悠久に馳せる想い
掲示板に張り出された新テストを前に、紅は軽く溜め息を吐き出した。
その隣では蔵馬が笑みを浮かべている。
「残念。また一点差だ」
「どうあっても勝てないように出来てるのかしら…?」
「さぁ…努力次第なんじゃないかな」
「…まるで私の努力が足りないみたいな言い分ね?」
そう言いながら紅は、笑顔を浮かべたままの彼の頬をぐいっと引っ張る。
さほど強い力で引いているわけではないのだから、痛みは殆ど無いだろう。
それが証拠に、彼は「痛いよ」と言いながらも笑いだすのを堪えているような感じだ。
「まぁ、別にテストの点数くらいどうだっていいんだけど…こうも毎回一点差で負け続けるのは何だか嫌ね」
「模試まで一点差だからな…」
ここまで来ると、彼女がそう仕組んでいるのではと思ってしまう。
尤も、こうして掲示板を前に唇を尖らせているのだからそれはありえないだろう。
「…見てても点数が変わるわけじゃないし…帰ろ」
肩を竦め、紅は掲示板に背を向ける。
そんな彼女の後を追いながら蔵馬が尋ねた。
「最後まで見ないの?」
「最後まで見たって仕方ないじゃない。自分の名前がもう一度後ろにあるって言うなら話は別だけど」
「…確かに」
掲示板に名を連ねることすら出来ない生徒からすれば、軽く怒りさえ覚えるような会話だ。
だが、この二人の場合はそれが負の方向へと進まないから不思議だ。
やはり、人望や顔は重要らしい。
「今日は帰りどこか寄る?」
「夕飯の買出し…は師範に頼んだから問題ないわね。んー…」
「用事が無いなら、新しく出来た喫茶店に行こうか。行きたいって言ってただろ?」
「秀一は時間大丈夫なの?」
「大丈夫じゃないなら誘わないよ」
会話の中ではさらりと流したが―――暗黒武術会の途中、戸愚呂との戦いで命を落とした幻海師範。
彼女はあの島から帰る間際、見事生還を果たした。
正確に言えば「生き返った」と言った方が正しいのだろう。
事実、彼女の命は尽き、確かに霊界へと向かったのだ。
優勝した者は、どんな望みでも叶えられる―――それが、暗黒武術会の価値。
今回の大会で優勝した幽助が望む事など、一つだった。
それを理解していた戸愚呂の声により、幻海の遺体は埋葬される事なく冷凍保存されていたそうだ。
「幻海さんはあれから何ともないのか?」
「全然。寧ろこっちが参るくらいにいつでも元気よ。相談しに来る人も絶えないし」
そこまで話して、紅はふと口を噤んだ。
その間が不自然だった所為か、蔵馬の視線が彼女へと向けられる。
どうかした?と言う問いかけに、彼女は躊躇い交じりに口を開いた。
「最近妙な相談客が多いのよね…」
「妙な?」
「何て言うか…人間なんだけど、少し違うって言うか…。よくわからないから、私は関わらないようにしてるんだけど」
「それは―――」
「南野!雪耶!」
蔵馬が何かを言おうとした所で、背後から二人を呼び止める声が掛かる。
何やら焦ったような足音が近づいてきていると感じていた二人だが、まさか自分達の所に来るとは思っていなかった。
その声の主には見覚えがあった。
最近事あるごとに声を掛けてくる人物。
二人は顔を見合わせ、また面倒だなぁと目と目で会話する。
「…こんにちは、部長さん」
「あぁ、雪耶。だが、俺は部長候補だ」
これが、いつもこの人物と交わす第一声だ。
どうあっても自分が部長だとは認めたくないらしい彼は生物部所属。
盟王高校の生物部は、その存在すら知らない生徒の方が多い部活だ。
主な活動場所が校舎裏のビニールハウスだと言う事も一つの理由だろう。
「いつも言ってますけど、私は無理ですよ。家が遠いですから部活なんてとても出来ません」
「そうだな…雪耶の通学時間を考えれば確かに君は無理だが…」
そこまで言うと、彼の視線がぐるんと蔵馬に向く。
四角い眼鏡の奥にあるそれとしっかり目を合わせてしまった蔵馬は愛想笑いを浮かべた。
部長してくれ。嫌です。
そんな不毛な会話を交わし始めてから、どれくらいの時間が経ったのだろう。
初めこそその内容を聞いていた紅だが、途中から面倒になっていた。
蔵馬と一緒に帰るのが常である彼女にとって、先に帰ると言う選択肢など浮かばない。
しかし…ここまで必死の所を見ると、生物部はかなり危険な状態のようだ。
来年まで残っているのだろうかと、部員にとっては何とも恐ろしい考えすら浮かんでしまう。
「…!」
ピクリと紅が何かに反応する。
蔵馬の方を見れば、彼はまだそれに気付いていないようだ。
足音を立てないように、不自然にならないように。
紅は彼の隣に立つと、部長(候補)からは見えない位置でクイッと彼の制服の裾を引いた。
それに伴って彼の視線が彼女へと向けられ、同時に何を言うでもなく気付く。
徐々に近づいてきている、慌しい足音に。
「蔵馬ァ大変だ!!いるか―――――!!」
「歩く騒音機。まぁ、走ってるみたいだけど」
思わず呟いた言葉に蔵馬が苦笑する。
かなり小さな声だったはずだが、彼には聞こえていたようだ。
そうしている間にも足音は近づいてきて、音のする角の方を見る二人。
この場合、二人だけでなくその廊下を通っていた他の生徒も何事かとそちらを向いているのだが。
そして、漸くその声の主が勢いよくその角を曲がってきた。
「桑原君……」
「おぉ、蔵馬!!やっぱり紅も一緒だな!」
漸く探し人を見つけることが出来た歩く騒音機こと桑原は、二人の姿を見つけてブレーキをかける。
他の生徒の目もあるのに、彼は蔵馬を『南野』ではなく『蔵馬』と呼んだ。
紅はそのことに対して軽く溜め息を吐く。
「(ほら、思った通り反応した)」
部長がその呼び名に対する疑問を抱くのを横目にそんな事を考えた。
上手く…と言えるのかは微妙だが、兎に角誤魔化し終えた蔵馬はこっそりと桑原に何かを言っている。
恐らく『蔵馬』ではないとでも言っているのだろうと判断し、紅は彼と共に来ていたもう一人に視線を向けた。
「…ぼたん…なんて格好してるの」
「え?あー…あはは。この格好、意外に楽でさ」
要するに気に入ってしまったらしい。
見覚えのある制服は、確か螢子が着ていた物と同じだ。
とすると、幽助の学校の制服か…と考えつつ、蔵馬が渡された紙を隣から覗き込む。
ものの3秒で最後まで読み取り、必要な情報を拾い上げた。
「幽助も甘いわね…そんな簡単に掴まるなんて」
「そう言わない」
などと言いながらも、蔵馬も苦笑を浮かべているじゃないか。
そう言えば、彼は肩を竦めた。
少なからず、彼自身も思っていることなのだろう。
「とにかく、飛影を探さないと…」
「飛影なら今日はそう遠くには居ないはずよ」
「知ってるの!?」
「午後の見回り中に飛影を見たって悠希が言ってたわ。それから動いていれば別だけど…」
彼の行動範囲を考えれば、同じ場所に居るとは考えにくいかもしれない。
だが、紅の証言により彼が近くにいるかも知れ無いと言う期待が膨らむ。
焦りすぎで言動が空回りしているぼたんを宥めつつ、一行は飛影探索へと乗り出した。
06.09.22