悠久に馳せる想い




紅が家から持ってきた小説に興味を引かれたのか、暁斗はベッドにうつ伏せの状態でそれを読み漁っていた。
結構な量のそれはすでに半分以上読み終えたらしく、読書好きな辺りは立派に紅の血を引いているらしい。

「ねぇ、母さん」

不意に、暁斗は本から顔を持ち上げて紅の方を向いた。
窓際に置いた椅子に腰掛け、足を組むようにしてじっと外の風景に視線を向ける紅。

「何?」

彼女は視線さえ戻すことなく彼の言葉に返した。
その様子に暁斗は眉を寄せる。
どこか遠くを見つめているその眼差しが、あの日の彼女を思い出させた。
眼に映るのは怒りでも哀しみでもない、どこか無を思わせるそれ。

思わず縋ったあの日と同じように、暁斗は弾かれたように紅に抱きついた。

「…どうしたの?」

あの頃よりは成長していて、抱くには少し辛くなってきた彼だが、紅は彼を突き放す事はない。
ぎゅっと彼女の着衣を握り締め、額を胸に預けて顔を俯ける彼の背中を優しく撫でた。
真上から自分の方に向かって降って来た声に、暁斗は漸く彼女の視線が自分を映している事を悟る。
膝の上に乗り正面から紅に抱きつくようにして顔を埋めていた暁斗だったが、ゆっくりと視線を持ち上げた。
紅譲りの金の眼が彼女を映した。

「…母さん、あの日と同じ目をしてた」

囁くような小さな声に、紅は軽く目を見開く。
そしてその口元に苦笑を浮かべた。

「心配しなくても、今度は居なくなったりしないわよ」

安心させるように優しい声色でそう言って、佐倉は彼の銀髪を撫でる。
銀糸の間から姿を覗かせる耳が、心地よいと訴えるようにぴくぴくと動いた。

「なら、どうしたの?」

暁斗の問いかけに紅はふっと笑みを浮かべる。
いつもの優しいものではなく、何かを隠すような切ない微笑みに彼は言葉を失った。
自分では駄目だと、本能的に悟る。

「と、父さんはどこに行ったの?」

話を誤魔化すように別の話題を投げかける彼に、紅もそれを追求するでもなく答えた。

「…決勝戦に備えているところよ」

誤魔化せたというよりは誤魔化されてくれたのだが、暁斗はそれ以上自分に出来る事はないと思った。
そう言って答える間にも手の動きは止まらず、流されそうになる自分を叱咤して暁斗は口を開く。

「俺、父さんの所に行ってくる!」

ぴょんっと彼女の膝から降りると、引き止められないうちにとドアに向かって走りながらそう言った。
そして言い終えるが早いかさっさと扉をくぐってしまう。
俗に言う、言い逃げという奴である。

「…ごめんね…気を使わせて…」

悪いとは思いつつも、自分の感情をどうにか出来そうにない。
今はただ、何も考えず沈黙に身を任せて居たかった。











「あーもう!父さんどこに居るんだよっ!!」

ホテルを抜けだした暁斗は只管走っていた。
もちろん蔵馬を探すためであったのだが、飛び出してから20分以上経った今もその姿を見つけられていない。
生い茂った木々を気にするでもなく軽い足取りで走り、少しばかり開けた場所へと出た。
左右を見渡しても見えるのは短く刈り取られた草木のみで、肝心の探し人はその名残すらも無い。

「だーっ!!うろちょろすんなっつーの!!出て来い親父!!」

苛立ちも最高潮に達しているのか、普段の彼からは考えられないような柄の悪い口調で怒鳴る。
元よりあまり忍耐力の強くない彼だが、今回は紅の事があるので更に拍車がかかっている。
独りにしておきたくないのに、傍に居るのは自分では駄目なのだ。
彼女が必要としているのは、自分が目標としている彼一人だから。

「…口が悪いな、暁斗」

この場には居ない、そう判断して踵を返そうとした彼に、真上から声が降って来た。
声に弾かれるように上を向けば、見えたのは揺れながら木の葉を落とす枝のみ。
それと同時に、背後に慣れた気配を感じ取った。

「父、さん…?あれ?何で妖狐に戻って…」
「そんな事より、何かあったのか?」
「そんな事って…」
「お前が焦るのは紅が関係している時位だろう?」

暁斗の言い分など綺麗さっぱり無視して問いかけるのは銀髪を風に靡かせる妖狐蔵馬。
暁斗にとってはこちらの姿の方が見慣れているが、まだ戻れないはずだ。
だが、疑惑はすぐに彼方へと吹き飛んだ。

「そうだ、母さん!父さん、母さんの所に戻ってよ!」
「…紅に何があった」

即座にその表情を真剣なものへと切り替える蔵馬の着衣を握り、暁斗は続けた。

「俺じゃ駄目なんだ。母さん、悲しんでる。何にかはわからないけど…」

暁斗の言葉で蔵馬は脳裏に先程の考えが浮かんだ。
鴉の言っていた『誰か』という言葉がさす人物。
それが、紅の様子により理解できた。

「…知っていたのか…」

ギリッと奥歯を噛み締め、蔵馬は呻くように呟く。
そして、この事を伝えに来た暁斗を褒めるように頭を撫で、すぐにホテルの方へと走り出した。

「あ、危なかった…。母さんの事がなかったら絶対怒られてたし」

流石にあの怒鳴り声を聞かれていたのはまずかった。
そう言って暁斗はその場に座り込む。
すでに蔵馬の影形、名残さえもその場にありはしない。
あの様子ならば、紅の様子のおかしい原因もわかっているのだろうと暁斗は推測した。

「…ホントに頼んだよ、父さん…。母さんが望んでんのはあんただけなんだからさ…」

ごろんと身体を草の上に横たえ、暁斗は空を見上げた。
偶にはのんびり空を仰いで過ごすのもいいかもしれない。

「日が暮れた頃に帰れば丁度いいかな」

そう呟いて、彼は風を頬に感じながらその目を閉じた。





父さんと母さん、どっちの方が好きかって聞かれれば選ぶのはやっぱり母さんだと思う。
でも、二人とも好きだから…笑っててほしいんだよね。
その為なら、もう少しだけ。
物分りのいい子供の振りして二人の時間を作ってあげるよ。

「ま、帰った時にまだ母さんが落ち込んでたら…一発殴らせてもらうけどね」

…多分、いや絶対避けられるだろうけど。

06.03.16