悠久に馳せる想い
「「紅っ!!」」
幽助たちが紅の身を案じて声を上げる。
そんな彼らに向かってふと口角を持ち上げれば、一筋の血が口元から流れ落ちた。
それに眉を寄せながら紅は己の身体を貫く暁斗の腕を抜き去る。
途端にボタボタと白いリングを濡らした赤に、観客が沸いた。
「止めを刺せ」「殺せ」とお世辞にもありがたくないコールが響く。
だが、そんな観客の声はリングの二人にはフィルターに阻まれたように聞こえていなかった。
暁斗は赤く濡れた己の手を見下ろすだけでそれ以上動かない。
今にも泣き出しそうに表情を歪め、ただただそれを見下ろしていた。
「暁斗。ごめんね」
そう紡ぐと、紅は己の血を手に塗るように腹の傷口に当てる。
赤く濡れた指をそのまま無防備な暁斗の胸へと沈めた。
貫いてしまわないように突き刺す指を二本に止める。
「母さ…っ」
紡ごうとした声は言葉にならない。
無意識のうちに発せられたそれに、紅は人知れず眉を寄せた。
「う、嘘だろ…。自分のガキを…」
殺した。
先に続く言葉こそ吐き出さなかったものの、桑原の声はそう語っていた。
彼女の黒い着衣はどす黒く染まり、足元には血溜まりを作っている。
流れる血の量があまりにも多すぎる所為か、絳華石は丸くなるどころか平たいまま固まっていた。
刺した指を引き抜けば、そこから暁斗の胸へと血が溢れる。
背中の操血瘤がパァンと弾けるなり、彼は膝から崩れ落ちた。
「おい、紅!!おめー何やってんだよ!?」
リングに上がりそうな勢いで桑原はそう言った。
それを横で制するのは幽助。
「よせよ、桑原!紅にだって何か考えがあるに決まってる!」
そんな彼らの動揺を横目に、紅は唇から流れた血を手の甲で拭う。
そして、足元に伏せた暁斗を見下ろした。
前回の事を生かして、今回全く実況を挟まなかった小兎。
しかしながら、彼女はキチンと審判としての仕事は行っていた。
増えていくカウントを聞きながら、紅は時折ビクッと身体を揺らす暁斗をただただ見つめる。
最後まで数字がカウントされると、小兎が紅の勝利を宣言した。
前以上に血が舞った所為か、観客は酷く興奮気味にリングを見下ろして歓声を上げる。
割れんばかりにドーム内を木霊するそれらに嫌悪の表情を浮かべ、紅は暁斗の傍らに膝を付いた。
彼の身体を簡単に抱き上げると、リングから下りる。
「紅、どう言う事だ」
桑原達の横をすり抜けようとした紅の肩を引き、彼は呼び止めた。
面倒そうに振り返りながらも彼女は声の主、桑原を睨みつける。
「何が言いたいの?」
「てめぇの息子ならその命も好きにしていいってか?」
「…幽助」
酷く怒っているらしい桑原の手を解き、紅はその隣に立つ幽助に視線を向ける。
彼はどう反応してよいのかわからないようだった。
「あの男、完膚なきまでに叩きのめして」
そう言って紅が真っ直ぐに睨みつけたのは他でもないイチガキ。
これほど距離があると言うのに、彼は「ヒィッ」と竦みあがった。
「…あぁ、わかった」
彼を一瞥して、幽助は頷きながらそう答える。
その答えに満足したのか、紅は再び足を進めようとした。
「待てよ!まだ話は…」
「悪いけど、私はこの子を手にかけた覚えはないわよ」
言い終わるが早いか、紅は出口へと歩いてく。
彼女の言葉の意味する所が理解出来なかったのか、桑原は一時その場に立ち尽くした。
「…紅は自分の血を使ってあの子の操血瘤だけを破壊したんだよ」
彼を見かねたのか、覆面がそう言って声を上げた。
今の今まで沈黙していた彼女の発言に桑原が振り向く。
「紅は己の血を完全に支配している。血の繋がりがあるからこそ出来た方法だね」
「血の繋がりがあるからこそ…?」
「ああ、そうさ。それに…相手の血までも支配しようって言うんだから、並大抵の痛みじゃなかったはずだよ」
覆面の言葉に二人はそう言えば、と先程の彼女を振り返る。
言われてみれば、いつもより険しい表情を浮かべていたような気がする。
今も相手を支配したその名残が残っているのだと、覆面は言った。
「…とにかく、あいつは死んでねぇんだな?」
「もちろんさ。紅が殺すはずがないね」
「よーし!おい、桑原!!ならさっさと紅の願いを叶えてやろうぜ!」
そう言って幽助は腕を回し、対するイチガキチームを睨みつけた。
丁度リングの調整が終わったらしく、ドーム内に小兎の案内が響く。
規則正しい寝息を立てる暁斗。
彼の眠るベッドの脇に座り、紅はただその寝顔を見つめていた。
時折脈打つのにあわせて全身がズキズキと痛む。
「久しぶりだと思った以上に応えるわね…」
相手の血を支配する時に起こる、全身に電流を流されたような痛み。
それは未だに尾を引いて紅の肉体を蝕んでいた。
しかし、今こうして暁斗が生きているならばその痛みなど気にならないものだ。
「まったく…魔界で大人しくしていればこんな事に巻き込まれずに済んだのに…」
そう言って紅は彼に向かって手を伸ばす。
意識を飛ばした時点で、暁斗の頭にはふさふさとした耳が姿を見せていた。
シーツに隠れているが同様の毛並みに包まれた尾も存在しているだろう。
その耳を擽るように頭を撫でる紅の手。
身じろぐ暁斗だが、その表情が穏やかなことに紅は静かに笑みを浮かべる。
縋るようにシーツから這い出てきた手が、紅の着衣の裾を掴んだ。
その小さな手に己の手を重ね、紅は紡ぐ。
「今はゆっくり休みなさい」
紅の声はどこまでも優しかった。
カツンと靴音がした。
背後に現れた気配に、紅は落とした視線を持ち上げる。
ガラス越しに来訪者への視線を向けた。
「何の用?」
「…今頃浦飯チームは二回戦だな」
彼の言葉に紅が振り向いた。
「どう言う事?」
「ゲストだからな。色々と仕組まれていてもおかしくは無いだろう?」
そう言って左京は口元に笑みを浮かべた。
勝ち誇ったような彼の表情を紅が睨みつける。
「暁斗をイチガキに渡したのはあなたね」
紅の言葉に何を答えるでもなく、彼はただ笑みを深めた。
それが示す所は明らかな肯定。
「用意周到ね。船の上であなたを殺していたら、私の元にこの子の亡骸が届くように手配してあったんでしょう?」
「その洞察力に敬意を表して、三回戦の余興試合は中止するよう連絡しておこう」
そう言うと彼はタバコを唇に銜えて部屋を出て行った。
その背を睨んでいた紅だが、彼が完全に消え去ると溜め息を一つ零す。
「連戦、か…」
呟きと同時に暁斗の頬を撫でる。
暫く考えるように黙り込んでいた紅だったが、カタッと小さな音を立てて椅子から立ち上がった。
己の首につけていた絳華石のペンダントを外し、トップとなっている赤い塊を握り締める。
手の隙間から赤い光が漏れ出したのを見届けると紅はそれを暁斗の首にかけた。
そっと彼の頭を撫でると、その額に軽くキスを落す。
そして、紅は医務室を出て行った。
「狸寝入りも程ほどになさいね」
扉を潜る直前にそう言い残して。
その言葉に暁斗の耳がピクリと動いた事を知っている者はいない。
05.11.26