悠久に馳せる想い

何で出来ているのか、人間界では不気味と分類されるであろう塔のようなものを見下ろす高台に立つ。
数日間躯と共に過ごしたお蔭で、暁斗は徐々にその才を開花させているようだ。
紅が8割ほどの力で走ったとしても引き離される事なく付いて来ていた彼に、少しばかり頬を緩める。

「…母さん。誰か来るよ」
「あぁ、気にしなくていい。テリトリーに入れば、当然出迎え位はあるものよ」

ぴくりと耳を揺らして言った暁斗の言葉に、紅は警戒心の欠片も見せずにそう答えた。
彼女の答えが終わるのとほぼ同時に、二人の前に数人の妖怪が姿を見せる。
その中でも一際高い妖力の持ち主が、一歩前へと進み出た。

「何者ですか」
「雷禅に用がある」

警戒心を露にする相手に対し、紅は淡々と答える。
それから、肩に提げていた抱えるほどもある大きな酒瓶を軽く持ち上げた。

「いくら食を断っていると言っても、酒くらいは飲めるだろう?」
「…あなたは何者ですか」

先程よりは声がやや柔らかくなったが、まだ警戒心を拭い去ってはいないようだ。
紅は僅かにその口角を持ち上げ、彼の質問に答える。

「『血の要塞』佐倉が来たと…そう伝えればいいわ」

彼女の言葉に、ザワリと妖怪たちがざわめく。
容姿的な特徴を知らなかったにしても、その名前だけは知っていたらしい。
畏怖の念すら抱く者も居て、そのざわめきは暫く治まらないかと思われた。

「………国王はあの塔の最上階です」
「素直に通してくれるのね。強行突破も視野に入れていたんだけれど」
「あなたが本当にあの『佐倉』であったならば、我々にあなたを止める事など出来ません。
それに…仮に『佐倉』でなかったとすれば、国王が直々に手を下されるでしょう」
「…まぁ、悪くはない考えね」

無駄に部下を死なせない考え方は、素直に共感できるものだった。
そんな想いが表情に表れたのか、僅かに穏やかなそれを浮かべた彼女に、前に居た妖怪は軽く目を見張る。
しかし、彼女が歩き出したことによりハッと我に返った。

「塔の中の者には伝令を送ります。万が一行く手を阻まれても…」
「無駄に争うつもりはない。安心していいわ」

即座に返って来る答えに、彼はどこかほっとした様子だった。
その表情は、噂に聞く「佐倉」と目の前の彼女とのギャップに困惑している様子だ。
分かっていながら、紅は特にそれを救ってやる事もなく、そのまま歩を進める。
付かず離れず、暁斗もまた彼女の後に続いた。

「…大丈夫なの?」
「国中が敵に回ろうとも、雷禅さえ向かってこなければ問題はないわ」

つまりは、そう言う事なのだ。
紅にとって、どれだけの妖怪に止められようが行く手を遮られようが関係ない。
阻まれればあしらう程度に対応はするだろうけれど、それだけだ。
赤子の手を捻るように彼らを屈服させるだけの実力はある。
あと問題があるとすれば…この国のトップである雷禅が彼女に敵対しないかどうかと言う点のみ。
尤も、彼の場合はその心配も必要はないだろう。

「彼とは馴染みがあるからね」
「躯みたいに、友達なの?」
「んー…命がけの乱闘を繰り返すような相手を友と呼ぶならば、それに値するわね」

事も無げに答えれば、暁斗の口元がひくっと吊りあがった。
流石にそれは友と分類してよいものか悩む所だ。
昔はそうであったとしても、今が躯のような関係ならば…それもありかとは思う。
しかし、ここ数百年顔を合わせていなかったから、関係がどうなっているのかは彼女にも分からないのだ。
下手をすれば、忘れられている可能性だってある。

「…国王って言うんだから、強いんでしょ…?」

大丈夫?と控えめな声が向けられる。
そんな彼に、紅はクスクスと笑ってその頭を撫でた。

「一度だって絳華石を破られた事はないから大丈夫よ」

こちらが怪我を負ったのは、小さな自尊心からそれを使わずに彼と戦った時だけ。
それ以外の時には、髪一筋だって傷つけられる事はなかった。
それを説明してやれば、暁斗は漸く安堵の息を零す。
どうやら、躯に出会ったことにより、強い者との対峙に慎重な構えを見せるようになってしまったようだ。
良い反応なのか、それとも悪いのか。
どちらと言う判断をしかねた紅は、特に何も言う事無く塔を見上げた。













着衣の裾を掴む手の力が強くなっているように思う。
恐らく、この垂れ流しと言っても過言ではない雷禅のそれに中てられているのだろう。
やや表情を強張らせる暁斗だが、甘やかす事無く自身の足で歩かせる。
これから暫く魔界での生活を余儀なくされるのだ。
一番に他人を頼りにするような事はあってはならない。
そうして、紅は彼を視界から外して最後の扉の前へと近づいた。
ギィ…と重いそれを押し開く。

「…こいつは珍しい客が来たもんだ」

低く楽しげな声が聞こえる。
壁に沿っておかれている台座に、彼は居た。
相変わらず趣味の悪い部屋だ、と思いつつ、紅はスタスタと臆すことなく部屋の中を歩いていく。

「随分と弱ったらしいな、雷禅。生温い妖気だ」
「お前は随分と甘くなったらしいな。殺気の一つでも送ってみやがれ」
「遠慮しておく。この塔を破壊しにきたわけではない」

そう言って肩を竦めると、紅は肩に担いでいた酒瓶を彼へと放り投げた。
台座から立ち上がることもせず、雷禅がそれを受け止める。
栓を抜いて鼻先にそれを運んだ彼は、軽く目を見開いて紅へとそれを移した。

「お前にしちゃ、気の利いた土産だな」
「腹を減らして死に掛けているような奴には丁度いいだろう?」

そう言って笑う彼女に対し、雷禅はクッと口角を持ち上げる。
それから、酒瓶に口をつけてそれを呷った。

「…胃に染みるぜ」
「だろうな」
「だが…いい酒だ。ところで、そのガキは何だ」

再度酒瓶を傾けながら、彼は紅から離れようとしない暁斗を顎で指す。
ビクリ、と肩を震わせた彼の頭を撫でながら、紅は問いかけた。

「何だと思う?」
「…お前のガキか…。妖狐だな」

彼はそう呟くと、空いている方の手をクイクイと動かす。
まるで来いと言っているようなその動きに、暁斗は紅を見上げた。
紅はその視線に静かな笑みを返すと、暁斗の背を押して前へと歩かせる。
自分を庇ってくれるつもりがないのだと判断するのに時間は必要なかった。
こう言う時には足掻いても無駄だと理解している彼は、すぐに歩き出した。

「…妖狐のガキを見るのは初めてだな」

目の前まで来た暁斗をじっと見つめる雷禅。
その視線に、居心地悪そうにしている彼を見て、雷禅は顎を指先で撫でる。

「まだまだ発展途上だな」
「生まれて百年も経っていない」
「なるほど…。だが、悪くない」

そう言うと、雷禅は己の手を持ち上げて暁斗へと向かわせる。
僅かに身体を強張らせるが、暁斗は逃げなかった。
そんな彼に笑みを深め、ポンと銀糸の上に手を乗せる。

「…お前は強くなる」

雷禅の言葉は暁斗のど真ん中を貫いた。
父よりも強い人にそう言ってもらえる喜びを肌で感じる。
ゾクリと背筋を何かが這い上がり、身体が歓喜に震えた。

「しっかり鍛えてもらえ」
「…はい!」

紅は勢いよく返事を返す暁斗を見て僅かにその頬を緩めた。

07.07.06