悠久に馳せる想い
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深夜、ふと感じた気配に身体を起こす。
元々眠っていなかったから、目を覚ましたわけではない。
嫌な匂いがする、そう言った暁斗は就寝時間になっても紅の元を離れようとはしなかった。
結局彼女も無理に彼を引き剥がす事は出来ず、そのまま自身のベッドに寝かせてその隣に滑り込んだ。
そんな彼は、今すうすうと寝息を立てている。
気配を察知する能力に置いては平々凡々である彼は、この気配には気付かないのだろう。
その頬に軽く唇を落としてから、そっと布団を抜け出した。
枕に頭を乗せたまま色々と考え事をしていただけに、少し髪が乱れている。
それを手櫛で整えるように指を通せば、三度目のそれで亜麻色の髪がザワリと金色へと変化した。
紅の妖気が動いた事に気付いたのか、ピクリと暁斗の耳が動く。
だが、それでも彼は目を覚ます事はなかった。
これほどに熟睡しているのは、この部屋の中に安心できる紅の匂いが染み付いているからなのだろう。
クスリと口角を持ち上げてから、紅は音もなく窓から身を投げる。
トン、トンと軽やかに木々を蹴って、山中の少し開けた場所へと降り立つ。
地面に足をつけた拍子に前へと舞い込んだ金髪を背中へと流し、そちらを向いた。
「訪問は日の高い時間帯にして欲しいものね」
そう告げる彼女の声は思ったよりもよく通り、ザァと吹く風に乗って遠くまで届く。
彼女のそれに呼応するように、一番近くにあった樹の影がぐにゃりと動く。
それは意思を持つように立ち上がってきて、やがて人の形を模した。
「お待ちしておりました」
「挨拶はどうでもいい。首と胴が繋がっていたいなら、用件だけを述べてさっさと帰るがいい」
そう吐き捨てる紅に、影はニィ、とその口角を持ち上げた。
そして、どこからともなく取り出した丸い玉を紅の方へと放り投げる。
弧を描いて飛んできたそれを危なげなく受け取った彼女は、手元のそれを見てフンと嘲笑う。
「どんな込み入った用かと思えば…言玉の宅配とは…まったく、ご苦労なことだ」
「我が主からの言玉にございます」
「主に伝えるがいい。「貴様も偉くなったものだ」とな」
紅の言葉にも動じる事無く、影は一礼をすると再び樹の影に消えようとした。
だが、そんな影に追い討ちを掛ける様に、紅は言葉を繋ぐ。
「あの野心家がここまで成長するとは、魔界も落ちたものだ。私がいればその様な愚行は有り得なかったと言うのに」
終わると同時に、妖気の塊が彼女へと飛んできた。
焦る事もなくそれを片手で弾き飛ばし、それを放った影へと距離を詰める。
至近距離でその心臓となる胸元の核へと妖気のナイフを突きつけ、声を低く告げた。
「私を呼び寄せるのに、この程度の挑発に乗るような小物を使い寄越すな。用があるなら直接来るがいい。
よく聞こえる耳で聞いているんだろう?―――黄泉よ」
紅の言葉は低く、そして鋭い。
彼女の唇が動き終わるのにあわせて、影の核なる部分の上に提げられたモノが震えた。
とても人間界では人気を得られないであろうグロテスクな作りのそれは、恐らくは通信手段に使われるもの。
震えが治まるのと同じくらいに、その中心部に不気味な赤が灯った。
『プライドの高さは相変わらず、か。だが、それがお前の美しさを惹き立てる。―――久しいな、佐倉よ』
脳内に直接に響くようなそれは、確かにそのモノから発せられる声。
覚えのある声に紅は目を細め、妖気のナイフを消して影との距離を取った。
「あぁ。尤も、妖怪である私達にとってはほんの一瞬のような時間だがな」
『確かに』
「本題に入るがいい。私は魔界を牛耳ろうとするお前のように暇ではない」
『魔界の頂点に立つ事が「暇」か…お前らしい考えだ。
どうやら、人間界と言う場所もお前に変化を与える事は出来なかったらしいな』
向こうで笑っているらしい声が届くが、紅の表情が変わる事はない。
『蔵馬は元気にしているか?』
「…この場に姿がないことを喜ぶがいい。貴様に蔵馬の名を軽々しく呼ぶ権利を与えた覚えはない」
『声に怒気が含まれたな。相変わらず、お前の感情を揺るがすのは蔵馬一人か』
いっそモノを破壊してしまおうかと思った。
しかし、紅はその苛立ちを表面に出さず、淡々と続きを待つ。
『蔵馬の力を借りたい。お互い、色々と昔話もあるだろう?』
「…勿体振らずに言ったらどうだ」
『取引といこうか、佐倉』
漸く本題か。
紅はやや呆れた溜め息を吐き出しつつ、それを聞くべく意識を改める。
影が去り、その場には紅一人となる。
いや、本当に彼女一人なのではなく―――姿を見せているのは、彼女一人と言うだけの話。
この場所に来てからと言うもの、常に自分に向けられている目線に気付いていた。
黄泉との話が終わり、一段落した今、それを無視する必要もないだろう。
「出てきなさい。さっさと済ませたいのよ」
気配のする方へと声を向ければ、やや迷いつつも姿を見せる。
先ほどの影は、影らしく真っ黒で姿もよくわからなかった。
しかし、今度の妖怪は酷く妖怪らしい形を紅の前へと見せる。
「躯からの使いでしょう?」
「何故分かる」
「分かるわよ。あなたの持つ言玉に懐かしい妖気を感じるわ」
「…そうか」
どうやら、見た目は醜くとも、先ほどの影よりは頭の柔軟性に期待が出来そうだ
さっさと寄越せ、とばかりに差し出した紅の掌に、コロンと言玉が転がった。
それを一頻り見下ろした後、徐に顔を上げる。
「躯は元気かしら?」
「魔界の全土を治めるべくいきり立っておられる」
「そう。元気なのはいい事ね。彼女によろしく伝えて頂戴」
黄泉の使者の時とは打って変わった態度に、戸惑うのは躯の使いとしてやってきた妖怪の方だ。
ぎょろりとした目が不自然に彷徨ったのを見て、紅はふっと口角を持ち上げる。
「古い友人の使いにまで殺気を向けたりはしない。口煩い妖怪に気付かれる前に帰りなさい」
口煩い妖怪、と言うのが誰を指すのかはわからない。
けれど、彼女の助言を断る理由は、すでに用を終えた妖怪には見つからなかった。
そのまま彼女から視線を逸らす事無く地面を蹴り、やがて気配すらも悟れないほど遠くへと消える。
「躯、雷禅、そして黄泉…まったく、懐かしい顔ぶれね」
魔界に君臨する三大妖怪全てと係わり合いのある紅。
拮抗を保っているうち二人の妖怪とは古い友人と言っても過言ではない。
出会いは昔…紅がまだ佐倉として生きていて、蔵馬とも顔を合わせていない頃へと遡る。
「まさか、黄泉が名乗りを上げるほどに成長するとは思わなかったが…」
これも、ある種の定めなのだろうか。
かつては、彼を部下として鍛えた事もある。
戦闘のいろはを教えたのは自分と言っても過言ではないだろう。
懐かしむように目を細めた彼女は、手に持っていた言玉を真上に放り投げる。
そして三歩ほど後ろに下がった所で、重力に従ったそれが上から落ちてきて地面にぶつかり、そして弾けた。
まるで砂のような中身は、やがて形を成すようにずるずると移動していく。
やがて露になったのは、包帯に包まれた顔は個人を悟らせない妖怪の姿。
その上には呪詛の書かれた札が貼られ、見た目からすればとても友好関係を結びたいとは思わない風貌だ。
『お前がこれを見ていると言う事は、無事に言玉が届いたと言う事だな。喜ばしい事だ』
果たしてその唇が動いているのかさえも分からないが、紅にとってはどうでも良い事だ。
随分と面白い姿をしている、と僅かに口角を持ち上げた。
『もう一人に渡す言玉を作るついでにお前にも作った。こんな姿で申し訳ないが、お前ならば気にはしないだろう』
本来の姿を知っているからこそ、この一言が来るのだろう。
言玉とは玉の中に自身の言葉を送り込んで相手へと届けるもの。
つまりは電話のように相互の遣り取りのあるものではなく、一方的な語りだ。
『久しぶりだな、佐倉。言玉では会っているとは言い難いが…まぁ、いい。数百年ぶりの再会を楽しむのは後だ。
別の名を得たと風の噂で聞いた。近いうちにお前の口から直接聞かせてもらえることを期待している』
思い返してみれば、躯と最後に会ったのは、紅が鬼樹(番外編:HeAvEn参照)に囚われる前の事だ。
それ以来、彼女の活躍を耳にした事はあっても、直接顔を会わせた事はない。
それは彼女にも言えることだったのだろう。
蔵馬と共に名を広めていた紅の存在は、彼女の耳にも入っていたようだ。
『お前は確か雷禅とも馴染みがあると言っていたな。あいつはあまり長くはない。顔を合わせるなら、急ぐ事だ。
先日、魔界でお前の妖気を感じたところを見ると、戻る手段はあるんだろう。一度顔を合わせて話をしないか』
返事は必要ない、と言う言葉を締めのそれとして、躯の言玉は終わる。
シンと静まったその空間で、紅は密かに口元に笑みを浮かべた。
「随分と強引な逢瀬のお誘いね。相変わらずだわ」
彼女と別れてから、蔵馬と出会った。
激変と言っても差し障りないくらいに変わった自分を、彼女はどう思うだろうか。
会った時の反応を思うと、笑いがこみ上げてくる。
「いいわ…会いましょう、躯。ついでに、雷禅にも挨拶をしておきましょうか」
クスリと笑みを零し、紅はその場から去った。
残された言玉の破片が、カラカラと音を立てながら吹く風に乗ってどこかへ消える。
07.06.09