悠久に馳せる想い
会議、と言うのは些か人間らしい表現だろうか。
しかし、それ以外で今の状況を説明する言葉が見つからない。
用意されている席に座るでもなく、壁にもたれるという姿勢を崩さない紅は、テーブルに着く妖怪たちを見た。
どれも腹の中では何を考えているのか分からないような連中だ。
刹那の油断もなく、紅はその場に居る。
蔵馬が居なければこんな場所に用はないのに…そう思いつつも、それを顔に出す事はない。
時折彼に向けられる嘲笑めいた目付きや言葉に、心中でふつふつと怒りを燻らせる。
表に出ていない感情を悟っているのは蔵馬くらいだろう。
「くだらない…」
そう言って口元に笑みを浮かべると、紅は漸く背中を壁から離す。
そして、靴底を鳴らして蔵馬の元まで歩いた。
「佐倉、何か知恵を出す気になったのか?」
「蔵馬の予想に狂いはないと確信しているのに、私の知恵は必要ない」
クスリと笑うと、背後から蔵馬の肩に手を置く。
蔵馬ですら彼女の行動にやや驚いた様子ではあったが、拒む事はなかった。
まさかこんな所でここまで接近してくるとは思わなかった、と言う点のみの驚きだったけれど。
「三国それぞれのNo.2が大きく変化する―――面白い展開だな、鯱?」
「貴様、何が言いたい!?」
「別に?ただ、変化すると言う事は、現状ではなくなると言う事。つまり…」
急激に成長でもしない限り、貴様が落ちるという可能性が高い。
そう言外に含ませ、言葉を濁らせる。
もちろんそれが伝わらない筈もなく、ガタンと派手な音を立てて立ち上がる鯱。
「何なら、今すぐにNo.2を変えてみせようか」
今この場で。
すでに臨戦態勢と言っても過言ではない状況の鯱に対し、紅は薄く笑みを浮かべる。
その笑みは普段蔵馬に向けるような穏やかなそれではない。
刺す様に、けれどもどこか流れるように。
嘲笑と取るには十分なそれを向けられ、鯱の頭に血が上る。
しかし、タン、と紅の肩より降り立った黄金色の毛並みの狐により、彼の殺気は途絶える。
「貴様如き弱小妖怪が佐倉様に近づくな、無礼者」
その眼力は呼吸を失うほどに鋭い。
自分よりも遥かに小さい狐の殺気に押し負けるなど、ありえないはずだ。
それなのに、身体は指先一つさえも動こうとはしなかった。
「佐倉。まだ会議の途中だ」
「これは失礼。あまりにそちらの受け入れ態勢が悪いもので、つい口を出してしまったようだな」
そう言ってから、紅はスルリと腕を蔵馬の首に絡ませる。
そして、そのこめかみに唇を落としてから名残惜しむ暇すらなく彼から離れた。
普段ならばよくある行動だ。
しかし、こんな第三者の…しかも、自分が認めていない者の前でこんな行動を取る意味がよくわからない。
その真意を問うような眼差しに、紅は何も言わず、ただ笑みを返した。
「悠希、おいで」
そう呼べば、ずっと牽制するように鯱らを睨みつけていた悠希がトンと紅の肩へと戻る。
使い魔だけで、ここまで恐ろしい妖気を持っているのだ。
その主である紅の実力を垣間見るには十分すぎる。
すでに壁の花に戻っている紅を見つめる面々の表情に、僅かな恐れが浮かんだ。
同時に、彼女が絶対の信頼を置いている蔵馬もまた、一部の者に一目置かれる存在となる。
紅の行動の意味がそこにあったのだと理解したのは、その時になってからだった。
「組織のカギは副将が握る」
天井の高い廊下を歩きながら、黄泉はそんな事を言った。
耳を傾けるわけでもなく、何かを返すわけでもなく。
蔵馬はただ感情を見せない冷静さで黄泉の後に続いていた。
「佐倉が盗賊団に入り、お前はすぐに俺を副総長から外し、代わりに佐倉をその座に置いた。
その選択は、お前にとっては正しい選択だったか?」
「―――――」
「いや、今更地位を落とされた過去をとやかく言うつもりはない。
呼吸と等しくお前の行動や思考を把握していた佐倉を副将にするのは、当然の事だ」
聞こえていないという事はない。
けれど、蔵馬からの返事はなかった。
一向に口を開く事のない彼だが、黄泉も無理にその口を開かせるつもりはないようだ。
「―――昔話はこれくらいにしておくか。…蔵馬、お前に見せたいものがある」
どこに進むとも伝えられず、ただ黄泉の後に続いていた。
どうやらその「見せたいもの」の所へと歩いていたらしい。
数分間、そんな風にゆっくりと他人のことを話すように口を動かす黄泉の後を歩く。
そうして、辿りついた頑丈な扉の部屋。
中に入れば腐敗臭と共に、乾いた血の臭いが鼻を突く。
その部屋の一角、それは居た。
いや、もうすでに「居た」と表現するよりは「あった」と表現する方が正しいかもしれない。
壁に縫い付けられるようにして、拷問の後と判断できるだけの怪我を負った妖怪。
蔵馬にとっても、見覚えのない妖怪ではなかった。
もう何百年も昔、一度だけ契約を交わした覚えのある妖怪だ。
黄泉は全てを知った上でこの妖怪をギリギリのところで生かし、蔵馬の眼前に晒している。
殺してくれ、と途切れ途切れに紡ぐ妖怪を前に、黄泉は今一度問う。
「誰に頼まれて俺を狙った」
黄泉の問いに、妖怪は搾り出すように声を発する。
この百年ほどの間に、何度となく答えた言葉で、その終止符を打つ。
「銀…髪の妖狐。おそろしく冷たい眼をした男。そして…金髪の長い髪を揺らした氷のような表情の女」
妖怪はその言葉を最後に、長い苦痛の時から解放された。
「そんなに蔵馬が心配か?」
蔵馬を残して部屋を出た所で、黄泉はそう声を発する。
悲鳴にも似た音で閉じていく扉を横目に、彼は気配のする方へと顔を向けた。
観念したというよりは当然のようにそこから姿を見せたのは、金色の髪の妖狐。
「あの妖怪はお前にとっても懐かしい顔だろう。あわせたほうが良かったか?」
「戯言を。―――あれを片付けるのは私の役目だった」
「…あぁ、そうだろうな。昔のお前の性格を思えば…あの妖怪を生かしておいたとは思えない」
妖狐蔵馬は自分に害さえなければ気にもかけない。
しかし、佐倉は違っていた。
彼女は少しでも懸念材料となる者に対しては、情け容赦なくその命を奪う。
黄泉を殺す代わりに報酬を与える―――そんな契約の元で雇った妖怪も、その一種だっただろう。
深手を負ったとしても報酬を求めて戻ってくれば、あの妖怪の命は何百年も前に尽きていた筈だ。
それほどに、佐倉と言う妖狐は他に対して冷徹無慈悲な妖怪だった。
「あの頃の刺すような眼が懐かしいな」
「見せて欲しいならば、見せてやろうか?」
「昔と同じ眼を持っているつもりか。佐倉、お前は優しくなりすぎた」
自覚はある。
紅は黄泉から視線を外し、閉ざされた扉を見つめた。
中に居る蔵馬はまだ動いていないらしい。
今しがた息絶えた妖怪を前に、彼は何を考えているのだろうか。
「…蔵馬の家族に手を出せば、躯が貴様の首を刎ねるのを待たずに、私が直々に息の根を止める」
それだけは覚えておけ、そう言い残して、今しがた閉じたばかりの扉を押し開く。
自分が通れる幅だけ開いたそこから身体を滑り込ませ、分厚いそれの向こう側へと消えた彼女。
半ば反射的に伸ばした手が彼女を掴む事はなく、変わりに重い空気が掌を掠めた。
初めて奪ってでも手に入れたいと思ったものは、すでに別の者しか目に入っていない。
あの頃とは比べ物にならないほどに丸くなってしまった性格も、自然と受け入れられた。
いっそ、僅かな望みすらも抱かせない彼女の態度には感謝するべきなのかもしれない。
少しでも気の緩みを見せられれば、彼女が望まないと知っていても奪い取ってしまいそうだ。
たとえ、彼女が愛する男の命を奪ったとしても。
恐らく紅は気付いている。
気付いていて、だからこそ敵と言う態度を崩さない姿勢を見せる事で、蔵馬を守っている。
愚かな望みに夢を抱いて、彼の命を脅かさせない為に。
いっそ彼女の細い首を締め上げれば楽になれるだろうかと思ったこともある。
けれど、それを実行に移すことなど出来ない。
―――彼女はまるで麻薬のようだった。
07.09.09