悠久に馳せる想い
何度も分岐点を過ぎ、洞窟内に響く足音は続く。
「約50m先で大きく左に曲がる。そこが中心だ!」
御手洗の言葉に、各々の空気が戦闘のそれへと変わる。
蔵馬は腕の中の紅を見下ろし、そして彼女の耳元へと唇を寄せた。
「紅」
小さくその名を呼べば、その瞼が揺れる。
そうして、彼女の金色の目が薄く開かれた。
「穴の中心だ。わかるか?」
「…ええ」
「出雲もそこに居るだろう。俺が奴を止めるから、その間に…」
「…やめて。あの男は…私の獲物よ」
ぐっと彼の腕を押して、紅は自身の足を地面へと向ける。
その行動に彼の制止の声が飛ぶが、彼女はゆるく首を振るだけだった。
折れる様子の無い彼女に、蔵馬は苦渋のそれを浮かべて彼女を下ろす。
「紅?もう大丈夫なのか?」
そう問いかけてしまってから、幽助はハッと気付いた。
彼女の血色の悪い頬を汗が伝う。
普段は精悍なそれを浮かべている筈の表情は硬く、決して楽になったわけではないと言う事を悟った。
何度か浅く息を吐き出す彼女に、幽助は蔵馬の方へと身体を寄せる。
「どう言う状況なんだよ、紅は…」
「………瞼を動かすだけで全身を出刃包丁で突き刺される痛み…って言えば、わかるか?」
そう答えられて、幽助はそれを想像する。
そして、青褪めた様子で表情を引きつらせた。
一体どんな痛みに堪えているんだ、と信じられないものを見るような目で彼女を見る。
何度か呼吸を繰り返す事でその痛みを軽減させたのか、紅は頼りなく一歩を踏み出した。
「…そんな状態で何が出来るんだよ?」
素直に、蔵馬に頼ればいい。
その思いをこめた幽助の言葉に、彼女は冷たい眼を返した。
「それがどれほど危険な事か…。何も知らないあなたに指図される覚えはない」
出来る限る唇を動かさないようにそう答える彼女の声は凍てついていた。
心配すらも遮断するそれに、彼は少しばかり疑問を覚える。
何故、ここまでして二人は自分達に隠すのか。
危険だから、と言う理由だけで一切を聞かされないと言うのは気分の悪いものだ。
納得出来ない、そんな表情を浮かべた彼の肩を叩き、蔵馬は首を振った。
「何も言う事がないんじゃない。言わないんだ。幽助、これは人間が口を出せる問題じゃない。飛影、君もだ」
飛影から向けられる視線に気付いていたらしく、蔵馬はそう付け足した。
人間である事が除外される原因だとすれば、自分は何も出来ない。
心中で唇を噛む幽助に、蔵馬はそっと溜め息を吐き出した。
出来る事ならば、出雲とのいざこざは魔界の中に止めておきたい。
すでに相手が人間界に来てしまっているのだから、今更どうしようもないのだが。
数歩足を進めていた彼女の隣へと急ぎ、ふらついた身体を支える。
「蔵馬…ごめんなさい」
「いや、わかってるから」
巻き込みたくないと言うその思いは、ちゃんとわかっているから。
言外にそう含めた彼の言葉に、紅は目を細めた。
『出雲が動いて…もし危険なら、幽助たちを守って』
不意に脳内に直接届いたそれに、蔵馬は彼女の方へと視線を向ける。
だが、素知らぬ顔で隣を歩く彼女。
何も気付かせるな、と言う事らしい。
『わかってる』
『…手出しは無用だから』
『もし君の命に関わることがあれば、それは断言できない』
そう答えれば、彼女の目が不満を訴える色を宿して蔵馬を見上げた。
しかし、これだけは彼にとっても譲れない所だ。
首を横に振って聞かない蔵馬に、彼女は渋々引き下がった。
『…命に関わる時だけよ』
何ひとつ知ることを許されない幽助たちと、制限はあれど手を出すことを許された自分。
その間には取り払う事のできない壁がある。
それを感じると同時に、小さな優越感のようなものを覚えた自分に苦笑した。
彼らに対してそれを感じても意味はないと言うのに。
やがて、歩く足元が懐中電灯のそれではない明かりに照らされる。
漸く、一行は目的地に到着した。
広い空間に居たのはあわせて5人。
今回の首謀者である仙水と、魔界の穴を開いた樹。
囚われの身である桑原、そしてそれを監視するグルメこと巻原。
そして―――
「よぉ、餞別は受け取ったらしいな。随分顔色が悪いぜ?」
自分の身長ほどもある岩の上に腰掛け、彼、出雲はそう声を発した。
彼が口角を持ち上げるのにあわせ、その頬に入った黒い模様が歪む。
それを視覚で確認したとほぼ同時に、彼の姿は消える。
いや、幽助たちからすれば、そう見えただけの事。
紅は彼の動きを読み取り、後方へと飛んでいた。
ザッと地面に足をつけ、その場に崩れ落ちる。
「(痛みの回りが早い…っ。)」
瞬時に全身へといきわたったそれに、彼女は忌々しげに眉間に皺を寄せた。
先ほどまで彼女が立っていた場所に降り立った出雲は、彼女の様子に「ふぅん」と呟く。
「相変わらず、効果は絶大か…」
そんな事を呟きつつ、大股で彼女へと歩み寄る。
途中で自身の進行を遮った蔵馬に、彼は肩を竦めた。
「どうせそいつに手出しを止められてんだろ。大人しく下がってろよ、旦那」
「生憎、彼女の許可は得ている」
命に関わる時、と言う制限つきだが、それが今でないと言う保障はない。
下がる様子の無い蔵馬に、出雲はその口角を持ち上げてスッと腕を向けた。
一気に警戒心を露にする彼に対し、躊躇う事もなくその肩にポンとそれを乗せる。
「大事な女の毒を抜いてやろうってんだぜ?下がれよ、ガキ」
一瞬、視界に映る景色が揺れた。
蔵馬は自身の身体が木の葉のように宙を舞っていることに気付く。
クルリと身体を反転させて地面へと降り立った時には、すでに出雲は紅の前に膝を着いていた。
「弱った奴を殺っても面白くねぇからな」
そう言って彼女の額に人差し指を触れさせる。
そこに集うように彼女の体の各位から皮膚一枚下を黒い模様が走り、その指先に飲み込まれていく。
やがて最後の尾が彼の身体を走っていったところで、出雲はその指先を離した。
あれほどに乱れていた呼吸が整っていく。
紅はそれを感じ取ると同時に目を開き、自身の爪にその妖気を集めた。
だが、出雲の顔を横に切り裂くように動かしたそれは、空を掻くだけに終わる。
ひらりと飛んだ彼は再びあの岩の上にトンと降り立った。
その頬を一筋の赤が流れる。
「…へぇ。傷つけられるとはな…」
どこか楽しげな声でそう言い、彼はそこに腰を下ろす。
すでに立ち上がっている彼女に、今までの弱りきっていた名残は見当たらない。
鋭く自身を射抜くその眼差しの強さに、彼はニィと口角を持ち上げた。
「俺との決着は、そこにいる人間の話を聞いてやってからでも遅くはねぇだろ?」
彼がそう紡ぐと、その岩ごと黒い結界に包まれる。
それを破って彼に攻撃を仕掛けることも出来るが、それにはまだ万全でない体調を整える必要があった。
出雲を睨んでいた視線を落とし、紅は身体の力を抜く。
確かに、遅くはない。自分達は仙水を止めるためにここに来たのだ。
そう自身に思い込ませ、そのいきり立った心を静めた。
「いい余興を見せてもらったよ。こんな馬鹿げた映画よりも、実に興味深い」
機を見計らったような仙水の言葉に、紅と出雲に向けられていたそれが仙水へと集中する。
かくして、流れは出雲の望み通りに進もうとしていた。
07.02.07