悠久に馳せる想い
立ち入り禁止、の看板が有刺鉄線によって柵に固定されている。
それをひょいと飛び越え、一行はぽっかりと口開く洞窟の前へと立った。
独特の湿った空気が鼻をかすめ、暁斗は軽く眉を寄せる。
何も聞き逃すまいと集中しているのか、彼の耳はあちらへこちらへとしきりに動いていた。
こんなにも気を張り詰めていては最後までもたない、そう思いつつも、蔵馬は何も言わない。
敢えて自分で気付かせるつもりなのか、彼の限界よりも先に仙水の元に辿り着けると信じているのか。
彼の心中は、彼にしか分からない。
「ここから樹のいる所まではどの位かかる?」
「注意を払いながら歩けば二時間はかかると思う」
蔵馬の問いかけに、御手洗はそう答えた。
そして、そこで表情に影を落とす。
「何も起こらなければの話だけどね」
その場に居る全員が、彼の言葉に沈黙した。
各々浮かべる事は別だろうが、共通していると言えば「それはありえない」と言う事だ。
ここまで来ると分かっていながら、何も仕掛けられていない筈がない。
「行くぜ」
幽助の声に従うように、一歩を踏み出した。
人間の目では、すでに前方を捉える事ができないくらいの暗さになった。
懐中電灯を持つ蔵馬の隣を歩きながら、紅は突然佐倉へとその姿を変化させる。
完全に変化が終わった所で、彼女はその長い髪を飾り紐で結い上げた。
絹糸のような黄金色のそれが懐中電灯の傍らの闇で光る。
「それが…妖怪の姿?」
不意に、背中からそう尋ねられて紅は振り向いた。
人間の時よりも遥かに良く見える視界では、その表情までもが鮮明に映る。
質問を投げてきたのは、先ほどから分かれ道の度に先導してくれている御手洗だ。
「ええ。仙水から話を聞いていた?」
「…ああ。テリトリーの通じない妖怪が相手に居ると…」
「それなら、私に間違いないわ。あなたの能力も私の前ではただの水遊びよ」
酷い言い様だが、彼女のその強い眼差しからそれに対する不平の声を上げる事が出来ない。
それどころか、そんな事を考えることすらなかった。
絶対的な自信を持っている彼女を前にすれば、自分などただの子供の遊びだろう。
「妖怪なんて…もっと、恐ろしいものかと思っていた」
「あら、あなたの後ろから面倒そうに付いてきている彼も妖怪だし、この子も妖怪よ?」
恐ろしい?と、どこか楽しげに問いかける。
後ろから面倒そうに付いてきているのは飛影で、ポンと肩を叩いて示したこの子は暁斗だ。
今の所妖怪は自分を入れてこの三人だけだが、本来の姿に戻れば蔵馬とて妖怪。
確かに性格が良いとは言いきれないが、それでも『恐ろしい』と言うのは少し違う。
しかし、彼の言い分も尤もだと思った。
今までに人間界で見てきた妖怪に関する資料はと言えば、どれもそう言う考えを抱いても仕方のないものばかり。
事実に忠実なものなど、人よりも多くの本を読んでいるであろう彼女でも、今まで見た事がなかった。
「いや…。樹と言い、君…いや、あなた達と言い、妖怪に対する認識が変わったよ」
「それはいい傾向だわ。恐れは時としていいスパイスだけど…同時に不愉快でもあるから」
クスリと笑うその笑顔は妖艶で、彼はぱっと顔を逸らした。
そんな仕草に、彼女はより一層笑みを深めるのだが、彼自身は気付いていない。
気付いているのは、隣を歩いている蔵馬くらいだろう。
目に見えてではなくとも、それなりに嫉妬深い彼だが、流石に御手洗にその感情を抱くほどではない。
佐倉の容姿を見れば仕方がない、と彼自身も少し苦笑気味に口角を持ち上げた。
彼女のそれは、時にどうしようもなく雄を誘うのだ。
意図しているのか、無意識なのか。
それを彼女に尋ねた事はないが、恐らくは自分で使い分けているのだろう。
絶妙なタイミングで浮かべられるそれに、一体何人の妖怪が堕ちたのか。
今となっては数えるのも面倒だから、その数は迷宮入りだ。
「蔵馬、アカル草の数は大丈夫?」
「あぁ。ある程度考えて持ってきたからな。二往復くらいは余裕だよ」
「用意周到ね」
ある意味、彼らしいと言えるだろう。
そんな返事が返ってくると分かっていながら尋ねる紅も紅だが。
蔵馬は一定の距離を進むと、掌から種を落とす。
地面に落ちたそれは一瞬のうちに根を広げ、そこに花を咲かせた。
アカル草と呼ばれるそれは、闇の中でも自身を見失わない目印のように、それ自身が光を纏っている。
そのお蔭で、今まで通ってきた通路を振り向けば点々とほのかな光が見えた。
いくつもの分かれ道を進んできたが、この明かりを頼りに帰れば迷う事無く外に辿り着けると言うわけだ。
尤も、それが必要なのは人間である彼らだけで、紅や暁斗は匂いや音を頼りに難なく外に出られる。
そうして進む事30分。
懐中電灯の照らした先に、一枚の扉が見えた。
ゲームマスターこと、天沼のテリトリーには、定められたシナリオ通りでなければ入ることが出来ない。
この先に進むには、7人という人数を守らなければならないらしい。
随分なロスになってしまうが、個別に動くよりは…と言う事で、全員が出口へと向かう。
その道中で、少しでも時間を有効に使おうと蔵馬はゲームに参加するメンバーの事を口にした。
「外のメンバーとあわせて9人。誰が行くかだが…」
「蔵馬、私は数に入れないで。私にテリトリーが関係しない以上、人数は多い方がいい」
人数に定める必要がないならば彼女を含めた7人よりも、彼女と7人の方が良い、と言う意見らしい。
少し悩んだ後、蔵馬は頷いた。
「暁斗も、恐らく私の結界でどうにかなると思うわ」
「…どうにかなるのか?」
「多分ね。試してないから微妙な所だけど…この子、血の繋がりがあるから、少なからず結界能力があるの」
「…初耳だな、それは」
「え、言ってなかったの?」
初めて聞いた、と答えた蔵馬に、紅は少し驚いたように暁斗を見た。
彼はバツが悪そうに顔を逸らし、口を開く。
「…父さんには完璧にしてから言うつもりだったんだよ」
「そうか。…出来るか?」
「………自信は無い」
「大丈夫よ。私がサポートすれば、上手くいくわ」
そう断言した紅を、暁斗がどこか不安げな表情で見上げる。
そんな視線を受け、彼女は安心させるように微笑んだ。
「自信を持ちなさい。あなたは、魔界屈指の結界妖怪と盗賊頭妖狐蔵馬の息子なのよ。出来ない筈がないわ」
「…うん」
「分かったら胸を張って、ついでにその垂れてしまっている耳も元気にしなさいな」
そう言ってピンと優しくその耳を弾く。
しゅんと垂れていた両耳が、勢いよく立ち上がるのを見て、紅はその頭を撫でる。
「なら、暁斗と紅を数から抜いて…丁度、7人だな」
「飛影がゲームを出来るとは思わないけれど…。まぁ、要は彼が出る前にこちらが勝てば問題ないんでしょう?」
よく知らないけれど、と尋ねれば、蔵馬を初めとする『ゲームバトラー』と言うゲームを知っている面々が頷く。
TVゲームにはあまり興味がないのでよく知らないが、先に4勝すればいいらしい。
大まかな流れが決まった頃、漸く外の明かりが小さく視界に映りこんだ。
帰ってくるのを待っていた幻海、海藤、柳沢が彼らに近づいてくる。
三人に大まかな経緯を話せたところで、9人は再び洞窟の中へと足を踏み入れた。
足早に次から次へとアカル草を追って進む。
そして2時間後、漸くその扉が開かれた。
「出雲、君は天沼と一緒に行かなくて良かったのかい?目当ての彼女が居るんだろう?」
仙水はブラウン管に視線を向けたまま背後へと尋ねた。
彼らの傍に寄るでもなく、広い空間の壁に凭れて目を閉ざしていた出雲が口を開く。
「後から会うんだろう?数時間くらい、どうってことねぇよ」
「そうか」
「それに…どの道、向こうが急いで来てくれるさ。天沼にはアイツへの餞別を預けてあるからな」
彼がクツクツと喉を鳴らせば、それに応じて自由に跳ねた金の短髪が揺れる。
頬に掛かった黒い模様を、口角の動きに合わせて歪めながら、彼は目を開いた。
「無論、約束は守るんだろうな?」
「あぁ、もちろんだ。約束通り。佐倉の相手は君に任せよう」
「ま、守らねぇつもりなら…テメェを片付けてさっさと会いに行くだけだがな」
「恐ろしいな。それが嘘じゃないだけ、余計に」
「死を恐れてねぇ奴がよく言うぜ」
クッと口角を持ち上げ、出雲は土の壁へとその身を預ける。
そして、全てを遮断するように再び目を閉ざした。
07.01.15