悠久に馳せる想い
コエンマが幽助のマンションへとやってきた。
彼の知る『仙水忍』と言う人間についての語りが続き、室内は緊迫した空気に包まれる。
話の輪に加わるでもなく、でも外れるでもなく、紅は部屋の壁に凭れて目を閉じていた。
意見を問われれば口を開くし、目を閉ざしていても話は全て脳内に刻み込んでいる。
ただ、彼女にはそれよりも考えなければならない事があった。
「紅」
話が一段落した所で、コエンマが彼女を呼ぶ。
紅はゆっくりとその瞼を持ち上げ、彼を映した。
「出雲の姿を人間界で見た者はない。まだ魔界に居る可能性も捨てきれないが…」
「…居るよ、絶対。アイツが…穴をあけるだけで満足するなんて、ありえない」
きっぱりと答えたのは、紅ではなく暁斗だった。
その真剣な眼差しと言えば、小学生くらいの少年とは思えないほどだ。
「暁斗。気を張るんじゃない。不必要に肩の力を入れていると、余計に危険だ」
「…わかって―――」
最後まで紡がれる事のなかった声が空へと飛散する。
ピクリと耳を揺らした暁斗は、そのまま勢いよく窓の方を向いた。
それに合わせた訳ではないだろうが、蔵馬と幽助、そして紅もまたそちらに視線を投げる。
マンションの裏に立つ建物の屋上に見えた、三つの姿。
話題に上がった仙水忍、彼の仲間であるスナイパーこと刃霧要。
そして―――
「出雲…!!」
噛み締めるようにそう告げたのは、一体誰だっただろうか。
その声を聞きつけたのか、彼、出雲はニッと口角を持ち上げた。
そして、ゆっくりと口を動かす。
『つ い て こ い』
―――付いて来い。
理解すると同時に、彼はくるりと踵を返す。
トンと屋上を蹴ってどこかへと走る彼。
ザワリと髪を揺らし、その姿が佐倉へと戻る。
見えない糸に引かれる様に、紅は駆け出した。
窓ガラスを開ける暇さえもどかしくも何とか開錠し、自分が通れるだけの隙間から身を滑らせる。
マンションの何階だ、など関係もなく、ベランダを蹴って先ほど彼が立っていた屋上へと降り立つ。
一瞬仙水らに視線を向けるも、その横をすり抜けてコンクリートを蹴った。
「紅!!」
ベランダまでは追うことも出来た蔵馬だが、そこからは悲しいかな人間。
一般人よりも身体能力に優れているからと言っても、数十メートルの飛躍はできない。
もどかしげにその名を呼んでも、彼女はその声に反応こそすれ留まる事はなかった。
代わりに、背後から脇をすり抜けていく小さな背中が見える。
「父さんはこいつらよろしく!」
そう言うと、暁斗は助走もつけずにトンとベランダを蹴る。
そして紅の駆けて行った方へと消えた。
前を走る、自分と同じ色の短い髪が揺れる。
乱雑に切られたそれは自由奔放に跳ね、その者の性格を現しているようにも見えた。
ふと、自身との距離を保つかのように走り続けていたそれが止まる。
紅も速度を落とし、やがて足の動きを止めた。
お互いに、どちらも息は切れていない。
紅は、目を細めて対峙する出雲の姿を見た。
自分よりもやや色素の濃い肌の上には、まるで黒い蛇のような模様が頬や首筋、腕を這っている。
それは刺青のようにも見え、またそれ自身が生きているようにも見えた。
長く鋭い爪、縦に裂けたような瞳孔が、人ならざるものであると示している。
「佐倉…久しいな」
高くも無い、どちらかと言えば低い声が紅の鼓膜を震わせた。
同時に、それはまるで身体の芯を這うように走り、全身の動きを一時的にでも止める。
そんな彼女の反応に気を良くしたのか、彼はククッと笑った。
紅はそれを視界から追い出すように目を伏せ、絳華石に指先を這わせる。
赤い結界が二人を包むように張られた。
「…相変わらず、イイ結界能力だな」
「母さん!!」
追いついてきた暁斗が駆け寄ってくる。
紅は彼の存在を意識して、内側に入る程度の結界を張っていた。
「よォ、あん時のチビだろ?元気にしてたか?」
まるで長年離れていた旧友にでも再会したかのような明るい声。
しかし、その声色は嘲りを含ませていて、暁斗の表情が苛立ちに歪む。
「殺したつもりだったが…佐倉に生かされたらしいな」
そう睨まれれば、自身の四肢が震えだしそうな錯覚を覚える。
暁斗は自身を叱咤し、彼を睨み返した。
「死んでないよ。あんたを母さんから遠ざけるまでは…」
「へぇ、ご苦労なこったな。お前よりも先に蔵馬が来ると思ったが…」
予想違いだったな、と出雲は二人を交互に見る。
その後ろも見てみたが、追ってくる気配は無い。
「あの人間共に足止めでも食らったか?随分と腑抜けたもんだ」
人間、の指す人物は、幽助たちの事ではないだろう。
となれば、彼が共にやってきた仙水らと言う事になる。
「貴様が人間と行動を共にする日が来るとはな…夢にも思わなかった。腑抜けたのは貴様も同じだろう」
「人間も使えばそれなりに役に立つ事もある。それだけだ。現に…こうして、お前を見つけただろう?」
黒い模様の入った指先が紅へと向けられる。
彼女はピクリと肩を揺らし、その表情を歪めつつも動こうとはしなかった。
「ま、今日は挨拶だけだ。死にたくなけりゃ…次は、ちゃんとナイトを連れて来いよ。そのチビに俺の相手は荷が重い」
チラリと横目で暁斗を捉えての言葉に、彼自身はこみ上げる怒りを押さえ込んで出雲を見る。
そして、紅と彼の間に入り込み、その小さな背中に彼女を庇った。
「今度は負けない」
「勝ち負けじゃねェよ?」
そう言って、彼はその目を細める。
金色の短い髪が、吹いた風に揺れた。
「生きるか、死ぬかだ」
ふわりと、黒い風が吹いた。
まずいと思った瞬間には、暁斗の小さな身体は前からの衝撃に吹き飛ぶ。
「暁斗!!」
紅の脇を通るようにして後方へと吹き飛んだ暁斗の名を呼ぶ。
彼は倒れるまでは至らなかったらしく、構えを解かないままに出雲を視界に捉えている。
咄嗟に構えたお蔭か、外傷はない。
「ふぅん…この50年…ちょっとは鍛えたみたいだな」
手を握ったり開いたりしながら、彼はそう呟いた。
その声色はどこか楽しげなもので、聞こえてしまった紅と暁斗は眉を寄せる。
そんな二人の反応に笑みを深めると、出雲は暁斗に向けていた視線を紅へと移動させた。
「今度こそ、お前の大事なもんを奪ってやるから…覚悟してな」
耳元で囁くような声が聞こえたかと思えば、ある程度距離を置いて前にあったはずの出雲の姿が無い。
周囲に目を向けようとした紅の視界の端で、彼はまるで風のように消えた。
心底現状を楽しむような、そんな笑い声だけを残して。
06.12.22