悠久に馳せる想い
幽助と仙水の戦いは進む。
手を出す事も何も出来ない桑原たちが焦り、そして騒がしくなればなるほど、紅の心中は酷く冷めていった。
心配していない、と言うわけではない…と思う。
戦闘において、経験の差が結果に大きく結びつくと言う事は、彼女自身も身を持って体験している事だ。
だからこそ、彼らの一挙一動に声を荒らげたり、喜んだりと忙しく感情を起伏させる桑原たち。
彼よりはいくらか冷静に分析できている蔵馬も、心中では彼と同じような感じなのだろう。
赤子の手を捻る…と言うほどではないのかもしれないが、幽助は仙水よりも劣っていた。
裏男の内部からそれを傍観していた紅は、一人最後尾に立って溜め息を吐き出す。
「何故君のような妖狐に出雲が執着するのかがわからないな…」
「気配を消して隣に立つと…間違って殺してしまうわよ?」
声を掛けられたのは突然だけれど、隣に気配を感じたのはもう随分と前の事だ。
蔵馬たちは幽助の様子に夢中で、樹が移動したことには気付いていないらしい。
別に構わないけれど…と思いつつ、紅は隣の彼に視線を投げた。
「出雲のことを知っているの?」
「…昔、魔界で共にいた事がある」
「へぇ、珍しい。あの他人嫌いの出雲が」
純粋な驚きを露にしつつ、紅は前を見据える。
裏男の目となっている部分にかじりつきの状態の彼らの影から、幽助が見え隠れしていた。
まだ動いている所を見ると、ダメージはあれど倒れるほどではないらしい。
「まぁ、気まぐれでしょうけれど。それに…執着に関してはあなたが言えたことではないでしょう?」
「あいつは理由もなく誰かに執着するような男じゃない」
その理由が知りたいんだ。
そう小さく呟かれ、紅は若干呆れを含ませて溜め息を吐き出した。
「何も聞いていないなら、何も知ろうとするな。理由を知りたければあいつから聞け」
「…なるほど。本来の気性の荒さは隠してあるのか…」
「人間の中で生きていくにふさわしい人格を作ったに過ぎない。尤も…あの男よりは軽いけれど」
そう言って紅は今しがた幽助を吹き飛ばした男…仙水を見た。
彼女の言い方に何かを感じ取ったのか、樹の空気が変わる。
「気付いたのか」
「気付かないほど落魄れたつもりはない」
馬鹿にするな、とでも言いたげに彼女の黄金色の目が細められた。
そんな彼女の反応にも、樹は大して焦ったりはしない。
ただ、ふむ…と顎に手をやっただけだった。
「そう言えば、出雲から言付けを預かっていたんだったな」
わざとらしくもそう言う彼に、紅は妙な胸騒ぎを覚える。
体に異常はない。
闇華石は全て出雲によって抜き出された―――そのはず。
ドクン、と心臓が脈打ったのは、この嫌な予感の所為だろう。
そっと胸の辺りに手をやると、紅は視線を持ち上げて『外』を見た。
丁度そこに映るように移動していた出雲と視線が絡む。
その口角をニッと持ち上げ、彼はゆっくりと唇を開いた。
「『ケリをつけたいなら、来い』」
樹の声に、聞こえる筈のない出雲の声が重なったように感じた。
この洞窟に入ってからと言うもの、自分は失態ばかりだ。
今度こそ紅を守らなければと、そう心に誓った筈なのに。
不意に彼女の妖気が高まるのを感じて、漸く気付くとは…あまりに情けない。
心中で舌打ちすると同時に彼女に手を伸ばすが、それは空を掻いた。
自分達の脇をすり抜けた彼女は自身の結界を纏って走る。
「紅!」
その先に出雲が居る事を確認して、蔵馬は焦ったように声を荒らげた。
彼女はあの男の事となると頭に血が上り易い。
いつもの思慮深さなどどこかへ置いてきてしまって、猪突猛進に向かっていってしまうのだ。
それが油断に繋がるのだと知りながらも、理解できていない。
彼女から目を離した自分を悔やんだのは、その背中が易々と裏男を通り抜けてしまってからだった。
彼女の姿が消えると同時に、仙水に馬乗りになっていた幽助を貫く閃光。
崩れ落ちた幽助に、蔵馬はそちらに意識を奪われた。
「裏男なんざ障害でも何でもねぇってのに…随分と甘くなったもんだ。なぁ、佐倉…そんなんで守れるのか?」
「………」
「昔のお前の方が張り合いがあったな」
酷く残念だ、と言いたげな表情で溜め息を吐く。
そんな彼を警戒しつつ、紅は懐から小指の爪ほどの絳華石を取り出した。
そして、トンと地面を蹴って一瞬のうちに幽助らとの距離を詰める。
「まったく、世話の焼ける人間ね…」
そう呟いた時には、すでにその絳華石を彼の傷口に忍ばせた後だった。
その傷が赤みを帯び、やがて瞬きの間に塞がっていく。
仙水の別人格である「カズヤ」の気硬銃により撃ちぬかれた傷口は、完全に消えた。
「紅…さんきゅ、な」
「…あなたの為じゃな―――」
「女ァ――――ッ!!邪魔すんじゃねェッ!!!」
紅の言葉を遮るようにして、気硬銃の銃口が彼女へと向けられる。
だが、それに対して焦る様子もなく、寧ろ平然と冷めたまなざしを向ける紅。
銃口から飛び出したそれは真っ直ぐに彼女の眉間を撃ち抜こうと迫った。
「紅!!」
幽助を背後に庇うようにしたからだろうか。
彼の焦った声が耳に届き、紅は心中で苦笑する。
―――確かに、甘くなったな。
出雲と対峙している最中に別の人間のことを考えるなど…今までの自分ならば、有り得なかった。
当然のことながら、撃ち出されたそれは彼女に届く事無く、闇色の結界に阻まれる。
そう、闇色―――黒い、結界に。
「黒…?」
一瞬浮かび上がったそれを見逃してはいなかったらしい幽助の呟き。
それを気にかける余裕もなく、紅は足元に転がった闇華石の存在に目を見開いた。
だが、彼女が何かを言う前に仙水の身体が側方へと吹き飛ぶ。
「テメェが俺の邪魔すんじゃねぇよ」
静かな、けれども背筋の逆立つような声。
先ほどまで仙水が立っていた場所には、軽く片手を握った出雲が居た。
そして、自分が殴り飛ばした反動で壁にぶつかったままの仙水を見る。
「カズヤだかなんだか知らねぇが、俺との契約を違反するなら容赦はしねぇぜ?」
「…チッ!テメェが言ってたのはあの女のことかよ」
殴られたのが頬だと言う事は、一際派手に腫れたそれが物語っていた。
口元から流れた血を拭い、「カズヤ」と言う別人格である仙水は忌々しげに吐き捨てる。
「おいおい、仲間割れか…?何にせよ、紅が向こうに出られたのはラッキーだぜ」
お蔭で浦飯の怪我が回復した、と冷や汗を拭う桑原。
そんな彼の隣で表情を険しくする飛影は、蔵馬に向けて口を開いた。
「出雲…と言ったな。あの男…お前や俺より…」
「…強い。最盛期でない今、それは否定できない」
一瞬の動きでそれを悟った飛影に驚くよりも、自身の情けなさがこみ上げる。
この場でじっとしているしか出来ない自分と彼女との間に、酷く距離を感じた。
「おい、蔵馬。あの出雲って奴はどっちの味方なんだよ?」
「仙水と俺達、どちらの敵でもない」
「何だよ。じゃあ―――」
「紅にとっての敵だ。あいつの視界に入っているのは紅ただ一人」
ギリ、と唇を噛み締める。
最盛期の自分であったならば、あの場所で彼女を支えることも出来た筈。
こちらを振り向きもしない彼女がそれを拒んでいる事は明白だ。
だが、せめてあの場所に居なければ―――もしもの時にも、何も出来ない。
悔しさに手を握り締めれば、爪が掌を傷つけて血の涙を流す。
「獲物を横取りされたくなけりゃ、テメェが見張ってろよ」
「喚くな、ガキ」
文句を言わずには居られないらしい「カズヤ」の言葉を切り捨てると、出雲は紅を振り向く。
その視線を受けた彼女の表情が険しくなるのとは逆に、彼の表情は楽しげだった。
「場所を変えるか、佐倉」
「…異論はない」
「なら、付いて来い。覚悟が出来たなら…な」
そう言って彼は軽やかに地面を蹴ると、真っ直ぐに穴の方へと向かっていく。
彼がまだ完全に開いていない筈のそこに近づくにつれ、そこに集っていた妖怪が道を開くように左右に割れた。
こいつには敵わない―――本能的にそれを悟っての行動だろう。
「お、おい、紅…?」
「死ぬんじゃないわよ、幽助」
立ち上がった紅は幽助に呼び止められた。
だが、彼女はふわりと柔らかく微笑むと、それ以上は何も言う事無く地面を蹴る。
黒い結界を纏った出雲が穴の中へと消え、そして彼女もまた、赤い結界と共に穴の中へと身を投じたのだった。
―――行くな、と言う叫びは彼女には届かない。
07.03.16