悠久に馳せる想い

蔵馬の邪魔をしないよう、紅は貝の如く口を噤む。
彼女自身は禁句を紡いだところで害は無いのは実証済み。
彼が、紅の言葉によってミスを犯すなんて事もまず考えられない。
ならば別に話していても問題はないだろう。
それでも、彼女は黙って彼の隣に居た。
その真剣な横顔を眺めて時を過ごす。

蔵馬の決めた禁句はいたってシンプル。
禁句は1分ごとに一文字ずつ、あいうえお順に増えていくと言うものだ。
例えば禁句が変わって5分経過すれば、「あいうえお」が会話の中に使えなくなると言う事だ。

「(蔵馬が出来るのは…まぁ、わかってた事だけど…海藤もよくやるわね。)」

沈黙のまま、紅は二人の会話を聞いていた。
すでに8分が経過し、「あいうえお」に加えて「かきく」まで使えなくなっている。
こんな状態でも会話と言うのは案外成り立つものらしい。
慎重になっている時には時の流れが倍ほどに感じたりするものだ。
刻一刻と秒針が動くのにつれて膨らんでくる言い知れぬ不安。

「南野…何狙ってるんだ?」
「さてね」

不安を押し隠しながらも、海藤はそう質問した。
だが、蔵馬の返事は簡略なもの。
日常では味わえない緊張感が海藤をじわりじわりと追い込んでいく。
その沈黙から逃れるように、ガタと椅子を動かし立ち上がる。

「どこへ?」

蔵馬の質問に「便所」と短く答え、彼は部屋から繋がる廊下の方へと歩き出す。
そしてもう一人の仲間に話すなと念押しすると、そのまま個室へと消えた。















一方、部屋の中に残った蔵馬は扉が閉じるのを見届けると室内を見回す。

『何を考えてるの?』

蔵馬がピクリと反応した。
だが、それは一瞬の反応で海藤の仲間は気付かない。
脳内に直接響いてきた声は聞き覚えのあるもの。
それを発したであろう彼女は、暇を潰すように本に視線を落としている。

『念信なんて珍しいな』

視線を彼女に向けないまま、蔵馬はそう返した。
念信と言うのは一種の通信手段だ。
尤も、これを使うには相手の妖気の質を完全に知り尽くし、尚且つ相手も自分のそれを知り尽くす事が必至。
一朝一夕で出来るわけではないが、すでに連れ添って何百年の彼らからすれば呼吸にも等しい。
妖気を震わせて相手まで届けるそれは言葉や声を使わないので内密の連絡手段に適している。

『久しぶりだから上手くいくか心配だったけど…案外忘れないものね』

ペラリと彼女の手にあるページが捲られた。
一度も視線を合わせない辺り、蔵馬も紅も実に手慣れている。

『使える植物が無いかと思ってね。…それにしても…念信に禁句は関係ないらしいな』
『口にしているわけじゃないもの。植物なら私から見て2時の方向に食虫植物があるわ』

あなたからは陰で見えないでしょうけれど、と付け足す。
ごく自然に視線を動かし、彼は自分の死角となっている部分を探し出した。
彼が大凡の目星をつけたところで、紅はパタンと本を閉じる。

「この続きを知らない?」

次の部屋へと通じる扉の前に立つ海藤の仲間…柳沢に向けて首を傾げる紅。
禁句を口にした所為か、彼女の身体を赤い光が一周する。
やはり、紅には今回の禁句も無駄だった。

持ち上げたそれに覚えがあるのか、彼はスッと動きだして近くにあった本棚の前に立つ。
彼が完全に本棚に向きあった一瞬の間に、蔵馬はスッと足音を立てずに移動した。
そして、目当てのそれを学ランの裾に隠すと元の位置に戻る。

その時間、およそ瞬き2度分。

目当ての本を見つけたのか、柳沢は無言のままにそれを差し出す。
それを受け取り微笑めば、面白いほどにその顔に朱が走った。
赤くなった顔を隠すようにすぐに背中を向けて定位置に戻る彼。
扉の前に戻った所で、彼の身体がぐらりと傾いた。
そして、ドサッと床に崩れ落ちる。

「…単純ね」

クスリと笑い、紅は彼の胸ポケットから鍵を抜き取る。
指先でそれをくるくると遊ばせると、トイレの個室で動く音が耳に入った。

『紅』

蔵馬の元に戻ろうとした紅の脳内に彼の声が響く。
それと同時に、腕を引かれて腰に手が回るのを感じた。
次いで軽い浮遊感。

『…いつの間に…』

トンと部屋の中央に付けられた電灯の上に運ばれた紅は、眼下に広がる光景に思わずそう呟く。
室内はすでに部屋としての機能を失い、そこここに植物が自由に身体を成長させている。
いつもの事ながら仕事が早い…そんな事を考えていたその時、個室の扉が開いて海藤が飛び出してくるのが目に入った。
床に倒れる柳沢も、彼の様子を見る海藤の姿も二人の位置からはよく見える。

『静かにしてるように』
『もちろん』

部屋に置かれた時計は、すでに1時半を回っていた。
もう10分もすれば、全ての言葉を発する事が出来なくなる。
そんな状況下でも、彼が負けるはずが無いと言う確信めいた想いが紅の中にある。
焦りも助言も、何一つ彼には必要ないだろう。
再び貝の如く口を閉ざした紅に、蔵馬は微笑んでその髪を撫でた。
そして、頭を下にする形で音も無く電灯から身を下ろして行く。
部屋の中心に居ればどこから姿を見せようが安全と判断したのだろう。
海藤は左右を盛んに気にしながらその場で立ち尽くす。
完全に彼の背後を取った蔵馬は、スゥッと息を吸い込んだ。















無理やりに肉体から引き離されていた魂が三人の元へと戻る。
それを見届ける事無く、海藤が一声を上げた時点で電灯から飛び降りていた紅。
すでに彼の魂は肉体を離れ、その上に揺らいでいる。
そんな彼の学ランのポケットから鍵を抜き取ると、先程柳沢から取ったそれも取り出す。
二つの鍵を手の中で遊ばせながら、紅は蔵馬の元に続いた。

「蔵馬、鍵二つ」
「あぁ、ありがとう」

紅の手からそれを受け取ると、蔵馬は先にあった扉の方へと歩き出す。
そんな彼を見送る紅の傍らでは、魂と肉体の離別した海藤を見下ろすぼたんと桑原。

「それにしても…よっぽどおもしろいもんを見たんだね」

蔵馬から事の概要を聞いた三人。
ぼたんの言葉に桑原は蔵馬に視線を向けつつ言った。

「蔵馬…お前が一体どんなへんな顔で笑わせたんだよ」

彼の質問に、蔵馬はこう答えた。

「もちろん、企業秘密です」
「…」

何かを思い出したのか、紅は視線を逸らした。
その目はどこか遠くを見ているようで、ぼたんと桑原、そしてこの時ばかりは飛影の心の声も一つに重なった。

「(蔵馬はどんな顔で笑わせたんだ!?)」

答えを知るのは、本人と紅…そして、盛大に笑ったままの状態で魂の抜けている海藤だけだ。

06.10.14