぁ、そうだな。…真剣に戦ってみるのも悪くはないかと思ったんだ」

誰と、とは言わなかったけれど、紅にはそれが暁斗のことなのだと理解できた。
どうやら、息子は思った以上に蔵馬を刺激したらしい。
口には出さなくても父を尊敬して止まない息子に教えてやりたいものだ。

「悪くなかった?」
「あぁ。結界能力を意のままに使えるようになれば、更に上を目指せる」
「あの子がそれを望むかは分からないけれど…そっか。あなたが認めるほどなのね」

それならば、いつかは自分達を越えていくのだろう。
今は無理だとしても、妖狐の寿命は長い。
いつか―――その日を思い、紅は目を細めた。

「それにしても…黄泉はいつまで悪巧みを続けるつもりかしら」

ふと、紅は地下に黄泉の気配を感じ、そう言った。
蔵馬が彼女に視線を向け、また前へとそれを戻す。

「さぁな。幽助に対して悪巧みが無駄だと気付くまで…か」

この会話も筒抜けだろう。
紅が意図して結界を張っていれば別だが、今の会話は彼に聞かせるためのもの。
結界が張ってあるはずもない。

「まぁ、魔界全土に噂が広がる頃でしょうし…そろそろね」
「何かあるのか?」
「ええ、もちろん。能ある鷹は爪を隠す―――魔界には三竦みだけじゃないって事よ」

紅はクスリと笑った。
何となく彼女の言っている事が理解できたのか、蔵馬も口元に笑みを浮かべる。

「それはそうと…紅」

話題が変わるのだろう。
蔵馬の声の質も変化した。
彼は指先で彼女の胸元の絳華石を遊ばせる。
それと彼とを交互に見て、紅は彼の意図するところに気付いた。
自分と彼との周囲に赤い結界が生まれる。

「唐突に聞こえなくなれば不審に思うだろうな」
「そう?いつもの事なんだし、もう諦めていると思うわよ」
「…それもそうだな」

ここから先は、黄泉に聞かせるつもりはない。
蔵馬はそのために結界を張らせたのだ。

「暁斗のところは大丈夫か?」
「ええ。結界を張ってあるわ。本当ならすぐにでも躯のところに戻したいんだけど…」

あそこは、この国のように腹の探り合いなどはない。
己の実力が全ての国だ。
暁斗ほどの実力があれば、何の障害も無く過ごす事が出来る。

「暁斗は私達の弱点ではあるけれど…」
「逆に言えば逆鱗でもあるからな」
「そう言う事よ。無駄に頭のいい黄泉のこと。その辺りはちゃんと理解しているんじゃないかしら」

迂闊には手を出せない存在であるという認識はあるだろう。
蔵馬は兎も角としても、紅の結界能力に関しては、魔界では指折りだ。
いくら黄泉ほどの妖怪でも、彼女を本気で怒らせた場合には身の保障は出来まい。
自分の懐に入り込んできた絶好の餌に手を出す事も出来ず、じっと機を窺っていると言う今の状況。
そんな風に会話を続けていた所、不意に紅が足を止めた。
紅?とその名を呼びつつ、彼女の様子を窺う蔵馬。

「…暁斗ったら…」

苦笑に似た笑みを浮かべ、彼女はそう呟く。
彼女は意味が分からず首を傾げた彼に対し、漸く事の由を説明した。

「部屋を抜け出したわ。悠希に後を追わせているけれど…きっと、躯の所に戻るんでしょうね」
「…よほどあそこの空気が合うらしいな」
「根っからの戦闘好きなのかもしれないわね。血は争えないと言った所かしら?」

何が楽しいのか、何も知らない者が見れば、そう問いたくなるような表情で彼女は笑う。
蔵馬は誰よりもその心中を理解しているために、その様な馬鹿げた問いを口にしたりはしない。
今頃は魔界の森を走っているであろう息子を思い浮かべ、彼自身も笑みを浮かべた。

「…不思議なものだな」
「何が?」
「暁斗が自分を越えようとしていると思うと…楽しみだと思える。昔は強さに対して貪欲だったこの俺が、だ」
「そうね。魔界で生きて行くにはそれなりの実力も必要だったし…。
強く、かつ狡猾であることを求めていたあなたは間違っていなかったと思うわ」

他人を出し抜いてでも上に居なければ、生き延びられない。
弱肉強食の世界だからこそ、それが求められていた現実だ。
しかし―――

「子供って、そう言うものなのよね、きっと」

今までの自分の考えを変えてしまうような、不思議で愛しい存在。
目に見えて成長していく彼を見ているのが、素直に楽しいと言える。

「まぁ、息子だから特によ。娘なら…美しく成長するのを楽しむのかしら」

居ないから分からないけれど。
足を止め、ポスンと蔵馬の肩に頭を預ける。
二人で並んで窓の外に広がる樹海を見下ろした。

「紅」
「ん?」
「魔界が落ち着いたら―――」

蔵馬はそっと耳元でそれを囁いた。
パチッと目を瞬かせてから、彼女はクスクスと笑う。
そして、それもいいかもしれないわね、と答え、彼の腕に自身のそれを回した。

08.02.09