悠久に馳せる想い

「思ったんだけどよ…」

不意に、幽助がそう声を上げた。
彼の視線の先には紅が居て、その場の全員が彼と彼女を交互に見やる。

「穴が開いちまっても、紅がその上から結界を張っちまえば解決する問題じゃねぇのか?」

今更だけどよ、と彼は言う。
その言葉に、そんな事が?と言う僅かに希望を持った視線を抱く者も居れば、呆れたように溜め息を吐くものも居る。
本人である紅はと言えば、軽く肩を竦めていた。

「私が結界を張って人間界への影響をなくして、霊界の者に穴を修復させる―――結論だけ言えば、可能ね」
「なら…」
「ただし、S級妖怪を封じ込めるような結界を張れば、間違いなく人間界の生態系に影響を及ぼすわ」

心強い、とばかりに声を明るくした幽助に、紅は声を重ねるようにしてそう言った。
その意味が分からず首を傾げたのは、蔵馬と暁斗、そしてコエンマを除く全員だ。

「幽助。結界は、その強度によってある程度大きさが決まってるんだ」
「そうそう。母さんともなれば、大抵は自分の思うままに出来るけどね。
S級って言えば俺よりも強いんだし…結界の中の空気も、それ相応のものに変わるよ」

その空気は、決して無害とは言いがたい。
幽助がその眼光一つで相手の動きを封じられるのと、勝手は似ている。
大きく鋭すぎる力は、例え触れなくとも影響を与える事ができるのだ。

「…まぁ、そういう事よ」

蔵馬、暁斗と順に説明を終えると、紅は締める様にそう言った。
本来ならば自分で説明すれば早いのだが…言おうと口を開いた所で、彼らの言葉に先を越されてしまったのだ。

「…何となく、分かった」

難しい事はさっぱりだが、彼女の力はその強さによっては凶器にもなり得るものだという事は理解できた。
今の時点で言えば、それだけ分かれば十分だ。
と、ここで今まで沈黙していたコエンマが溜め息のあと口を開く。

「兎に角、紅の結界には頼らん事だ。意図して暴走さえさせねば危険は無いが…」
「あら、失礼ね。意図して暴走させた事は、今まで一度も無いわよ」
「…あぁ、そうだったな。アレは…無意識の暴走か…」

どこか遠くを見つめるコエンマの目には、十数年前のあの日の光景が浮かんでいた。
















「この妖狐が佐倉?意外に普通だな」
「そうか?この容姿だけでも、魔界で稼げそうだ」

クスクスと笑う霊界のハンターに、紅は特にこれといった反応は見せなかった。
もう捕まえた気でいる彼らは、その気になれば一瞬でこの場を去ることが出来ると知らない。
彼女が大人しくしているのは、機を窺いつつ、別々に逃げた蔵馬の情報を得る為だ。

「…そういやぁ、向こうも妖狐を追い詰めたらしいな」
「あぁ、呆気無いもんだぜ。追い詰められたら、さっさと肉体を放り出して逃げ出したらしい」
「実質的に言えば、死んだって事だな」

聞かずともベラベラと話し続けるハンター達に、紅は口を噤んでそれを聞いていた。
しかし、最後の一言で彼女の纏う空気が変わる。
一瞬にして全身の汗が噴出すのを感じ、ハンターらは漸く自身の置かれている状況を悟った。

「…冗談でも…その手の話は口にするな」

金色の眼が自分へと向けば、身体が勝手に震えだす。
言葉を紡ごうとしてもガタガタと歯が鳴るばかりで、役には立たなかった。

「じょ、冗談じゃない!さっき仲間からの伝令で、確かに………ッ!!ひっ!」

もう一人が果敢にもそう声を上げた。
紅の視線が動けば、男は体を震わせて竦み上がる。

「他に何を知らされた?」
「…よ、妖狐の子を…」

それだけ聞けば、その続きなど想像するに容易い。
ザワリと風が吹き荒れ、彼女の金色の髪を激しく乱していく。
周囲に蠢く風の流れが次第に帯を成し、視覚として捉えられるまでに成長していった。
彼女以外の全てが、その中心に向かっていく。

「蔵馬が…死んだ…」

口に出してしまえば、理解は簡単だった。
彼女の纏う妖気は完全にその制御の手を離れ、暴走の域へと突入する。
最早、彼女自身もそれを止める事は不可能だろう。
徐々に、徐々にそこに向かって吸い寄せられていくハンターらは、しきりに許しを請う。
そのか細い悲鳴は、世界を遮断する紅の耳には届かなかった。






「これは…」
「何者―――あぁ、エンマ大王の息子か…。何用だ」

ザッと地を踏みしめる音がして、紅はゆっくりと頭を持ち上げた。
その視界に映った人物には、見覚えがある。

「只ならぬ妖気の乱れを感じて来てみれば…何をした?」
「結界が全てを無に帰した。…それだけだ」

そう言いながら、紅は乱れた髪を掻き揚げる。
彼女を中心とした周囲100メートルほどは、木も草も、土でさえも深く抉れ、何も残していなかった。
例えるならば、それはブラックホール。

「…コエンマ…と言ったか」
「…あぁ」
「お前に、条件を出そう。それを飲むと言うならば…私は囚われの身となろう」
「条件…?」

訝しげに表情を変えたコエンマに、紅は薄く笑った。
その笑みはどこか儚く見えて、彼は思わず言葉を失う。
一瞬のそれはすぐに掻き消え、無の表情を浮かべて彼女は続きを紡いだ。

「息子に手を出すな。それだけを守ると言うならば、お前達の手に下る」
「守る、と言って信じるのか?」
「…賭けだとは分かっているが…今は、それしか浮かばない」

いつもならば、もっと様々な策を生み出す事も出来ただろう。
しかし、己の思考はすでに考えることを放棄しようとしていた。
彼が居ないと思うと、全てが色を失ったように見えてしまう。
何にも邪魔されること無く空を仰いだ紅に、コエンマは暫し沈黙した。

「息子の名は?」
「暁斗だ。妖狐蔵馬に似た、銀色の妖狐」
「…条件を飲もう。暁斗の追跡部隊を全て撤収させる」
「……………感謝する」

紅はそう言うとゆっくりと彼の方へと歩いてきた。
恐らく、彼女がその気になれば自分など一瞬で事切れるだろう。
しかし、その身に纏う空気があまりにも希薄で、まるで生への執着が無いように見えた。

「…佐倉。お前とは、もっと別の場所で会ってみたかった」

気がつけば、自分の口はそんな言葉を吐いていた。
驚いたように軽く目を見開いて自分を映す彼女。
彼女は緩く笑んだ。

「中々…お前も、面白い奴だ。お前とならば…そうだな、話くらいはしても良かったかもしれない」
「話くらいはいつでも出来よう」

そう言いながら、彼女の手に妖気を失わせる手錠をかけると言う矛盾。
出来るならばこのまま彼女を逃がしたいと思う反面、希望通りに息子を逃がしてやりたいとも思う。
どちらも逃がすのでは、己の父は納得しないだろう。
ならば、彼女の望みを叶えてやりたいと思った。

「佐倉、蔵馬の事だが…」
「…蔵馬の事は口に出さない事を勧める」
「未確認情報だが、人間界に向かったと言う報告を聞いた」

信じる信じないは、お前の自由だ。
紅の忠告も物ともせず、コエンマはそう言った。
弾かれたように自分を見上げてくる彼女の目に、光が戻った事を悟る。
それに対し、どこか安堵を感じて彼は心中で苦笑した。
今日初め会った妖怪に、ここまで感情を遊ばれるとは―――
これが恋慕の感情だとは言わない。
例えるならば―――旧友の身を案じるようなそれに似ている。
そんな事を考えた自身に、彼は今度こそ表情を苦笑に変えた。















思い出に身を浸らせていたコエンマは、不意に現状を思い出して思考を取り戻す。

「あの時は大変だった…。魔界のあの場所は、今もあのままだぞ」
「あら、そうなの?魔界の植物は強かだから、草の一本も生えていると思ったけれど…」
「全く、だな。まるで時間の流れに置いていかれたように、あのままだ」

コエンマの言葉に紅はへぇ、と感心したように呟いた。
あの時の事はよく覚えていないが、自身の妖力が暴走したと言う事だけは分かっている。
二人しか分からない話に、彼ら以外は首を傾げる。

「何の話?」
「…私には蔵馬が居なきゃ駄目だって言う話よ」

そう言って、彼女は悪戯に微笑んだ。

07.01.08