悠久に馳せる想い

この程度の高さならば、高所とは思わない。
人間界よりも少し重く感じる重力を味方につけて、紅は真っ直ぐに断首台の丘へと降りていく。
その速度からすれば、降りて…というよりも落ちてといった方が正しいのかもしれない。
己の金の髪が空へと泳ぐのを鬱陶しそうに払い、胸の前で手を構える。
ボール一つ分ほど間を空けて固定したその中心部に、突如赤い渦が巻き起こった。
それはぐるぐると激しく渦を巻きながらやがてソフトボール大の球へと成長する。
並みの妖怪ならば、指先一つでも触れようものなら分子レベルで破壊されるほどの妖気が圧縮されている。
薄いガラスの球の中で赤い嵐が暴れまわっているようなそれを見下ろした。
そして、それが安定したのを見計らい、仙水へと視線を動かす。
こちらの動向に注意していたのか、彼も上を見上げて新たな気の塊を構えていた。
それが放たれるのとほぼ同時に、紅もまた己のそれを一直線に彼へと放つ。
真っ直ぐな軌道を描いて上と下から向かい合うそれ。
ぶつかり合う所での爆発を予想した桑原や飛影が僅かに身構えるのが見えた。
しかし、それは予想外に爆発も何も起こさない。
ただ、仙水の放った方のそれが、紅のそれとぶつかり合った瞬間に忽然と消え失せたのだ。
無論、彼女の妖気はまだ生きていて、軌道を逸らす事無く仙水を目指す。
流石の彼にもこればかりは予想外だったらしく、目を見開いてその接近を待つしかなかった。
やがて、彼を中心に爆発が起こる。













トン、と軽やかに地面へと足を下す。
落下中の勢いは、妖気の逆噴射である程度緩和してあった。
未だに砂塵は治まりを見せず、仙水の姿を確認する事は出来ない。

「初めから全力だな」

隣に降り立った蔵馬の言葉に、紅はそちらへと顔を動かす。
そして、風の所為で乱れたらしい髪を梳いてくれた彼の手の動きに僅かに目を細める。

「あなたに怪我を負わせるあの男を低く見るつもりはないの」

己が誰よりも信頼し、そして認める夫をここまで傷だらけに出来る男が弱いなど、どうして思えようか。
紅の言葉に蔵馬は僅かにその口角を持ち上げた。
それから、近くで地面に膝を着いていた桑原と飛影を見つける。

「大丈夫か?」
「…フン。この程度、大した事はない」

流石は飛影。
明らかにふらつきながらも、その態度のでかさを改めない。
そんな彼に苦笑しつつ、紅は懐から絳華石の欠片を取り出し、彼に放り投げる。

「少しだけど、疲労も回復するわ」

持っていた方がいいわよ、と言外に含ませる。
つき返すつもりだった飛影は、先手を打たれてしまう。
仕方なく舌を打ってから、やや乱暴にそれをポケットに押し込んだ。
それを横目で見届け、桑原の元へと歩く。
妖怪である飛影とは違い、人間である彼には酷い怪我が目立つ。

「満身創痍ね」

彼の場合は、放り投げる事無くその掌に握らせる。
痛みに眉を顰めつつそれを受け取った彼は、紅の向こうで徐々に晴れつつある砂塵を顎で指す。

「や、やったのか?」
「まさか」

ヒュォ、と魔界独特の肌を刺す風が吹く。
それに乗って砂塵が消えたそこに、紅以外は思わず息を呑んだ。
まるで隕石でも落ちたかのようなクレーターの真ん中に佇む仙水に、目だった外傷はない。
例としてあげるならば…彼の纏う鎧、気鋼闘衣が僅かに破れている程度。
紅以外の三人からすれば、それを破った事だけでも驚くべき事だ。
何しろ、自分達が三人束になってかかっても、かすり傷一つ負わせる事は出来なかったのだから。

「ふ…。流石は佐倉…と言ったところか。出雲の言っていた通りだな」
「予想通り、馬鹿みたいに硬い鉄壁の守りね」

呆れを含ませた声色で紅がそう吐き出す。
全妖気を込めた攻撃ではなかった。
だが、十分すぎる妖気を込めた事だけは確かだ。

「君とならば全力でやれそうだ」

穏やかにそう言うと、彼は体勢を僅かに低くする。
明らかな攻撃への構えを前に、目を細める紅。
彼女自身は構えを見せたりはしなかった。
瞬きの間に仙水が巨大化する。
いや、彼の身体が大きくなったわけではなく、その距離が縮まったのだ。
その拳が紅へと届くかと思われた瞬間、パンと赤い結界がそれを阻む。

「…なるほど」

仙水は引っ込めた自分の手を見下ろしてそう呟いた。

「弾き飛ばすのではなく、吸収するのか」
「ご明察。尤も、これはあなた専用に築いた結界だけれど」

普段は弾き飛ばすだけで十分だ。
だが、彼に限ってはそれだけでは結界を突き破られる可能性がある。
だからこそ、相手の力を吸収して己のそれに変換してしまうような…そんな結界を生み出した。
結界妖怪、そう呼ばれるほどの彼女だ。
数種類の結界を作り出すことくらいは呼吸に等しい。
先ほど彼の放った気と紅の妖気の球とがぶつかり合った時に彼のものが消え失せたのも、同じような仕組みである。

「頼む、紅!浦飯の仇を取ってくれ!!オメーならやれるだろ!?」

縋るような声が聞こえ、紅は目を伏せる。
それに対する答えの声を発する事は難しかった。
その切羽詰った声を思えば、Noとは言い難い。
だが、Yesと言うのも、現実を見れば不可能。
こちらが傷つけられる事はないにせよ、自身の妖気の最大量を考えれば、仙水に致命傷を与える事は難しい。
それが分かっているからこそ、紅は桑原の言葉に対する答えを持っていなかった。
ただ曖昧な視線を返すのみにとどめ、すぐに視線を戻してしまう。
そんな彼女を見て、蔵馬は僅かに眉を潜めた。

「ま、やれるだけはやってみるけれど…ね」

金の前髪に指を通しながら、紅はそう言って肩を竦める。
そして、手首に巻かれていた糸を解くと、その金糸を結い上げた。
それでもなお腰を超える長さなのだが、纏めずに流しているよりは邪魔にならないだろう。

「本気か…」

稀に見る彼女の様子から蔵馬はそれを悟る。
二人で共同戦線という手もあるのだが、恐らく彼女がそれを嫌がるだろう。
何だかんだ言っても、彼女も戦闘が好きな部類に入る。
一対一の真剣勝負に手出しは無用。
彼女の背中がそう語っているような気がして、そこから動く事を憚られる。
尤も、彼女にある程度癒してもらったとは言え、身体がボロボロである事に変わりはない。
動いた所で、結局は邪魔にしかならないだろう。
どんな真剣勝負であったとしても、自分の存在があれば彼女はそれを庇わずには要られない。
もちろん、それは自分にも言えることだったが…。

「出雲の標的に手を出すわけにはいかないんだがな…」
「二度も攻撃を仕掛けてから言う台詞じゃないわね」
「それもそうだ。出雲との感動の再会は終わったのかい?」
「さぁ、どうかしら。終わっていてもいなくても、あなたには関係ないでしょう?」

慣らすように、指を握ったり閉じたりする。
その先に生え揃った爪は掌側から見てもその鋭さが伺える。
やがてそこに赤い妖気を纏わせると、紅は地面を蹴った。
そして、即座に構えを見せた仙水に向けて真っ直ぐに走っていく。
防御のために持ち上げた腕にその爪がつきたてられる―――そう思った、まさにその瞬間だ。


紅はゾクリと背筋が逆立つような妖気を感じ取り、仙水の腕の片方を蹴るようにして彼から距離を取った。
その妖気は、仙水から感じたわけではない。
彼も紅同様に、その妖気の発せられている方へと意識を向けていた。
馬鹿でかいそれと共に感じた別の妖気に、紅は思わず目を見開く。
そして蔵馬の方を見れば、彼もそれに気付いたのだろう。
どこか困惑したような表情を見せている。

「目を覚ましたのか…」
「そのようね。…きっと煩いわ」
「安心しろ。紅だけじゃない」

寧ろ、自分に対しての方がより煩いだろう。
それを予想して、蔵馬は短く息を吐き出す。
最早、紅や蔵馬…そして飛影や桑原。
誰一人として、死と言うものを思い浮かべては居ない。
人間界から繋がる穴の方から近づいてくる大きな鳥。
その姿を、素晴らしい視力で捉えると、紅は僅かに口角を持ち上げる。

07.05.06