悠久に馳せる想い

順調と称するには少し語弊がありそうだが、兎に角飛影は浦飯チームに一勝を掲げた。
すぐ近くで爆睡している彼を見下ろし、紅は蔵馬の治療のために張っていた結界を彼に届くよう広げる。
特に負傷は見られないが、体力の回復程度にはなるだろう。

第一、 この場に居るメンバーの中で本格的に傷を癒す事ができるのは蔵馬ただ一人。
残りはかすり傷を治したり、痛みを和らげたり…あとは体力を動ける程度まで回復させる程度だ。
実用的ではないとは言わないが、大手を振って役に立つと言えるほどでもなかった。

蔵馬の試合が終わってしまったからだろうか。
試合などすでにどうでもよさ気に擦り寄る暁斗の銀糸を撫で、紅はリングへと視線を戻した。
飛影の荒れ試合のおかげでリングは半壊。
丸いはずのそれは、今となっては離れ小島を思わせる。
遠くから何か巨大なものを運んでくるような地響きが聞こえるなぁと思いながら、そっと瞼を下ろした。
被害はリングだけに止まらず、続きの試合が始まるまではもう少し時間が掛かりそうだ。









「こっちに手が足りませんー!!」
「ここも崩れまくってて使えそうにないな」
「瓦礫を退けないことには―――」

耳に入ってきた声に、紅は閉じていた瞼を持ち上げた。
この大会のスタッフと思しき妖怪らが必死で闘技場の片付けに取り掛かっているのが目に入る。
浦飯チームや戸愚呂チームのメンバーはと言えば、各々突如設けられた自由時間を満喫している様子だった。

「あれからどれくらい経った?」
「5時間程度だよ。起きたの?」
「元々寝てたわけじゃないわ」

思考を休めていただけ、と答えれば蔵馬は苦笑を浮かべる。
大方、「寝ているのとあまり変わらない」などと考えているのだろう、と紅は思った。

「ねぇ…さっきの音は?いつの間にかなくなってるけど…」
「音の原因は恐らくあれですよ」

そう言って本から視線を持ち上げ、彼が指差した先には巨大な円。
何かと思えば前の闘技場で使われていたリングだ。
それは崩れた観客席の壁に立て掛けられていて、どう見てもそこにあるのは不自然なもの。
首を傾げた紅に蔵馬が「戸愚呂ですよ」と答える。

「前の闘技場から運んできたんですよ」
「何か………筋力が有り余ってるのね…」
「まぁ、そのおかげで観客は熱を取り戻したみたいだけど」

早く始めろとスタッフを急かす声を聞けば、なるほどと頷ける。
紅がドームの中央に視線を向ければ、未だ壊れたリングがそこに残されていた。
なるほど、あれがあるからリングは立てかけてあるのか。
そんな事を思いつつ、彼女はスッと自身の右手を持ち上げた。

「そこの妖怪たち」

大きくない紅の声は、ちゃんと目当ての人物らには届いたようだ。
リングを運び出そうとロープを掛けていた妖怪たちが彼女を振り向く。
彼らに向かって、紅は綺麗だけれども冷たい笑みを浮かべた。

「死にたくなかったら3秒で退いて」

一も二もなく、脱兎の如くその場から離れる妖怪を見て、紅は「人を何だと思っているんだ」と内心思う。
だが、今までの行動や魔界での自身の名前の有名さからすれば当然の事だろうと思いなおした。
そうしている間にも彼女の持ち上げた右手に朱の焔が宿る。
焔であるはずのそれは、美しくかつ神聖に、全ての視線を集めた。
賑わっていた観客までもがしんと静まり返る。

慣れた緊張感に、紅は口角を持ち上げると焔を纏う手をぎゅっと握った。
途端に彼女の手元の焔は消え、代わりにリングの残骸が瞬時に朱の焔に包まれる。
全てを浄化するそれは、その残骸の身を焼き払って姿を消した。
ヒソヒソから始まった会話は徐々に大きさを増して、次第に元の喧騒を取り戻すドーム内。
先程素晴らしい速度で逃げた妖怪が自分に向けて頭を下げるのを知りつつ、紅は無反応に作業を見つめた。

「…珍しいな。紅が手を貸すなんて」
「これ以上時間を潰されるのは迷惑よ。暁斗だって飽きて寝てるわ」
「あぁ、だから平和に読書が出来てたのか」

自身の手元に視線を落とした蔵馬が、納得したように頷いた。
それを見た紅は、自分の足を枕に眠る暁斗の髪を撫でつつ苦笑。
確かに暇を持て余しては蔵馬にちょっかいを出しては邪魔をする暁斗だが、これは少し酷い。

「次の試合って桑原くんだっけ?」
「そうだよ」
「ふぅん…相手は戸愚呂の小さい方か…」
「ああ。さっきから鬱陶しいほどに視線を向けてくる奴が相手だ」

本に視線を落として呟いた蔵馬に、紅はきょとんと彼を見つめる。
気付いていたの?と問いかければ当然だと言う即答が返って来た。
確かにあの視線に気付けないようでは、本気で彼の衰えを案じなければならない所だ。

「一番醜い欲に塗れた奴ね」
「まぁ、佐倉を前にすればそうなるのも無理はありませんけど」

彼が言葉を丁寧にする時は大概苛立っているか、もしくはその言葉に棘を含ませる時。
今回は後者だな…と考えつつ、彼女は戸愚呂チームに視線を向けた。
リングの残骸が消えた為か、戸愚呂の弟の方が再び新しいリングを背負ってドームの中央まで移動している。
ズンと低い音と共に、リングはドームの中央に置かれた。
あまりの衝撃に、体重の軽い暁斗の身体がほんの少し飛び上がる。
紅の太股を捕らえきれなかった彼の後頭部が地面にゴンと打ち付けられた。
それに驚いたのか、彼は頭を押さえながら身体を起こす。

「痛ぁ…。何の音…?」
「リングを置いただけよ。大丈夫?」
「打っただけだから平気だけど…誰だよ、こんな傍迷惑なことする奴」

折角気持ちよく寝てたのに。
そう不平を垂れた暁斗に、隣から小さく噴出す声が届く。
そちらを向けば、蔵馬が本を閉じて肩を震わせていた。

「相変わらず寝起きはガラが悪いな、暁斗。こんな所で熟睡する方もする方だよ」

そう言って蔵馬はぽんぽんと彼の頭を撫でる。
自分の本来の姿と同じ銀糸に指を通し、先まで軽く梳いた。
サラリと流れる質感も同じだなと蔵馬は笑みを深める。
珍しく頭を撫で続ける彼に対し、暁斗は内心首を傾げた。
ぽんぽんと撫でられる事は蔵馬の場合珍しくはないが、髪を梳くように撫でるのは稀。
どちらかと言うとその動作は紅の方が多いものだ。
見上げてくる彼に、蔵馬は微笑んだ後その手を下ろす。

「俺としては、暁斗に戦って欲しかったけど…残念だ」
「戦うって……誰と?」
「戸愚呂兄」
「あぁ、あの変態…」

ポツリと呟き、暁斗はその視線を戸愚呂兄へと向けた。
丁度弟の方が作業を終えたらしく、すでに彼の肩を占領している。

自分の足で立てよと思う反面、どんなに動こうが張り付いているあの握力はびっくりだよね。

場違いだとは思いつつ、暁斗はそんな事を考えていた。

「…俺に相手して欲しいなんて…父さん、よっぽどムカついてるんだね」
「どうして?」
「だって、楽には死なせてやんないよ、俺」

甚振るの結構好きだからさ、と爽やかに笑う暁斗。
先程質問を投げかけた紅は、いつもと違う彼の様子に思わず首を傾げる。
寝起きで更に邪魔をされて起こされたと言う事もあり、彼の機嫌は悪いらしい。
普段の可愛らしい猫が脱げている事に、彼は気付いているのだろうか。
紅はそれに気付いていながらも特に追求する事はない。

「(まぁ、蔵馬の子だし………そう言う部分を受け継いでいても可笑しくはないわよね。)」

自分も佐倉としての思考に戻ればかなり好戦的な妖怪なのだから、と紅は笑った。
間もなく第二試合が終わって6時間。
桑原と戸愚呂兄の試合が始まろうとしていた。

06.07.15