悠久に馳せる想い

蔵馬から、自分が去った後の話を聞いた紅は、静かに「そう」と呟いた。
感情が揺れなかったわけではない。
ただ、言葉が見つからなかったのだ。

幽助は死んだ。

蔵馬にそう告げられ、紅の思考は一時とは言えその動きを停止させる。
死ぬんじゃない、そう言ったのに。
結局は、その言葉も無駄になってしまった。
幻海が死んだ時ほどに哀しいとか寂しいとかは思わない。
けれど、どこか胸に穴が開いたように感じてしまうのは…自分も、人間界に染まりつつあると言う事だろうか。

「それより、仙水と一緒に来たなら…放っておいていいの?」

紅は思い出したようにそう問いかける。
その言葉に、蔵馬は今思い出したかのように僅かに耳を動かした。

「…忘れてたのね」
「戦闘中に紅の妖気を感じたからな。思わず飛び立っていた」

仙水を倒すことよりも自分を優先してくれた事は嬉しい。
けれど、忘れてしまって大丈夫なのだろうかと不安になった。
聞けば、飛影と桑原まで一緒だと言うではないか。
彼らが無事なのか…それだけが、気がかりだ。

「急いだ方が良さそうだわ。随分生命反応が弱くなってる」

暫し沈黙してから、紅はそう呟いた。
小さな声ではあったけれど、それは確かに彼の耳に届けられる。
紅は、自身の腰を抱く腕に力が篭ったのを感じ取った。
それに答えるように、何を言われずとも彼の首に回した腕に先程よりも少しばかり強い力を込める。
彼は首に回された彼女の腕を見下ろした後、降下を始めた。
もちろん、高所恐怖症の紅に必要以上の恐怖を与えないギリギリの速度で。















近づくに連れて、紅は明らかに妖気とは違う種類の気を感じ取り、ゾクリと背筋を逆立たせる。
自分とは真逆に位置するようなそれに、自然と身体が強張りを見せたのだ。
それに気付いたのか、蔵馬は下へと向けていた視線を彼女に向けて動かす。

「大丈夫か?」
「…平気」

そう答えるが、とても平気には見えない。
だが、紅は彼の視線に答えるように薄く微笑んだ。
そして、すぐ近くにある蔵馬の頬へと唇を寄せる。

「道理であなたが血塗れなのね」

ぺろり、と舌で頬についていた傷を舐める。
まさかその方法で治されるとは思っていなかったのか、蔵馬は目を瞬かせた。
傷口から流れていた血が頬を濡らしていたが、それも今は紅によって綺麗に舐め取られた。
少々場違いだが、まるで見境なく甘えてくる子犬のようだと思う。

「絳華石を使わないなんて…珍しいな」
「…遠隔操作は少し難しいの」

紅の答えは、彼女をよく理解している者にしか分からないものだった。
蔵馬は彼女の答えを聞いてすぐ、自分が向かっている方を見下ろす。
何秒かに一度派手な破壊音が聞こえ、まだ戦闘が続いている事は明らかだ。
目を凝らしてみれば、確かに見える。

「飛影と桑原くんに使っていたのか…」

蔵馬は、感心したようにそう呟いた。
気づいてくれた事が嬉しいのか、紅は頷きながら笑う。

「私の妖気に気づいて来てくれた、そう聞いた時、すぐに」

姿を確認せず、渡してある絳華石を辿って結界を張るというのは、かなり高度な技術が必要となる。
無言のままにそれをやってのけた彼女の実力を改めて感じる蔵馬。
しかし、いくら紅でも、その遠隔操作と共に蔵馬の傷を癒す事は出来ないようだ。
仕方なく、自身が持っている治癒力で顔についている傷だけでも癒そうと考えたらしい。
時間をかければ他の部分も癒す事は出来るのだが…本当に時間が掛かるのだ。
今はそれをすべき時ではない。
それが分かっているからこそ、紅は顔だけを治した。

「桑原の気配が風前の灯だわ…。飛影もあまり変わりはないけれど…」
「それは心許ないな。すぐに行かないと」

クスリと小さく笑い、蔵馬は再び降下し始める。
そんな彼に、紅は首を傾げて問いかけた。

「随分安心しているのね。これだけの力を持った相手なんだから…死ぬかもしれないわよ?」
「あぁ、そうだな」
「どうして?」

死ぬかもしれない、と分からないわけではないだろう。
それなのに、より笑みを深める彼に、紅はそう質問を重ねた。
その質問を最後まで紡ぎ終えるや否や、顔を上げた蔵馬はその目に紅を映す。
そして、己のそれで彼女の唇を掠め取った。

「紅がいるから…だろうな。例えこのまま死ぬんだとしても…紅も一緒だろう?」

そう言って今度はその目尻に唇を落とす。
くすぐったそうに身を捩った彼女は、思わず苦笑いを浮かべた。

「さっきまでは死ねないと思ったんだがな…」
「私が出雲を追って離れていたから?」
「あぁ。お前が居ない所で俺が死んだら…悲しむだろう?」
「…当たり前よ。何があったとしても、その原因を殺すわ」

はっきりとそう答えた彼女に、蔵馬は笑って「だから置いて逝けない」と呟く。

「このまま死ねば暁斗を置いて逝くことになるわ」
「あいつはもう子供じゃない。親の死だって乗り越えられるさ」

あの容姿のどこを見て、子供ではないと言うのだ。
他の者が聞けば、そう思うかもしれない。
しかし、紅はそれに同感だった。
長い間離れていたけれど、暁斗はその間に随分と成長した。
もちろん、それは身体的な面ではなく…精神的な面で、だ。

「生きる事を諦めたわけじゃない。だが…紅が一緒なら、死んでも別に構わない―――そう思ったんだ」
「…死なせないわよ。例え、他の誰が死んだとしても」
「頼もしい答えだ」

そう言ってもう一度目尻に唇を落とし、この話は終わりだと視線を逸らした。
本当に不思議なものだと思う。
先ほどまでは何が何でも死ねないと、そう思っていたのに。
紅の身体を腕に抱いている今は、その考えはなくなっていた。
だが、それが油断に繋がるわけではない。
肩の力が抜け、本来の自分と言うものが顔を見せているのだ。









漸く飛影、桑原、そして仙水の姿をその視力で捉えることが出来る距離になった。
と同時に、その内の一人から強大な気の塊が放たれる。
思わず構えた蔵馬に、紅は彼の肩に手を置くことでそれを制した。
向かってくるそれはチリチリと肌を焦がすような錯覚を起こすほどに、すさまじい気が込められている。
だが、それは二人にある程度近づいた所で、バンッと弾け飛んだ。
紅の結界に阻まれたのだ。

「これだけ近ければ遠隔操作をする必要はないもの。この程度の攻撃では、結界に傷一つつかない」

そう言って紅は笑う。
確かに、弾け飛ぶ前に一瞬だけ見えた赤い結界は、僅かに形を歪める事すらなかった。
仙水の実力を肌身で感じた経験を覚えている蔵馬は、彼女の結界の強度に思わず苦く笑う。

「相変わらず素晴らしい結界だな」
「あなたにそう言ってもらえると嬉しいわ」

にこりと笑ってそう答えると、紅は彼の頬にキスを送る。
それから、首に絡めていた腕を解いた。
先ほどの攻撃に構えを見せていた蔵馬は、離れようとするその動きに僅かに出遅れる。
気付いた時にはすでに彼女はその腕をすり抜けていた。
そして、そのまま重力に従って彼らの元へと降りていく。
この程度の距離ならば、もう高所とは感じないようだ。
小さくなっていく彼女を追うように、蔵馬もまた、背中の魔界植物を解いて降りていく。

07.04.26