悠久に馳せる想い
マイク越しの声がどこか遠くに聞こえる。
ぎゅっと握り締めた手を取る熱を感じ、紅は視線を上げた。
初めは包み込むように感じていたその熱は、強く握られた彼女の指を解くように動く。
「あまり強く握らない方がいい」
ズキンと走った鈍痛は爪が掌を裂いた所為だ。
薄く滲んだ血がポタリと足元に向かって落ちていく。
その匂いを嗅ぎ取った暁斗が心配そうに彼女を見上げた。
蔵馬の言葉に曖昧な笑みを返し、暁斗に対しても同様のそれを見せる。
安心させるように微笑む事が出来ないほどに、リングの上の戸愚呂兄に対しての憎悪が膨らんでいた。
戸愚呂兄との戦闘を終えた桑原は、リングを降りると駆け寄ってくる幽助の頬を殴り飛ばした。
浦飯チームの中で、自分一人が幻海の死を知らなかったことを責める。
その話題を続けて欲しくない紅は軽く眉を寄せ、幽助を睨みつける桑原に声を掛ける。
「その辺にしておいたら?仲間割れでも起こすつもりなら話は別だけれど」
普段の冷静な物言いが、今回は裏目に出た。
落ち着きと言うものをすっかり忘れている桑原は、彼女の言葉に感情のままに口を開く。
「てめぇも師範の事なんかどうでもよくなったんだろ!?所詮は妖怪だからな!!」
「桑原くん!!」
蔵馬の声が桑原を制した。
その声にハッと我に返った彼は、自身の言葉が過ぎたものだったと今更に気付く。
しかし、すでに唇を通り過ぎた言葉は彼女の耳に届いてしまっている。
「…そうだな…。私も…あの者と同じ妖怪だ。分を弁えて失礼する」
その冷たい眼は佐倉の過去を思わせるものだと蔵馬は感じた。
だが、それを見せないようにするためか彼女はすぐに背を向けて歩き出す。
それを見送りかけた蔵馬だが、目の端を動いた銀に気付くと咄嗟にそれを掴んだ。
「放せ!!」
彼が掴んだのは暁斗の腕。
手首を強く握られた彼はそれを振りほどく事が出来ず、キッと蔵馬を睨みつける。
彼の手の爪は鋭く伸びていて、それの前にあるのは桑原の心臓。
後一瞬蔵馬が掴むタイミングが遅ければ、その手は確実に人間の急所を貫いていた。
ぐいと引き寄せられ、反対の腕まで固定された彼は、振りほどけないと悟りそのままの姿勢で桑原を睨む。
「こんな奴、殺してやる!」
「…暁斗、落ち着くんだ」
「何も知らないから言えるんだ!!」
「…暁斗」
「だから人間は嫌いなんだ!何も考えずに、何も知らずに!!貴様に母さんの何がわかる!!」
自分の手を逃れようと暴れる暁斗をしっかりと掴み、蔵馬は何とか彼を静めようとその名を呼ぶ。
しかし、紅に対する言葉から怒りに身を任せる彼にその声は届かない。
生粋の妖怪である彼と、身体は人間の自分。
彼を止めておけるギリギリだと判断した蔵馬は静かに溜め息を吐いた。
「暁斗、頼むから紅の傍に」
紅の名に暁斗の動きが止まる。
だが、その眼は未だに桑原を睨みつけたままだ。
倍ほどに膨れ上がった彼の尾が、その感情の起伏を表している。
「紅の傍に居てくれ。俺もすぐに行くから」
掴んでいた腕の力が抜けたのを知り、蔵馬はそっとその手を解く。
彼の小さな手首は赤く、それだけの力でなければ押さえられなかったと知りながらも胸が痛んだ。
暁斗は自由になるとすぐさま踵を返して走り出す。
「蔵馬…」
「あまり、暁斗の前で紅を罵倒しない方がいい。見た通り、俺の声も届かない」
自分の右手首を左手で軽く握り、右手をくるくると回す。
かなりの力で押さえていたのだろう。
蔵馬の掌は指先にいたるまで赤く染まっていた。
「それから………さっきの言葉は、俺も許せないな」
「……………」
「紅に向けて許される言葉じゃない。暁斗が暴れなければ俺が殴ってた」
目を逸らす桑原も、自身の非を認めているのだろう。
声にこそ出さないものの黙って蔵馬の言葉を聞いている。
「彼女は幻海師範の死を悼んだ………いや、悼んでいる。これは嘘偽りのない事実だ」
それだけを言うと、彼も前の二人に倣うようにくるりと背を向けて歩き出した。
先程暁斗に言っていたように、彼女を追うのだろう。
残された四人を包む空気は重い。
「暁斗に救われたな」
「飛影?」
吐き出すような言葉に、幽助がその声の主を呼んだ。
彼は呆れたように桑原を見ている。
「内輪揉めはその程度でいいかねぇ?」
不意に、第三者の声が四人に届く。
その声にこの場所が未だ緊迫すべき場なのだと思い出す一行。
彼らの変化を見た戸愚呂チームは、左京が前へと進み出た。
ザワリと揺れるドーム内を他所に彼は審判にマイクを求める。
「母さん!」
ドームの外を歩いていた紅は、数秒前からこちらに向かって駆けて来る足音に気付いていた。
名前を呼ぶ声も、その足音の主に違いない。
「暁斗まで来たの?」
「当然だろ。あんな奴と一緒に居たくない」
つんとそう言った彼に対し、紅は苦笑を浮かべた。
紅自身、あの場に止まれば自分の感情を制御できなくなりそうだったから離れたが、今は割と落ち着いている。
「そういう事を言うものじゃないわ。蔵馬の仲間でしょう?」
「俺には関係ない。人間なんか………大嫌いだ」
暁斗は吐き捨てるようにそう言った。
紅のためにそう告げたと言うよりは、本心からの言葉のように思える。
嫌いと言うよりはいっそ憎んでいるといっても過言ではないだろう。
「でも、私は…人間を嫌いにはなれないわ」
「母さん…?」
彼の言葉に薄く笑い、紅は小さく呟く。
銀毛に包まれた耳がその呟きを拾い取った。
答える前に、紅の身体は後ろから二つの腕によって引き寄せられる。
彼女はそれに甘えるように、腰に絡まった腕に自身の手を重ねた。
「尊敬した人が人間だった。そして何より………愛した人が…人間として生きているから」
トンと背中が彼の胸に当たる。
逆らう事もせずそこに後頭部を預け、紅は答えた。
目の前の紅だけに集中していた暁斗は、蔵馬が来ていた事に気付いていなかったようだ。
驚いたように、でも、その答えに納得したように首を振る。
「大丈夫?」
「ええ。私の代わりにあなた達が怒ってくれたんでしょう?なら、私は大丈夫よ」
少しだけ身を捩り、抱きしめられているが故に近い彼の頬にキスを送る。
そして暁斗の頭を撫でた。
自分に代わって感情を露に怒ってくれる人が居るならば、それは喜ばしい事だろう。
その人が大切な人だと言うならば、尚の事。
三人はドームの中からの歓声を聞き、顔を見合わせた。
「行きましょう。最終決戦を…見ないわけにはいかないわ」
「本当に大丈夫なんだな?」
「…あなたが居てくれるなら」
そう笑った紅の表情に無理はない。
右手を彼の腕に絡め、左手にはいつの間にか暁斗が陣取る。
二人に挟まれるような状態で、来た道を引き返した。
06.08.30