悠久に馳せる想い
紅は単身で黄泉の元を訪れた。
蔵馬にじろりと睨まれる事にはなったが、こればかりはと説得して現在に至る。
深く腰を下ろした彼を前に、紅は淡々とした表情で口を開いた。
「蔵馬が着いたわ」
「そうらしいな。建物の屋上に、聞こえない空間があったが…」
お前の結界か?
その問いが言葉となる事はなかった。
しかし、それを含ませているのだと悟り、薄く笑みを深める紅。
「夫婦の会話を盗み聞きしようなんて…随分と、無粋な事をするのね?」
「ふ…それでこそ、お前らしい」
「本題に入るわ。蔵馬が来た以上、契約は完了。出雲の情報を貰う」
蔵馬をこの場に呼び寄せる為の人質であった以上、彼がここに来たのだからそれは完了している。
す、と目を細めた彼女を前に、黄泉は腕を組んだ。
「出雲はここからずっと東に向かった所にある、帰らずの樹海付近を拠点にしている」
「…帰らずの樹海、ね…。面白い所を拠点にしたものだわ」
そこの場所を聞いた紅は、クッと口角を持ち上げる。
それから、何も言わずに踵を返していく。
「紅、蔵馬と共にこの場に残る気は無いか?俺を助けてくれ」
「そうね。もう少しだけ居るつもりよ。もちろん、あなたのためではないけれど」
振り向く事もなくそう答え、紅は今度こそ歩みを止める事もなく部屋を出て行く。
そんな彼女を見送り、黄泉は溜め息を一つ落とした。
「どんなに望もうとも、佐倉は蔵馬のもの、か…」
いっそ、殺してしまえば自分のものになるだろうか。
彼女自身よりは劣ろうとも、蔵馬よりは上だ。
彼の命を揺さぶれば、彼女を殺す事も出来るだろう。
そこまで考えてから、馬鹿馬鹿しいとばかりに首を振る。
彼女は生きていてこそ美しい。
殺してまで手に入れることに、そこまでの意味を見出す事は出来なかった。
なんと皮肉な事だろうか。
紅は廊下を進みながらそう思った。
「紅。戻ったのか」
自室としてあてられたそこに戻れば、ベッドに腰掛けた蔵馬がこちらを向いた。
先ほどは妖狐の姿に戻っていた彼だが、今では南野秀一の姿に変わっている。
どちらも彼である事に変わりはないのだが、少しだけ残念だった。
「ええ」
「出雲の行方は聞けたか?」
「…懐かしい場所で再会する事になりそうだわ」
そう言って苦笑と共に前髪を掻き揚げる。
それから部屋を横切って蔵馬の元へと向かう。
「懐かしい場所?」
「帰らずの樹海…私の、生まれ故郷よ。
皮肉な物ね。出雲から逃げるように飛び出した場所に、彼を追って戻る事になるなんて」
それをわかった上で、樹海を拠点としているのだろう。
決着は始まりの場所で。
出雲の声が聞こえるようだった。
「…行くのか?」
「ええ、もちろん」
躊躇いなく答える彼女に、蔵馬は一度口を噤む。
どのような結末を望んでいるのかは知らない。
ただ―――最悪の結果にだけはならぬようにと、祈るばかりだ。
「もう少しだけ、ここに居る事にするわ。そうね…あなたが、慣れるまで」
「一週間も残るつもりはないって事か…」
「問題を長引かせるのは好きじゃないわ。知っているでしょう?」
そう問いかければ、「ああ」と短く返答が聞こえる。
どこか声を低くしたそれに、紅は苦笑した。
彼の機嫌を悪くしているその原因は、自分と出雲の対峙に他ならない。
それが身を案じるからこそのものだとわかるから、こうして笑っていられるのだ。
「帰って来るわ。…必ず。暁斗も彼女の所に預けたままだし…」
「そう言えば、一緒じゃないんだな。どこに居るんだ?」
「躯の所よ」
事も無げに答えた紅に、蔵馬は目を見開いて静止する。
そんな彼の反応を見た彼女は不思議そうに首を傾げた。
「紅…躯と面識が?」
「………あら、話していなかった…?彼女とは旧知の仲よ」
会わなかった空白の時間も換算するならば、その付き合いは蔵馬よりも長い。
顔を合わせた時間を考えれば、10分の1にも満たないだろうけれど。
そう言った彼女に、蔵馬は驚きを隠さない。
「三竦みの2人と知り合いとは…」
「2人じゃないわ。雷禅も知っているもの」
この間会ってきたわ、と笑って答える彼女に、はぁ、と投げ遣りな溜め息を零す。
彼女の友好関係を深く追求した事はない。
出会った頃の彼女と言えば中々心を開かず、昔の事を尋ねるには至らなかった。
心を開いた後と言えば、そんな事を考える暇もなく過ぎて言ったといったほうが正しい。
結果として、彼女が昔会った事のある妖怪の話など、記憶の片隅にすら残されていなかった。
「知り合っている程度じゃないのか?」
「雷禅は…似たようなものだけれど、嫌われているわけではないし、私も嫌っていないわ。
躯は知り合い程度じゃないわね。彼女は…友人だと思うわよ」
妖怪を相手に友人も何もないのかもしれない。
このあたりの返答は人間界の微温湯に毒された結果だなと、紅は自嘲気味の笑みを零す。
けれど、彼女には自分と躯の関係を表す言葉が、他に見つからなかった。
「そうか…。まぁ、三竦みに敵対しているよりはいい」
「敵対していると表現できるのは、きっと黄泉くらいよ。あれは…どうも受け付けないわ」
嫌いだとは言わない。
だが、元自分達の部下である彼に下げる頭はない。
何より、本来の自分が彼と言う妖怪にそうする事を拒んだ。
本質的な部分で彼とは相容れない何かがあるのだろうと思う。
「黄泉はまるで子供ね。必死に背を伸ばし、手を伸ばし…望むものを得ようとする、子供のようだわ」
「あいつをそう表現する奴は紅くらいだろう」
「でも、それ以外に黄泉を表現する言葉が見つからないわ。いつか…黄泉自身も、気付くでしょうけれど」
表立っているあの三人だけが、魔界を牛耳る事のできる実力者ではないのだという事を。
彼は、いずれその身で気づく事になるだろう。
気付かないならば…彼はそこまでの者だったと言うことだ。
目を細めてその事を考える彼女を横目に、人知れず溜め息を零す蔵馬。
妖狐の時ほどではないにせよ、こうして紅が黄泉のことを話すのを聞いているのは、楽しい事ではない。
紅が望んでいるのではないにせよ、彼女の核である絳華は黄泉の妖気を完全に拒みはしなかった。
蔵馬ほどに相性が抜群であったわけではない。
今までのように鼻もかけ無いと言うならば安心だったのだが―――
「こればかりは本人の意思ではないだけに、余計に腹立たしいな…」
考えるだけで胃の辺りがムカついてきて、妖狐の妖気がゆっくりと鎌首を擡げそうになる。
そんな彼の心情を悟ったのか、紅は笑みを浮かべながら彼の前に立った。
「どうすればあなたに要らぬ心配をさせずに済むのかしら。色々と悩んだけれど…結局、分からないわ。
全ての者との交流を絶てば、あなたは安心できるのかしら。それとも、喉がかれるほどの愛の言霊を?」
何が彼を安心させるのかは分からない。
本気でそう思っているらしい彼女は、やや眉尻を下げて苦笑いを浮かべる。
「…俺自身も、分かりかねるんだ。束縛したくないとは言わないが、紅には自由が似合うとも思う」
「蔵馬…」
「あえて言うなら…そうだな。他の男に不必要に近づきさえしなければ、何とかなるか」
「本当に?」
「…多分ね」
とりあえず、相手を殺したいと思うほどではないだろう。
紅はそう小さく呟いた蔵馬の頬に唇を落とす。
了承の代わりの口付けに答えるように、彼女の腕を引き寄せて唇を重ねた。
「前よりも嫉妬が酷くなったわね」
「魔界では強さに怯える奴は手を出してこなかったけど、人間界は違ったからね。
男に声を掛けられる姿をよく見ていたから、酷くなったんだろう」
「あぁ、そう言う事…」
07.08.20