悠久に馳せる想い
紆余曲折はあったものの、一行は無事飛影と合流。
紅と同じく幽助が油断しすぎだと同行を拒んだ彼だが、無罪放免という交換条件を前に頷いた。
「連絡はついた?」
「…やっぱり留守みたい。今悠希に走ってもらってるから、書置きか何かがあれば持ってきてくれると思うわ」
先程からずっとプルルルという電子音を鳴らし続けた携帯をプツリと切り、紅は軽く肩を竦めた。
11時が約束の時間と言う事で、少なくとも帰宅時間がそれを超える事は間違いない。
心配はしないだろうが、一応幻海に連絡しようとして携帯を取ったわけだが…彼女がそれに出る事はなかった。
無機質な電子音が未だ耳に残っているように感じ、紅はしきりに耳の辺りを気にしている。
「どうする?何なら帰ってても構わないけど」
「まぁ、留守してるなら心配される事もないし…いいわ」
ここまで首を突っ込んだのだ。
このまま自分だけ帰ると言うのも気分のいいものではない。
暁斗に至っては「人間界を探索してくる」と言って屋敷を飛び出してから今日で三日目。
昨日5つほど県を越えた町から電話してきたから、今日中に帰ることも無いだろう。
彼の事を話すと、蔵馬は「暁斗らしい」と笑った。
「人間に見つかって無ければいいんだけど」
「多分、大丈夫だよ。随分長い時間人間の姿に変化できるようになってたし。きっと、飽きれば帰ってくる」
探究心の深さだけは変わらないらしい。
妖怪としては容姿も中身もまだまだ子供の域を抜け出さないのだから、寧ろ当然なのだろう。
幽助に何があったんだろうとその身を案じるぼたんらの傍らで、紅と蔵馬はのんびりと談笑していた。
そうして時間を潰す事数時間。
月が夜の空の高い位置に存在する頃、一行は奇怪な屋敷の前に居た。
何とも言えず奇抜なデザインのその屋敷は、正直なところその中に入るところを誰かに見られたくない。
人通りも無くなるこの時間でよかったと紅が安堵してしまうのも無理からぬ事だろう。
「…蔵馬」
その屋敷を見上げている間に、紅はふと扉についた紙切れの存在に気付く。
この中で一番情報処理に長けているであろう蔵馬を呼べば、彼はすぐにその意図を悟った。
紙の張られた扉に近づいていく彼に続くようにして紅、ぼたんらが歩き出す。
『この家に入った者は決して『あつい』と言ってはいけない。もし言えば…………』
いつの間にか最後尾についていた紅は、それを読み取ると小さく呟いた。
「ふぅん…。面白いね」
何が起こるんだか、と彼女は僅かに口角を持ち上げる。
その笑みをその場に居た誰かが目撃する事はなかった。
開かれた扉から順に屋敷内へと進入していく。
一般家庭よりはかなり湿度が高いらしく、中は汗ばむほどにじっとりと蒸し暑い。
「熱帯植物に最適な湿度と室温ね」
「冷静だな、紅。覚えてくれていたのは嬉しいけど」
紅が零した言葉に蔵馬は苦笑いに似たそれを浮かべる。
素直に喜べないのは、この部屋に入った途端、異世界に入ったような違和感がしたから。
彼の本能が警戒すべき空間だと告げたのだろう。
「ようこそ」
そんな声と共に本棚の影から姿を見せた人物に、一行の間に緊張が走る。
だが、蔵馬だけは見覚えのあるその人物に対して別の意味で目を見開いた。
「あ!!あいつ、幽助を呼び出した三人のうちの一人だ!」
「海藤……!」
「…知り合い?」
蔵馬がその人物…海藤の名を呼べば、紅がその隣で不思議そうに首を傾げた。
そんな彼女の反応に蔵馬は思わず肩を落とす。
「同級生だよ」
「……………覚えが無いわ」
じっと海藤を見つめるが、やはり紅の記憶内には蓄積されていなかったらしい。
不必要な事に関しては一切覚えようとしない彼女の脳内に残るほどの人間では無いと言うことだ。
「その辺りが、不触の女神って呼ばれる理由だよね」
「不触の…?まぁ、そんなのはどうでもいいわ。幽助はどこ?」
自分の知らない単語に軽く目を細めるが、それよりも本題だと彼女は切り出す。
その後を次ぐように蔵馬が話し始めれば、紅は一歩引いて話の動向を見守ることにした。
海藤の作り出した異空間の中では乱暴な行動は出来ない。
つまり、彼を力でねじ伏せるということは不可能なのだ。
それを知り、かつ彼に挑発された飛影はいとも簡単にそれに乗ってしまう。
「俺が『あつい』と言えば貴様が俺を殺せるとでも言うのか!?」
その言葉を最後に、彼はこのあと暫く声を発する事すら儘ならない状況に置かれる事になる。
海藤の手の中で漂うのは、よく怖い話などに登場してくる人魂。
この場合は正しくそれだ。
その人魂…魂の主は、抜け殻のようにそのままの姿勢で動かない。
「…禁句を口にすると魂を抜かれるのね」
紅はそう呟きつつ、胸元から絳華石のペンダントを抜き出した。
そしてそれを外すと、動かぬ飛影の手に引っ掛ける。
途端に、彼の身体を一瞬だけ赤い光が走った。
「へぇ…それが結界の能力かー…。でも、守るべきは肉体よりもこっちだと思うよ」
「…魂のない肉体も安全じゃないわ。基礎も知らない人が私に意見しないで欲しいわね」
「なるほど。やっぱりあの人から聞いていた通りだ」
自己完結したのか、頷く海藤を見て紅はふと何かに気付く。
だが、確証がない今はまだ誰に告げる必要も無い。
一瞬でそれを判断すると、いつの間にかズカズカと海藤の仲間の方に歩いていく桑原を見る。
そして、彼が拳を振りかぶった所で「あ」と口を開くが時すでに遅し。
鈍い音がして、桑原の手の甲が金属でも殴った後のように赤く腫れ上がる。
海藤のテリトリー内では暴力行為は出来無いと言うことは頭から抜け落ちていたらしい。
「やらざるを得ないようだな、彼の“ルール”で」
いつに無く控えめな行動だが、相手の手の中に飛影の魂がある今、強く出る事は出来ない。
蔵馬の言葉に、紅やぼたん、そして渋りながらも桑原が頷いた。
「海藤優。俺のクラスメートだが、無口な奴で人と話しているのを見たことがない。
入学当時からとびぬけた知能指数で話題になった。盟王高はじまって以来の天才的頭脳の持ち主だ」
タブーさえ口にしなければ、話すこと自体を制限されているわけではない。
海藤に関して尋ねる桑原の質問に答えるように蔵馬がそう説明した。
同じ学校であるはずの紅まで「へぇ」と呟く。
「それって遠回しに自慢してない?俺、総合テストで一度も南野に勝ったことないぜ。
それに、雪耶があんたに続いて以来はずっと3位だ」
紅の方を一瞥して、海藤がそう言った。
確かに彼女はあれ以来、総合テストに限らずテスト類では手を抜かなくなっている。
結果、蔵馬には後一歩及ばないながらも毎度次位につけているのだ。
「言葉のスペシャリスト」
蔵馬は海藤をそう表現した。
それを聞きながら、やはりその名前に覚えはないなと思う紅。
顔自体も覚えていないから、恐らく言葉を交わしたのはここに来てからが初めてだ。
「流石に覚えた?」
「…まぁ、それなりに。名前は記憶したわ」
「名前だけで十分だ」
寧ろそれ以上覚えるなとでも言いたげな蔵馬の声に、紅はこんな時だと言うのにこみ上げる笑いを堪えられない。
クスクスと笑う彼女に緊張は見られなかった。
それだけでなく、この酷く過ごし辛い環境の中でも汗一つかいていない。
「紅に蔵馬」
「ん?」
「おめーこの蒸しあ………蒸す中でよく平気で居られるな」
蒸し暑い、と続くはずだったのだろう。
途中で不自然に途切れるも、無事タブーを紡ぐ事無く会話を続ける事に成功した。
彼の発言に紅と蔵馬は顔を見合わせる。
「結構平気よね」
「俺は植物を育てる為の環境は慣れてるし…紅も同じだよ」
何より、この程度で音を上げるほど柔な鍛え方はしていない。
この容姿をしているから忘れられがちだが、この二人の今の姿はあくまで仮初のもの。
これ以上は無駄だと判断したのか、桑原はもう一度椅子に深く座りなおした。
彼らに言う代わりに海藤に愚痴交じりの言葉を向ける。
「喉が渇いたら冷蔵庫にいろんな飲み物が入ってるよ。グラスもあるし」
彼の一言が、事態を進展させる切欠になろうとは、誰も予想していなかった。
いや、あるいは予測していたのだろうか。
彼…言葉のスペシャリスト、海藤優だけは。
06.10.03