悠久に馳せる想い
好きに探索して来い、と告げられた暁斗は、己の探究心に打ち勝つ事ができなかった。
どうしようかと身体をうずうずさせながら見上げてきた彼に、紅は好きにすればいいと言う言葉の代わりに頷く。
彼が、まるで鉄砲玉のように飛び出していってから、すでに数分経っている。
「お前にガキが出来るとはな…」
「その言葉、そのままそっくり返しておく」
感慨深げに呟いた雷禅の言葉に返事を返す。
そんな彼女に、彼は目を細めた。
「やはり、お前も一緒だったか」
「ああ。気付いていただろう?先日、お前の息子と共に魔界に来た」
仙水との戦いの中、幽助が劇的に変化した場面があった。
その時に雷禅の妖気を感じたのは気のせいではなかったらしい。
「幽助と言う…まだまだ青臭いガキだ」
「ああ、北神たちからの報告で聞いてる」
「………跡目を任せるつもりか」
紅の問いに、彼は何も答えなかった。
それこそが肯定である事に、彼女は気付いただろう。
「王を失った国の行く末など決まっている。だが、あれはまだ力不足」
「その為に、北神達をあいつのところに向かわせたんだ」
「…お前の余命を幽助に使うのか…」
「どこまで強くなるかはあいつ次第だ。だが…可能性はある」
そう言うと、雷禅は視線を紅から動かした。
窓の外に見える空は人間界のように澄んだそれではない。
淀んだその中に走る稲光。
「………死を…受け入れているんだな」
「…俺は長く生きた」
「…もう一度、本気のお前と手合わせできる事を望んでいたんだが…」
「残念だったな。もう、俺はお前を楽しませる事は出来ん」
昔は、彼との戦いの中に己の生き方を探していた。
はっきりとした勝敗の付かない中、彼を倒す事だけを考えたあの頃は自分もまだまだ青かったのだろう。
しかし…純粋に戦いを楽しめたようにも思う。
「佐倉、お前に聞きたい事があった」
「冥土の土産に、答えてやってもいい」
「…何故、お前はこの三竦みに乗ってこなかった?」
その問いに、紅は僅かに沈黙した。
彼の言わんとしている事の意味は分かる。
自分には雷禅と並んでも、十分な力があった。
三竦みといわれるこの状況に参戦できるだけの力が。
ただ―――
「自分の弟から逃げるような臆病者が、魔界の頂点なんて考える筈もないだろう」
紅はそう自嘲の笑みを零した。
「まだ逃げてんのか」
「いや…もう、逃げるのは止めだ。次で終わらせる」
はっきりと答えた彼女の横顔に、雷禅はふっと笑みを零す。
確かに、彼女には魔界の頂点など似合わない。
どんな心境の変化があったのかは知らないが、彼女は随分と変わった。
前の彼女だったならば、頂点を目指す可能性もあったかもしれないが…今は、考えもしないのだろう。
「精々殺されないようにやれよ」
「…お前に言われるとは思わなかったな、雷禅」
「…違いない」
そうして、二人で忍ばせた笑い声を上げる。
暁斗が戻ってくると、紅はそろそろこの場を去ることを彼に伝える。
やや不満そうな顔を見せるも、それを口に出せば置いていかれると分かっているのだろう。
沈黙のままに、暁斗はただ一度だけ首を縦に振った。
「元気で…と言うのは、少しおかしいか」
現在進行形で弱ってきている雷禅に、それを伝えるのは少しだけ変なのかもしれない。
言葉を紡ぎながらそう思った彼女は、含み笑いを零した。
「まぁ、悔いのない余生を送ってくれ。いずれはまた…見える日も来よう」
「もっと存分に年を取ってから来る事だな。そのまま来やがったら追い返すぞ」
素っ気無い物言いだが、彼の気持ちは伝わる。
闘神とも謳われた面影を感じさせないが、それもまた彼なのだろうと納得する。
死を前にしてその性格が変わるという事は、よくあること。
取り乱さない者は、それを受け入れた時驚くほどに穏やかになるものだ。
彼がその種の人に分類できるかは微妙な所ではあるけれど。
「暁斗…と言ったか」
「うん」
「強くなれ」
「…うん」
何と答えてよいのか分からないのだろう。
暁斗が、これから一年ほど後に死を前にしているような人と会うのは初めてだ。
同情も哀れみも、少し違う。
雷禅がその信念の元に死を受け入れているのだから、それは侮辱に値するのだと分かっているのだろう。
しかし、それ以外のどの感情を胸に抱けばよいのか…それが、彼にはわからないのだ。
ただ一度、雷禅の言葉に頷くことしか出来なかった。
そんな暁斗を見下ろし、紅はその頭を撫でてから雷禅へと視線を動かす。
「再会の約束はしない」
「ああ」
暫しの沈黙を持った後、紅はそれ以上何を言う事もなく彼に背を向けた。
後ろ髪を引かれることもない淡白な別れに、暁斗の方が戸惑ってしまう。
一度だけ台座から動かない雷禅を振り向いてから、彼は歩き出してしまった紅の後を追った。
「母さん…あれで良かったの?」
「…いいも何も…十分よ」
最期を見届けるつもりなど、初めから微塵も考えていない。
寧ろ、この弱肉強食の魔界で、死ぬ前にもう一度会えただけでも運がよかったくらいだ。
彼ほどの実力の持ち主ならば、他の妖怪の手にかかって命を落とす可能性などかなり低いけれど。
惜しむべきはその死の原因が老衰ではない事だが…散り様も彼らしい、と思う。
「これからどうするの?」
「もう一度躯のところへ行くわ。それから…私は、もう一人の三竦みのところに行く事になる」
私は、と言う部分を強調したことに、暁斗は気付いた。
縋るような視線を向けてきた彼に、紅は緩く首を振る。
「躯には話してあるわ」
「何で…!?」
「黄泉の所へ行った後は…出雲との決着をつける。安全を保障されない所に置いておくわけにはいかないわ」
「安全じゃなくたっていいよ!俺も一緒に…!」
暁斗はそこまで声を荒らげてから、自分を見下ろす目の冷たさに気付く。
ゾクリと背筋が逆立つようなその眼差しに、彼は思わず口を噤んだ。
「死にたいの?」
「…死、ぬのなんか、怖くない!」
「………死に急ぐ愚か者に育てた覚えはないのに…」
呆れたような口調に、暁斗は眉を顰める。
死を恐れない事の、どこが愚かなのか。
「あなたは躯の元に置いていく。これは決定よ」
「そんなの…!」
「もし付いてきたら………その時は、私がその呼吸を止める。誰かの手に掛かる前に」
細めた目に浮かぶ殺気に、四肢の震えを止める事が出来ない。
こんな母は知らない。
「大人しく、躯の元に居なさい。いいわね?」
「……は、い」
「良い子ね」
そうやって頭を撫でられると同時に、緊張感が解けてドッと汗が噴出してきた。
呼吸すらもままならなかったらしい彼が必死にそれを整える様子に、紅は表情に翳を落とす。
彼がどんなに望もうとも、これだけは聞く事は出来なかった。
07.07.13