悠久に馳せる想い

「コエンマに会いに行く?」

蔵馬から告げられた内容に、紅は不愉快そうに眉を寄せた。
コエンマを呼んで会うと言うならば、そんな表情はしなかっただろう。
しかし、蔵馬は「会いに行く」と言ったのだ。
これの示すところは…。

「霊界に、行くつもりなの?」
「あぁ」

短い答えに、紅は想像通りだったと目を伏せた。
そして、様々な未来を頭の中で予測し、最良と思える方法をその中から選び取る。

「私も」
「紅は幽助たちについていてくれないか。敵がはっきりしない今、紅の結界が必要だ」

彼女の言葉を遮るように紡がれた彼の声。
偶然に重なったのではない。
明らかに、彼の意思のもとで紅の言葉は遮られたのだ。
結界が必要だと言う彼の言葉も分からないではない。
確かに、自分の結界が敵の能力である“領域”すらも阻む物であると言う事はすでに実証済みだ。
妖力の込められた絳華石だけでもその効果は十分だろうが、彼女自身が居れば言う事はない。

「…置いていくつもりなのね」

初めから、と彼女は視線を落とす。
彼女とて分かっているのだ。
蔵馬が何故自分を人間界に残していこうとしているのか。
分かっているけれど、やはり彼を憎むべき霊界に一人で向かわせる事は不安だった。
そんな彼女の心境を悟ったのだろう。
蔵馬はそっとその手を取り、指の付け根に口付けた。

「何も心配する事はない。今度はちゃんと絳華石も持っていくし…コエンマと会うだけだよ」
「…それで済まない可能性だって…」
「俺は…南野秀一は、すでに霊界からは開放されている。妖狐蔵馬として捕らえる事は出来ないはずだ」

だから、心配しなくてもいい。
いくらそう言おうと、彼女は自分を案じる事をやめようとはしない…いや、出来ないだろう。
だが、今回はどうしても彼女を連れて行きたくない事情が蔵馬にもあった。
そして、それを彼女に説明するつもりもない。
蔵馬は紅の手を下ろすと、そのまま彼女の頬へと手を滑らせた。
親指で彼女の目尻の辺りを撫でる。

「…顔色があまり良くないな…眠れないのか?」
「え?そんな事はないと思うけれど…」

本人に自覚はないらしい。
しかし、彼女の変化ならばどんな些細な事であっても気付くだけの自信がある。
今は少し顔色が悪い程度だが…休ませたいと思うのは、愛情の深さ故の想いなのだろう。

「幽助の事は暁斗に任せることにするよ。紅は休んだ方がいい」
「大丈夫よ」
「だが…」
「心配性ね?なら、暁斗と一緒に居るから。…それでいいでしょう?」

クスクスと笑い、彼女は見上げるようにして許しを求めた。
確かに、暁斗も自分に負けず劣らず紅に関しては敏感だ。
彼が一緒ならば、彼女に無茶をさせると言うこともないだろう。
そう判断して、彼は少し間を置いて頷いた。

「くれぐれも無茶はしないように」
「…分かったわ」

彼の心配が伝わったのか、紅は静かに頷いた。
そして、頬を撫でる彼の手を口元へと促し、掌に口付ける。

「蔵馬も気をつけて」

心配する必要がないと言われようと、自分がそう感じていようと―――せずにはいられない。

















「父さん」

紅に話をつけ、幻海の屋敷からの山道を歩いていた蔵馬は幼い声に呼び止められる。
覚えのある…たった一人の息子の声に、彼は迷う事無くその声の方を向いた。
声の主は蔵馬の進行方向で木に凭れていたのだから、視線はほんの少し地面から上へと動いただけだ。

「暁斗…待っていたのか?」
「うん。話したいことがあってね」

そう言うと暁斗はそっと木から背中を離す。
そして、タンと地面を蹴ると手頃な枝に腰掛けた。
まだ成長途中の木の枝は、そこに腰を下ろせば丁度蔵馬と暁斗の目線の高さが同じになる。
見下ろされるのが嫌だとか、そんな単純な行動ではない。
自分と同じ目線での会話を求めているのだと、蔵馬は即座に理解した。

「母さんの事」
「…だろうな。お前はいつも紅ばかりだ」
「当然。大好きだからね。それより―――」

その眼差しを鋭い物へと変化させ、彼は一度口を噤んだ。
だが、すぐにその結びを解く。

「魔界の穴…あの辺りで、闇華石の妖気を感じた」

一つの単語に、蔵馬は大きく反応した。
心の動きを隠す事に長けている彼にしては、大きすぎる反応だ。

―――闇華石。

彼は、この言葉に肩を震わせた。

「…間違いないのか?」
「うん。妖怪の俺だから、感じ取れたんだと思う。あの時の母さんは他の人間を意識して完全に妖力を抑え込んでたから」
「…あれが、人間界にあるのか…」

暁斗の返事を聞き、蔵馬は思案顔で腕を組む。
眉間に寄せられた皺が、事の重大性を示しているようだった。

「父さんなら気付いたと思うけど…この二日、母さんの体調が良くないみたいなんだ」

二日、と言えば、丁度あの原っぱに行ってからの日数と一致する
体調が悪いと言っても倒れるほどではないし、目に見えて具合が悪いわけでもない。

「顔色が悪かったのはその所為か…」
「多分、間違いないよ。………闇華石があるって事は、あの男も居るってこと…だよね?」

暁斗が控えめにそう尋ねる。
問いかけのように語尾を持ち上げたが、彼の中ではほぼ確信だった。
そして、それは裏切られる事なく―――蔵馬は頷く。

「それに関しては、コエンマにも話を聞くつもりだった。丁度良かったな」
「父さんも気付いてたの?」
「いや、俺は妖気を感じる事ができなかった。ただ…言うなら、虫の知らせ、だ」

そう言うと、蔵馬はクッと口角を持ち上げて笑う。
強いその眼差しに、暁斗は例えようもない安心感を与えられた。
あぁ、やっぱり彼のように、こんな風に強く笑えるような、そんな男になりたい。

「暁斗」
「はい」
「俺が離れている間は、必ず紅の傍に居るんだ。誰にも…幽助たちにも、気を許す必要はない」
「…はい」

まさかそこまで言うとは思わなくて、返事が少し遅れた。
だが、蔵馬はそれを気にした様子は無い。
そっと腕を持ち上げ、自分と同じ目線に居る暁斗の頭を撫でた。
自分譲りの銀糸が指をその波に隠してしまう。

「今は向こうも様子を見ている段階だ。今日は…恐らく、何も起こらない」
「そうある事を願っとく。あいつがいるって言うなら…俺でも楽じゃないだろうし」

そう言って暁斗は悔しそうに眉を寄せた。
負けるとは思わないが、良くて自分も重傷、悪くて相打ちだろう。
命がなければ負けたと同じ。
かつてそう教えてくれたのは、目の前の父だった。
暗黒武術会で鴉と相打とうとした時には話が違うじゃないかと思ったものだ。
あの時は、心のどこかで死なないと言う確信があったから許せた。

「このことは悠希にも伝えておいてくれ。何かあれば、悠希が足になるだろう」
「わかった」
「…任せたからな」

蔵馬の言葉に、暁斗は今一度力強く頷く。
そして、去っていく背中を見送る事無く、父との約束を果たすために紅の元へと駆ける。

06.12.02