悠久に馳せる想い
変化の風が魔界を駆け巡る。
例の妖怪の元を訪れた。
彼は嫌な顔一つせず、紅を迎え入れる。
部屋の中に入る事に対し、一瞬躊躇った彼女だが、その敷居を一息で越えてしまった。
この先に自分の望むものがあるのだとすれば…それを躊躇う理由はないのだ。
「お茶でも用意しましょう」
「結構よ」
話が終わればすぐにでも立ち去る。
そう言って、紅は彼の動きを制した。
それよりも先を、そう促す目に、彼はわかりましたと頷く。
「出雲の場所…ですね」
「ええ」
「それを教える前に、私はあなたに話さねばなりません」
「………」
居場所だけをさっさと吐け。
そう言って目の前の妖怪を脅してしまいそうな自分自身。
紅自身、己の感情を制御しかねていた。
自分の大切な者を置いてきている不安。
それが、紅を焦らせる。
大切な者を奪うと言った出雲を野放しにしておけない。
それが、紅を急がせる。
「あの人と出会ったのは、一番初めに会った日と、契約を解いたその二度だけです」
紅の気持ちも分かっているであろう彼は、それでも尚居場所だけを告げようとはしない。
苛立ちを隠せない彼女の妖気が殺気と成り代わろうとも、その姿勢を崩そうとはしなかった。
「幼い頃、私は出雲に命を救われた。あの人からすれば、気まぐれだったのでしょう」
何の力もない弱い妖怪だった自分は、強い妖怪の糧となるほかはなかった。
迫り来る牙を前に、己の弱さを嘆いた。
だが、それが彼を食い殺す事はなかった。
崩れ落ちた強い妖怪の傍らに立った、美しい金色の髪を持つ妖狐。
妖狐は彼の足元に溜まっている血を指で掬い取り、ぺろりと舐めた。
それから暫く、妖狐は沈黙する。
「………強くなりたいか?」
不意に、妖狐はそう問いかけた。
妖怪は迷いなく「強くなりたい」と答える。
彼を見て、妖狐は何かを考えるように顎に手をやった。
それから、決意を宿した目で彼を見る。
「俺と契約しろ。俺の妖気をお前にくれてやる」
「私の血は、出雲のそれと相性が良かったようです。この契約は、相性が悪ければ命の危険さえあるものでした」
死なずに生きていたと言う事は、前者を指すに他ならない。
すでに繋がりのない出雲を思い出しながら、彼はそう呟いた。
「…あなた、何が言いたいの?」
怪訝そうな表情で問う紅。
彼女は彼の言わんとしていることを薄々感じ取っている。
けれど、そうではないと思いたいのだろう。
「出雲を殺さないで下さい」
迷いも何もなく、妖怪はそう告げた。
お願いします、と続けた彼に、紅の目が冷めていく。
「出雲はあなたを助けたわけじゃない。ただ、生き延びる術として利用しただけよ」
「私だって同じです。弱くては生き残れない。だから、あの人に頼った」
そう答え、彼は瞼を伏せた。
次に開いた彼の目に浮かぶのは、強い意思だ。
「出雲は死を恐れている。きっと…あなたよりも」
「死を恐れない者はいないわ」
「いいえ。あなたはそう言っているけれど、その時になれば死を受け入れる。
出雲は違います。最期の一瞬まで、彼は死を拒む」
拒んで拒んで拒んで―――尚逃れられないと知ったとしても、彼は最期まで拒み続ける。
「私は…それを叶えたい」
「…あなたが出雲をそこまで庇うのは何故?」
はぁ、と息を吐き出しつつ、紅は静かにそう問いかけた。
彼は真っ直ぐに紅を見て答える。
「契約中、何度か出雲の心を知りました」
妖狐に相応しく、孤高の心を持つ妖怪。
九尾でありながら使い魔を持つことが出来なかった、出来損ないの妖狐。
身体を蝕み、刻一刻と死へと誘われる事への恐怖。
それらを感じた時、どうしようもない衝動に駆られたのだ。
「出雲はまるで子供です。親を失い、愛情を与えられなかった…孤独な子供」
死への執着心は、同時に愛情への執着のようにも感じた。
同じ華持ちの狐でありながら、命のカウントダウンもなく愛し愛される紅。
「恵まれたあなたを、誰よりも羨ましく思い…そして、憎んでいる」
血を分けた双子だからこそ、その思いは深く、そして強い。
何故自分だけか…その想いが出雲を駆り立てているのだ。
「紅殿。あなたは、出雲よりもずっと幸せだ。失うことを恐れるほどに大切なものがあるのですから」
「だから、出雲を殺すなと?黙って…彼や息子が出雲に殺されるのを見ていろと言うの?」
煽る様にそう問えば、彼は緩く頭を振る。
実際、彼自身もどうすればいいのかわからないのだろう。
己の人格の中に、もう一つ出雲の人格を抱えてしまったようなものなのだ。
心の闇に触れた所為で、彼を他人だと思えなくなってしまっている。
交錯する感情に流されているのは、彼の方なのかもしれない。
「―――…私は、出雲を助けたいと思っている」
俯いてしまった彼を前に、紅はそう言った。
まるで弾かれたように顔を上げる彼に、彼女は更に続ける。
「赤の他人ではなく、血を分けた弟だからこそ…救えるかもしれない。そう考えている」
「それなら…!」
「だが、出雲がそれを望んでいない。不変の螺旋が解ける可能性を信じていない」
出雲が紅を殺すか、紅が出雲を殺すか。
未来は、その二つしかないのだと思い込んでいる。
「私が説得します」
「…無理よ。出雲は、きっとあなたの言う事を受け入れない。彼は…人を信じる事を知らないから」
紅を殺して絳華を手に入れ、完全な華を得る事だけを考えて生きてきた。
彼は最早、それ以外のものを見る事は出来ないだろう。
「お願いします!出雲を助けてください!私が…必ず説得します、だから…!」
お願いします、と頭を下げる彼。
紅は暫くその様子を見つめていたが、やがて根負けしたように溜め息を吐き出した。
説得できるかは分からない。
だが、彼に任せてみる価値はあるのかもしれない。
「…説得できなければ、出雲を殺す事になるわ。それはわかっている?」
「………っ。はい…っ」
「…それなら、止める理由はないわね」
結果がどうなるか分からないけれど、やってみればいい。
そう言った彼女に、彼は表情を輝かせた。
ありがとう、ありがとう、と礼を繰り返す彼を見ていた紅だが、不意に口を開く。
「あなた…耳も尾も隠しているけれど、妖狐よね。名前は?」
「あ、私…暁斗と言います」
先ほどまでの表情を一変し、あどけないそれを浮かべる妖狐、暁斗。
紅は彼の答えに一瞬目を瞬かせ、それから苦笑を浮かべた。
「私の息子と同じ名前よ」
そう言って、紅は手を差し出す。
不思議そうに首を傾げてそれを見つめる彼。
「よろしくね、暁斗」
「…はい!」
しっかりと繋がれた手に、明るい未来を見た気がした。
07.12.31