悠久に馳せる想い
青い怪鳥が誰の目にも見える程度の大きさになった頃。
迷いなく飛び降りてくる一つの影があった。
もちろんそれは紅たちの元へと真っ直ぐに落ちてくる。
桑原たちはどちらかと言えばその青く大きい鳥が運んできた人物の方へと意識を向けていた。
対して、紅だけは先ほど飛び降りてきた彼の方を向いている。
その気配から誰を運んできたのか分かっているだけに、そちらはあまり気にはならない。
「母さん!!」
距離にすれば数十メートルは落ちてきたというのに、それを感じさせない軽やかな足取り。
トン、と地面へと降り立つなり、暁斗は紅の元へと真っ直ぐに駆けて来た。
「出雲は!?」
「逃げたわ。この魔界のどこかに居ると思うけれど…」
「くそ…!逃げられた!」
忌々しげにそう吐き捨てた彼に、口が悪いなぁと思いつつもあえて言及はしない。
悔しそうにしているその横顔を見れば、そんな気が起こらないのも無理はないだろう。
「母さん、闇華石の影響は抜けたの?」
「ええ。もう心配しなくても大丈夫よ」
苛立ちを隠し、心配そうに見上げてくる息子にそう声を掛ける。
安心させるように微笑んだのだけれど、納得は出来ていないようであった。
「大体、母さんも馬鹿だよ。何で一人で行っちゃうの!?」
今度は苛立ちの矛先が自分に向けられたらしい。
確かに無鉄砲であったという自覚はあるだけに、紅は苦笑を深めた。
恐らく、一人で出雲を追ったと言う事を幽助から聞いたのだろう。
「闇華石が毒だって分かってるのに、何で…っ!!」
もっと頼ってくれてもいいじゃないか、と訴えてくる彼の目に、薄く涙が滲んできた。
けれど、紅にはそれに対して頷く事は出来ない。
出雲との一件は自分の問題であって、本来ならば彼だけでなく蔵馬だって巻きこみたくはないのだ。
頷くのは、干渉を認めることになってしまう。
「暁斗…」
「母さんは勝手だ…。心配するなって言ったって、するに決まってるじゃん」
一粒が零れてしまえば、後を止める術はない。
ボロボロと透明の雫が零れるのを見て、紅は胸を痛めた。
「目が覚めたら母さんだけじゃなくて父さんまで居ないし、追ってみれば二人とも魔界に行ったって…っ」
目が覚めて、幻海師範から二人が先に洞窟の奥へと向かったと聞いた時の想いがこみ上げてくる。
置いていかれた、その寂しさと、気絶させられる前の紅の様子を思い出して案じる心と。
その二つが複雑に入り混じったあの感情は、どうしようもなく自身を焦らせるものだった。
匂いと父の残していったと思しき魔界の草を頼りに進めば、漸く彼らに追いつくことが出来た。
それなのに、やはりそこにも父と母の姿はなく、今しがた到着したと思しき霊界の奴らには攻撃されかける。
妖気の名残が魔界に繋がった穴へと通じているのに気付くと、迷う事無く飛び込もうとした。
そんな彼を止めるように立ちふさがったのが、胸に穴を開けたままの幽助だったのだ。
「幽助に出雲を追ったって聞いて、どれだけ心配したと思ってるの…っ!?」
父が一緒であったならば、まだ少しは安心できた。
それなのに、大事な母は彼すらも置いていったというではないか。
心配するな、と言われて素直に頷ける方がおかしいと思う。
「馬鹿だよ、母さん…」
ごしっと涙を拭いながら、暁斗は先程よりも小さな声でそう言った。
魔界で言えば彼の年齢は十分に独り立ちしている年齢だ。
しかし、そう言っても容姿からすればまだまだ子供。
一度置いていかれているという事実も手伝って、彼はその手のことに関しては酷く臆病になっているのかもしれない。
見た目の相応に子供のようにしゃくりあげだした彼に、紅は静かに近づいた。
そして、その小さな身体を抱き上げる。
その小ささに、そこらの大人の妖怪にも負け劣らない実力を持っている彼だけれど、やはり子供なのだと実感する。
「ごめんね」
もう子供じゃない、そう言った蔵馬の言葉に、自分もその通りだと思っていた。
けれど、暁斗は自分達が思っているよりもずっと子供で、親の存在が必要なのかもしれない。
強がっているその姿だけを見て、大丈夫だと過信してしまっていたのだろうか。
紅は暁斗と同じ年齢の頃には、すでに親元を離れて己の身一つで生きていた。
聞いた話では蔵馬は親の顔すら知らないと言うのだから、二人がそう思ってしまっても無理はないだろう。
縋り付いて来る彼の背中を撫でながら、紅は自身の考えを改めた。
まだ、死ねないのかもしれない。
せめて彼が本当の意味で、一人で生きていけるようになるまでは。
不意に、妖気の揺れを感じた紅はトンと地面を蹴った。
その際、腕に抱いた暁斗を落とさないように僅かに腕の力を強める。
突然の動きに驚いた彼の腕が紅の首に絡まった。
「まったく…傍迷惑な戦いね」
先ほど彼女が立っていた位置には大きな亀裂が入っていて、あと一秒遅ければその亀裂に飲み込まれていた。
にも関わらず紅は冷静にそう呟く。
そして、今までは幽助と仙水の戦いに意識を向けていた蔵馬がこちらに向かってくるのに気付いた。
「紅、暁斗を」
そう言われて紅は素直に暁斗を彼に手渡す。
だが、蔵馬は次の瞬間には暁斗を脇に放り投げるではないか。
これには放り投げられた本人だけでなく、紅も予想できなかった。
「わふっ」
受身を取ろうとクルリと反転させた身体は、予想外の壁に背中をぶつける。
だが、それはふわりとした柔らかさを持ったもので、怪我は無かった。
「何すんだよ、父さ……わっ!こら、鳥!人を咥えるな!!」
蔵馬に文句を言う前に、彼は先ほど自分を運んでもらっていた大きな鳥によって首の後ろを持ち上げられている。
子猫を運ぶ時のようにひょいと彼を咥えると、その鳥はバサッと翼を羽ばたかせた。
ぎゃあぎゃあと文句を言う暁斗を見ていた紅もまた、蔵馬によって腕を引かれる。
「蔵馬?」
「じっとしていろ」
短く言われたかと思えば、膝裏に腕を回されて抱え上げられた。
こうして抱き上げられる事はあまり珍しいことではないので、慣れた様子で彼の首に己の腕を絡める。
それを確認した蔵馬は、迷いなく地面を蹴った。
それにあわせるように、その身に纏っていた浮葉科の魔界植物が羽ばたく。
「どうしたの?」
「幽助たちが派手に戦っているからな。あそこは危ない」
「あぁ、なるほど…」
そう言う事ね、と下で争う彼らを見やる。
確かに、瞬く間に巨大な岩が破壊されていくのが見えた。
彼処に居れば、害を被った事は言うまでもないだろう。
彼らの戦いに集中しながらも自分達を忘れなかった蔵馬に、紅は感謝の代わりに頬に唇を寄せた。
軽いリップ音と共に唇が離れ、同時に視線も外される。
やがて、場を移す彼らを追って、紅たちもまたその場を後にした。
幽助と仙水の戦いは、今までの激しさが嘘のように呆気ない結末を迎えた。
いや、一度死んだ幽助が妖怪として生き返った時にすでに、この結末は決まっていたのだろう。
突如として爆発的に跳ね上がった彼の妖気は、紅ですらも寒気を感じるほどであった。
彼の渾身の一撃により致命傷を受けた仙水。
そこで初めて己の体が病に冒されていたことを、彼を追ってきた樹によって明かされる。
余命がすでに長くない事を理解した彼は、ただ魔界が来たかったのだと言った。
「魔界など…見ても面白いものでもなんでもないのに…」
一番後ろでその様子を眺めていた紅は、すでに息のない彼に向けてそう呟いた。
恐らく、その声は傍らでギュッと着衣を握り締めていた暁斗にしか届かなかっただろう。
霊界には行きたくないと言う仙水の願いにより、樹が彼を亜空間へと連れていく。
二人が去ったその場には、重い沈黙だけが残った。
それから幽助の妖力が爆発的に増幅された時の原因が明かされ、彼はその原因を探すと言い出した。
しかし、それを止めたのは他ならないコエンマ。
魔界の穴が塞がる前に人間界に帰らなければ、帰れなくなると言う。
「お前に40時間やる。それで決めるんだ」
そう言ったコエンマに対し、幽助は迷う事無く答えを出した。
07.05.19