悠久に馳せる想い
「少し離れてる間に、人間界も過ごし易くなったね」
楽しげな声色でも分かるように、暁斗は上機嫌だった。
例の三人との手の混んだ自己紹介の二日後。
あの日決めたように、一行は二手に分かれて穴の調査に当たった。
翌日に帰っていた暁斗も、例に漏れる事無く紅に同行する。
彼は蟲寄市を歩きながら楽しげに鼻歌すら口ずさむ。
「雪耶に弟が居たって言うのは初耳だな」
「…大して会話した事もないのに家族構成まで知っていたらストーカーである事を疑うわ」
紅の手を取りながら歩く暁斗を見下ろし、海藤が呟いた。
彼の言葉に、紅は一瞬間を置くも不自然ではない返事を発する。
『弟』と言う単語に反応したのは、いうまでもなく暁斗本人だ。
しかし、ここで息子だと言うわけにもいかないと言う事を、彼は理解している。
何も言わない代わりに、少しばかり手を握るその力を強めた。
そして、スルリとその手を解くと今度は蔵馬の方へと近づく。
下手に甘えて弟であると言う認識に疑問を抱かせない為の、彼なりの計らいだろう。
珍しくも紅の隣を離れて自分の傍らを歩く暁斗に、蔵馬は心中でクスリと笑う。
まだまだ子供の彼だが、こう言う面では少しずつ大人の仲間入りをしてきているようだ。
「よくやった」
小さな声は、妖狐以外には聞こえないほどのもの。
声と共にポンと手を頭の上に置かれ、暁斗は照れたようにそっぽを向いた。
そのまま紅と同じ色の髪を撫でるが、それが振り払われる事はない。
紅たちの方は、やがて町並みを外れて原っぱにやってきていた。
雑草が土を隠すように生い茂るその場所には、一つだけ目を引くような何かはない。
そう、ただの原っぱには、そこが穴の中心だと思わせる要素は一つも見当たらなかったのだ。
「………いいね…魔界の空気が流れ込んでる」
ニッと口角を持ち上げる暁斗に、紅は同意するように微笑んだ。
その空気が果たして「いい」のかは微妙なところではあるが、懐かしい事は確かだ。
頬をその風を感じるほどではない。
しかし、鼻孔から伝わるそれは、懐古の念を引き出していた。
十数年離れただけだと言うのに…そんな考えも過ぎるが、よく考えれば向こうで暮らしたのは数百年だ。
その年月の差と言えば、比べるのも馬鹿らしい。
「本当にここが穴の中心なのか―――!?ただの原っぱだぜ」
背後でそう声を上げる桑原は、前を歩いていた紅たちを追い越して進みでる。
確かに、そこにここ一ヶ月の原因があるとは到底思えない。
「人為的に空間に歪みをつくるときは、その中心には強力な術者がいる。場所はここ以外には考えられない」
「空間の歪みは結界と似通う点が多いわね。空気の流れからして、穴の中心は―――」
「地下、だよね」
紅の言葉に続けるように自信満々にそう言った暁斗。
彼女はクスリと笑うと、彼の頭を撫でた。
やはり、父親である蔵馬に撫でられるよりも彼女に撫でられる方が嬉しいらしく、自然と満面の笑みが浮かぶ。
「一度幽助たちと合流しよう」
蔵馬の提案に反対の声は上がらず、元来た道を帰るようにして歩き出す彼ら。
そんな中、暁斗がくるりと首だけを振り向かせた。
暫く何かを考えるようにその方向を見つめていたが、やがて紅に呼ばれて歩き出す。
その時、彼の姿が一瞬だけぶれたように見えたことに気付いたのは、彼女と蔵馬だけだ。
その夕方、蔵馬は紅と暁斗を家まで送る。
恋人関係である彼が彼女を送ると言うのはごくごく自然な事で、誰からも疑問の声は上がらない。
寧ろ、それが当然の事のように受け入れられていた。
紅とて、初めは自宅からかなりの距離があるために大丈夫だと断っていたが、折れるのはいつも自分なので諦めている。
「ところで…敵は掴めた?」
不意に、人気のない道になったところで蔵馬が問いかける。
それに答えたのは、紅ではなく暁斗だった。
「あー…うん。何か、拍子抜けしちゃったよ」
「拍子抜け?」
「馬鹿丸出し。素人なの丸分かりでさー…。多分、ついこの間まで普通の人間だったんだと思うよ」
そこらへんに居るような、とつけたし、頭の後ろで手を組む彼。
その表情は心底残念だ、と言う感じだ。
もう少し骨のある奴を想像していたらしい。
「仕方ないわよ。普通の人間に突然変異的に能力が生まれているんだから」
「そうだな。それに…恐らく、敵の親玉は強いと思うよ」
「…魔界とを繋ごうって言うんだから…自分の力に自信があるか、もしくは魔界に対する興味が強いのか…」
そんなところでしょうね。
そう言って、紅は頬にかかった髪を払う。
僅かに口角を持ち上げて笑うその表情は、どこか現状を楽しんでいるようにも思えた。
「今日尾けてた奴は、本当に弱いよ。二重尾行に気付かないなんてさ」
「…いや、暁斗…普通の人間はまず尾行には気付かないよ」
更に、相手が暁斗だとすれば妖怪の中でも気付けるのは少なくなってくるだろう。
盗賊を両親に持つ彼は、その程度には鍛えられている。
暁斗が自分達を尾行する敵を尾け始めたのは、あの原っぱからだ。
紅たちの元に幻覚を残し、本体である彼は敵を探る。
そうして、敵を見つけた彼はあまりの弱さに数分で飽きて帰ってきてしまった。
元々切羽詰って敵の正体を知りたかったわけではなかったので、特にお咎めはなかったが。
「それより…他のメンバーはわかったの?」
「今回の尾行は一人だったよ。顔は…見れば分かる。気配なら1キロ範囲内なら分かるかな」
「そう、期待してるわ」
「師範。どうやら今回の相手は素人が多いようですね。この子が調べました」
「まぁ、能力に目覚めなければ一般人と何ら変わりのない生活を送っていた奴らだからね。当然だろう」
「病院の…ドクターも、医療のスペシャリストと言うだけで私達からすれば素人ですしね」
肩から滑り落ちそうなカーディガンを脱ぎ、己の膝枕で眠る暁斗にかける。
縁側に腰掛けた彼女は、部屋の中にいる幻海と言葉を交わしていた。
何に束縛される事もない、静かな時間がそこにある。
暁斗の頭を規則正しく撫でながら、紅は口を開いた。
「霊界は何かを隠していますね」
「…接触でもあったのかい?」
「ええ。まぁ、霊界が…と言うよりは、コエンマがですけれど。今回の首謀者…弱くないですよ」
強いと表現しなかったのは、自分には劣るという部分があるからだろう。
それにしても、紅が「弱い」と言わないだけでも、その実力が垣間見えるところだ。
彼女は今日、暁斗が尾行した人間は下っ端も下っ端…捨て駒に近い者だと予測している。
あえて尾行させた可能性もあるな…と心中で考えた。
「不思議なものですね…。生活するだけで、そこを守りたいと思うものなのでしょうか…」
「それが人間さ。お前にとっては、それが場所ではなく蔵馬だっただけの話だろう」
幻海はそう答えながらズ…とお茶を啜る。
そろそろ季節も肌寒さを増してきていて、こうして戸を開いたまま茶を飲むのも厳しい季節が近づいてきていた。
「そう考えれば分かり易いですね。何を犠牲にしたとしても守りたい、という点においては比べ物になりませんが」
クスクスと笑い、紅は暁斗の髪を指先で掬い取る。
自分から受け継がれた金の目は、今は瞼の裏に隠されていて見えない。
彼と同じ髪質の銀色のそれを梳く彼女の眼差しは優しかった。
あどけない表情で眠る暁斗を見下ろしながら、紅は先日の会話へと思いを馳せる。
「コエンマ」
『紅から通信してくるとは珍しい。どうした?』
「少し聞きたい事があったのよ。私は…どの位置にランクされているの?」
『……………A級の上位妖怪だ』
「―――――……コエンマ。知ってるわよね?私、無駄に時間を割くのは嫌いなの」
『………その結界能力を評価され、S級に分類されておる。お前の結界は、S級妖怪すらも阻む』
「結界能力はS級妖怪すらも阻む…ね」
胸元に揺れる絳華石を指先で拾い上げ、紅は小さく呟いた。
自身の血を固めたそれは、夜の寒さを吸い込んだかのようにひんやりと指先に乗る。
「あの男は死んだ。阻む者はいない」
ぎゅっとそれを握り締め、瞼を伏せた。
まるで、自身に言い聞かせるように…紅は小さく繰り返した。
06.11.10