悠久に馳せる想い
前の出雲を追う事だけを考えていた。
視界の端を流れていく風景など目に入らず、ただ、右も左も上も下もわからぬ空間を飛ぶように移動する。
途中、霊界の連中が張ったらしい結界を通り抜けなければならなかったが、二人には呼吸よりも容易い。
そうして追って来る紅を引き離し過ぎない程度に、出雲が一度だけ振り向いた。
「なぁ、佐倉。俺達は光と影みたいだと思わないか?」
不意に、背中を向けて魔界へ魔界へと走る彼が、そう問いかけた。
その言葉が容姿的なものを指しているのでない事くらい、紅には簡単に理解できる。
本質的な…言ってしまえば、魂そのもののような、抽象的な話なのだろう。
「否定は、しない」
「どちらの存在を欠いても、片方だけでは存在し得ないもの。だが…」
くるんと身体を反転させると、彼は走るのをやめた。
それにあわせて紅も速度をゼロにすれば、微妙な距離を挟んで対峙する事となる。
「不完全な二体ではなく、完全な一体を作れば、問題ないよな?」
「…それ以上の力を望む事自体が間違っているとは思わないのか」
「生憎、血の定めだ。お前が変化を望もうと、何十代と続けられてきた運命は不変を望んでる」
「どちらかの命を奪って得た完全が、本当に己の存在に最も大切なものなのか!?」
そう声を荒らげた紅に、出雲は冷めた目を向ける。
そして、唇の動きを最小限に止めて、こう告げた。
「…俺よりも完全に近いお前にはわからない」
「出雲!」
「お前を消して、絳華は俺が貰う。それで終わりだ」
ビキビキと音を立てて彼の爪が長くそして鋭く変化する。
話を聞いていないわけではない。
だが、受け入れるつもりなど初めからなかったのだろう。
聞く耳を持たない彼に、紅は小さく舌を打った。
「完全でなければ存在してはならないのか!?」
「黙れ!居場所を得たお前と、闇華に蝕まれ続けてきた俺が同じ結論に達する事ができると思うのか!」
出雲が勢いよく腕を振れば、空間を裂くように発生したカマイタチの一種のようなものが紅へと迫ってくる。
彼女はその場で微動だにせずにそれが近づいてくるのを見て目を細める。
やがて、それは彼女の肌を裂く前に赤い結界によって弾け飛んだ。
「―――…お前は、
「ハッ!あんな大婆の話、聞くわけがないだろ」
「闇華と絳華を持つ者は、今まで何十代と命の取り合いを続けてきた。
最後はどちらかの命を犠牲に、完全を手に入れる。そんな馬鹿げた事を、もう何百年も続けている」
「あぁ、そうだ。だから、俺達の代だって何にも変わりゃしねぇ。歴史は繰り返される、それだけだ」
嘲るようにそう言って、彼は己の手を見下ろす。
すでに、手の甲には何本もの黒い模様が走っている。
迷いを抱く時間も、未来に縋る時間も―――ない。
「生きる為に奪う。それだけだろう」
「今までの華持ちの狐は、皆全く別の場所で生まれ、血の定めにより長い寿命の中で出会い、そしていがみ合った」
華持ちの狐、と言うのは闇華・絳華そのどちらかを核とする妖狐の事だ。
闇華石、絳華石を生み出すことの出来る妖狐は、魔族の心臓である核が、闇華・絳華と呼ばれるもので出来ている。
つまり、紅は絳華を、出雲は闇華を、それぞれの核として生きているのだ。
「私達は今までに例を見ない華持ちの狐だという事を、お前は知らないのか」
「…例にない、それがどうした?」
「今までの不変の螺旋を解けるかもしれないと言っているのだ」
「馬鹿馬鹿しい。かもしれない、なんて戯言を抜かしている暇があったら、生き延びる努力でもしたらどうだ。
俺がお前を殺すか、お前が俺を殺すか。未来は二つに一つだ」
静かな、けれどもどこか熱い出雲の言葉に、紅は目を伏せる。
そんな彼女の様子に、彼は長く溜め息を吐き出した。
「ガキの頃、お前だって納得しただろ!今更、俺に同情しようって言うのか!数百年魔界に封印したお前が!?」
「あれは…」
「…今更、何を聞くつもりもねぇ。たとえ、お前が数分早く生れ落ちた姉だろうが…関係ない」
―――姉、と言う言葉に紅は僅かに眉を潜める。
今までに、出雲を弟だと思った事はない。
だが、血を分けた者であるという事は…本能的に納得せざるを得なかった。
正真正銘、出雲と紅は双子の姉弟。
長い歴史の中で命をかけた華の奪い合いを繰り返してきた華持ちの狐が、血を分けた者であるというのは今回が初めてだ。
「これ以上の問答をするつもりなら…殺す。無論、お前の一番大事な奴から、だ」
「蔵馬は殺させない。だが…私は、お前も殺さな―――」
紅の言葉は最後まで紡がれる事なく宙を彷徨った。
一瞬のうちに距離を詰めた出雲の腕が、彼女の腹部を貫く。
痛みに慣れているとは言え、それを感じないわけではない。
彼女の赤い唇がより深い赤に濡れる。
「甘いよ、お前は」
ずるりと腕が抜けていく感触。
赤く濡れた手を見下ろし、出雲はより一層冷めた目で彼女を見た。
「…馬鹿馬鹿しい。仕切りなおしだ。…次に会うまでに…その甘い考え、魔界の死の谷にでも捨ててきな」
言い終わるが早いか、彼はトンとそこを蹴って走り出す。
風のように音もなくその背中が遠ざかり、やがて消えた。
紅は赤く濡れた口元を拭い、腹に手を添える。
見事に貫かれた筈の傷口は、すでに赤い結界を纏って癒え始めていた。
本来の姿である佐倉に戻っている今の紅は、あの程度の傷で命を落としたりはしない。
「弟…か」
去り際に揺れた、自分と同じ色の髪を思い出す。
どう言う訳か一族はずっと金色の髪が続いていた。
自分の代になって、子供もそうなのだろうと思ったものだが…現実は、夫に似た見事な銀髪。
それに拘っていたわけではないけれど、血や歴史などこれからの未来には何も関係ないのだと理解した瞬間ではある。
暫く動かずにじっとしていれば、傷は完全に癒えた。
破れてしまった服まで元通りになったが、その上に染み込んだどす黒い赤だけは消えない。
それを指先でなぞると、彼女は出雲が去っていった方へと進み出した。
亜空間を抜けて、まるでゴミ山に吐き出されるゴミのように魔界へと落ちた。
眼下に広がった光景に、それまで澄ましていた紅の表情が固まる。
否応無しに耳に入ってくる風の音。
同時に感じる、この世界の重力。
それに従った身体の向かう先など、一つしかない。
「―――――――っ!!!」
叫び声さえ、彼女の中に飲み込んでしまった。
長い金髪が風に靡いて、彼女の頭上に金色の帯を作る。
風を受けてバサバサと着衣が忙しなく動くが、そんなことを気にしている余裕はない。
このままでは地面に叩きつけられるとわかっているのに、脳が考えることを放棄する。
「―――っ!!」
一瞬、風の向こうに自分を呼ぶ声がした。
己の耳を疑ったわけではない。
だが、彼がここに居る筈はないだろうという頭の冷静な部分がそう訴えてくる。
「紅!!!」
今度は、確かに聞こえた。
紅は耳を塞いでいた手を解き、硬く閉ざしていた目をゆっくりと開く。
そして声のした方に、銀色を捉えた。
考える暇もなく、そのしなやかな腕を限界まで伸ばす。
そうすると、己の幻覚ではなく、確かにその腕を掴まれる感触を覚える。
落下の所為で起こっていた耳元の耳鳴りが消え、独特の浮遊感の代わりに温かく安心できる腕に包まれる。
迷う事無くその身体に縋り付けば、より強い力で抱きしめ返された。
「無事だったのか!」
「蔵馬…」
目を向ければ、身体に浮葉科の魔界植物を巻きつけた蔵馬が視界に入る。
未だ足元は無いと言うのに、それだけで安心できた。
「出雲はどうした?」
蔵馬は彼女を安心させるように、極めて穏やかにそう問いかける。
それに対し、紅はゆっくりと首を横に振った。
「突然匂いを感じたから飛んでみて正解だった。何故紅の方が遅れて来る?」
「…恐らく、亜空間で別のルートを進んだから…でしょうね。それより、あなたがここに居るって言う事は…」
「あぁ。穴は開いた。今頃は霊界の連中が塞ぎにかかっているだろうが…」
「…ご苦労な事。幽助も仙水を止める事は出来なかったのね」
実力の差を考えれば無理はない、そう思った故の言葉だった。
その何気ない一言に、蔵馬の表情が強張る。
そんな彼の変化を彼女が見逃すはずもない。
「蔵馬…?」
「幽助は―――」
07.04.11