悠久に馳せる想い

ふと、紅の聴覚が声を捉えた。
間もなく目的地に到着する所であった紅は、その内容に苦笑を浮かべる。
同時に、一瞬だけ寂しげな表情を見せた。

「雷禅は死んだか…」

幽助が動いたと言う事は、そう言う事なのだろう。
最後の言葉を交わせるかと思っていたが、どうやらそれは無理らしい。
一旦は止めた足の動きを再開させるまでに、さほど時間を要する事はなかった。
トン、トン、と軽やかな、けれども飛距離の長い跳躍を繰り返して木の上を移動していく。
そうして、紅は数分も経たない内に雷禅が治めていた彼の国へと辿りついた。
キョロ…と周囲を見回し、適当な妖怪を引き止める。

「貴様、何者だ!」
「殴りこみに来たわけじゃないわ。雷禅の墓前まで案内してくれると嬉しいんだけど」
「国王に何の…!」

王を失ったばかりの国だ。
タイミングが悪かったか…と思う紅の前で、妖怪達がいきり立つ。
そんな彼らを止めたのは、彼女自身も覚えのある一人の妖怪だった。
この国に似合わない、どこか違った雰囲気を持つ妖怪。

「…佐倉殿ですね」
「ええ」
「案内いたします」

何度か遠目に顔を合わせたことのある妖怪は、彼女を覚えていたようだ。
雷禅の友人であると言う正しい認識を持つ彼は、それなりの地位の者らしい。
案内する、と告げた途端に、周囲の妖怪が静まった。
見送る彼らの視線にはまだ棘が含まれていたけれど、声を出して止める者はない。

「…こうして言葉を交わすのは初めてですね」
「そうね。何度か見た事はあったけれど」
「あなたの事は、国王から聞いていました」
「雷禅から?」

その内容を問うような声色の紅の言葉に、彼は一旦口を噤む。
何度目かの角を曲がり、開けた場所へと辿りついた。
その先に見えたのは、真新しく立派な墓。

「“俺が死ねば、美しい妖狐が訪ねてくる。何も聞かずに案内してやれ”。…国王の言った通りでしたね」
「…馬鹿な男ね」

そんな事を言い残す必要がどこにある。
呆れた風にそう呟いた彼女は、そのまま彼を追い越して墓の前へと立った。
彼女の手には、道すがら手折ってきた白い花が握られている。
紅はそれを墓前へと捧げた。

「最期の会話…出来ると思っていたんだけど。予想外に弱っていたみたいね」

飢餓による衰弱など、いくら紅でも治せない。
況してや、本人がそれを望んでいないのだ。

哀しいのか、悲しいのか。
切ないのか、苦しいのか。

幻海を失ったと思ったあの時と似て非なる感情が、紅の中に残る。

「最期まで己の道を歩いたお前を、少しばかり羨ましく思う」

人を食わぬ。
そう決めた彼は、その先に待っているのが死だと分かっていながら、その道を貫いた。
まったく、妖怪らしくなく真っ直ぐな男だ。
いや、ある意味では、己のプライドに忠実なのだから、生粋の妖怪と言ってもいいのかもしれない。

「国王から、もう一つ伝言があります」

ずっと沈黙していた妖怪がそう言った。
紅は話せとも話すなとも言わない。
けれど、その背中が続きを求めているように見え、彼は口を開いた。

「“いつまでもくだらねぇ黄泉の馬鹿に付き合ってんなよ。九尾の名が廃るぜ。
お前が誰かの下につくなんざ、例の妖狐一匹で十分だろうが。”」
「…あの男は…」
「―――…“出雲の事なら、黄泉を頼る必要はねぇ”」

金色の長い髪を揺らし、紅が振り向いた。
その目が彼を映す。

「“奴の事は…目の前の妖怪が知ってる”」

今度こそ、紅は驚きに表情を染めた。
理解できていないわけではない。
その情報を、どのように使えばいいのかを決めかねていたのだ。

「出雲の封印を解いたのは、私です」

それを聞くのと同時に、頭が命令するよりも早く、身体が動いた。
















目の前の妖怪の首をギリ…と締め上げる。
酸素を求める筋肉の動きが直に掌に伝わり、不快感を覚えた。
しかし、紅にはそんなことはどうでもいい。
今彼女の脳内を占めているのは、先ほどの言葉だけ。

「何故、奴を解放した!?」
「ぐ…っ」
「何故だ!!」

いずれは決着をつけなければならないのだと分かっていた。
出来る事ならばと先延ばしにしていたに過ぎない。
けれど…あの封印さえ解けなければ、永遠にその時を迎えずに済んだのだ。
蔵馬や紫苑―――自分の大切な者たちが危険に晒される事もなかった。
指先の力を抜けば、妖怪の身体がその場に崩れ落ちる。
いくつもの妖気がこちらに向かってきているのは、紅の妖気が爆発的に上昇しているからだろう。

「何者かが外から封印を解いた事くらいは分かっていた。それがお前だとは気付かなかったけれど…。
よくよく注意してその小さな妖気を探れば、確かに覚えがある。封印場所に残っていた名残と同じだな」

地面に座り込んだ妖怪の前に立つ紅の目付きは鋭い。
なおも膨れ続ける妖力に、駆けつけた妖怪たちも竦みあがった。

「何故出雲を解放した?」
「…私が…出雲と契約していたから…です」
「契約?」

一言に契約と言っても、魔界には様々な契約が存在する。
彼の言っている『契約』がそのどれを指すのかが、紅には分からなかった。

「闇華石の呪いの一部を担う事により、その膨大な妖力の一部を譲り受ける―――私が、彼と交わした契約です」

もう何百年も前に、と彼は声を小さくしてそう言った。
出雲の身体を蝕む闇華石の一部をこの妖怪に移し、代わりに大きな妖力を与える。
それが彼らの交わした契約だ。

「契約していた、と言う事は、今はその契約は無効になっているのね?」
「…はい。私にはごくごく一部の妖力だけが残り、闇華石の全てが出雲の元に還りました」
「出雲の居場所が分かるの?」
「―――…わかります」

彼はそう言って僅かに瞼を伏せる。
まるで、出雲を懐かしむような、哀しむような…そんな仕草だ。

「話が聞きたければ、後で私の部屋へ来てください。国王と、積もる話もあるでしょうから」

そう言って、彼は周囲を囲んでいた妖怪を連れてその場を離れていく。
全ての気配が完全に消え去ると、紅は目を閉じた。
あの表情は…。

「私は、話を聞かなければならないのね」



魔界が動き出す。
そして、紅の世界もまた、急速に動き出していた。
彼女が望む未来へと歩いているのか、その逆へと歩いているのか。
変化の風が魔界を駆け巡る。

07.12.19