悠久に馳せる想い
「いや、すみませんね…態々お越しいただいて」
人の良い笑みをはり付けた左京に、紅は静かに視線を持ち上げる。
促がされるままに彼の前の席に腰を降ろす紅。
「お寛ぎください。まだ先は長いですからね…」
「お気遣いいただかなくて結構よ。馴れ合うつもりはないわ」
目の前に用意されたカップさえも一瞥する事なく、彼女はその場にいた。
その表情は酷く不機嫌そうに歪められている。
…否、不機嫌「そう」ではなく実際に不機嫌なのだが。
「これは手厳しい。さすがは『血の要塞』佐倉…か」
紅が僅かに眉を寄せる。
そんな彼女の反応が満足だったのか、彼は腕を組みなおして口角を持ち上げた。
「そろそろ私を招いた理由でも教えて欲しいわね。
まさか絳華石が欲しいだなんて戯言を吐くつもりじゃないでしょう?」
睨みつけるように、紅はそう紡いだ。
「そうですね…じゃあ、本題に入りましょうか」
「…その前に一つ」
それまでは姿勢を正していた紅が、自らの足を組んで壁の一つを睨みつけた。
その鋭い眼光に場の空気が変わる。
「舐めるような殺気を放つ妖怪を私の目の届く範囲から消して。鬱陶しいわ」
「…だそうだ」
左京の言葉に、彼女が睨んでいた壁がぐにゃりと歪む。
空間操作の応用ね、と予測を立てる紅。
彼女の視界にガタイのいい男と、その肩に乗っていやらしい笑みを浮かべる男が現れた。
「紹介しようか。戸愚呂兄弟だ。彼らも今回の大会に出場してもらう」
「…佐倉よ」
機嫌を損ねていても紅は紅だ。
相手を紹介されてそれを無視するほど常識を捨てているわけではない。
彼女の返答を聞くなり、ガタイのいい方の男が口を開く。
「確か、人間界では別の名だったように思うけどねぇ…」
「生憎、あなた達に名乗るような安い名前じゃないの」
嘲笑を浮かべて紅は彼の言葉を一蹴した。
それよりもさっさと消えろ、と言う内心をありありと表現した彼女の様子に、左京は喉の奥で笑う。
「すまないな。戸愚呂兄弟。廊下に出てもらえるか?」
「大丈夫なのか?」
「彼女は自分の役割を弁えているよ」
“役割”と言う単語に紅ははっきりと不快を示した。
それこそが彼女をこの場に縛り付けている理由なのだ。
左京の言葉を受けて戸愚呂はそれ以上何も言わずに廊下への扉を潜る。
廊下へ出るまで何も言葉を発しなかったが、戸愚呂兄は絶えず舐めるような視線を紅に向けていた。
「趣味が悪いわね」
「あれはあれでよく使えるさ」
「道具、ってわけね…」
それなら納得出来るわ、と紅はテーブルクロスの上に肘を付く。
その手の上に顎を乗せて、空いた手でトントンとテーブルを叩いた。
伏せがちに視線を落す姿は酷く造形美を思わせるもの。
サラリと肩に掛かっていた亜麻色の一握りが流れ落ちた。
「それで?私を招いた理由でもお聞かせ願いたいわ」
「何の理由もないさ。ただ、勧誘しようかと思ってね」
「……わかるようにご説明いただきたいわ」
「こちら側に付く気はないかと聞いているんだよ」
そう言って彼は紅の方へと手を伸ばす。
男ながらに繊細な手が、彼女の髪に触れようとした。
「私に触れれば殺す」
慌てた様子など微塵もなく、紅はただ低くそう紡いだ。
「そうすれば廊下の彼らが君の大切な者達を殺すように準備は整っている」
「それでも。五人全員を守る事は出来なくとも、彼一人なら守れるわ」
「…切り捨てるのか」
「せずに済むのが一番だけど…やむを得ないなら」
自分にとって一番の彼を守る。
澄んだ目に映るのはその覚悟のみ。
「面白いな」
伸ばしていた手を引っ込めて彼は口元に笑みを刻む。
ガタッと音を立てて椅子を引くと、左京は窓際まで歩き出す。
それを追う事すらせずにぼんやりと部屋の中に視線を向ける紅。
不意に、彼女が口を開いた。
「あの兄弟に命令すれば?彼を殺せと。それならば私はあなたの元に付くでしょうね」
挑発染みた言葉を発する彼女を見ながら、左京はタバコに火をつける。
ほんの少しだけ開いた窓の隙間から紫煙が逃げ出した。
「別に構わんさ。元々こちら側につくと思って話を持ちかけたわけじゃない」
「(じゃあこんな所に監禁するんじゃないわよ…)」
楽しげに笑う男に僅かな殺意が芽生えたのは気のせいではない。
しかしそれを口に出した所で、より一層彼を楽しませるだけだとわかっている。
それゆえに紅は静かに口を閉ざしていた。
「首縊島まではもう暫く掛かる。まぁ、ゆっくり寛いでくれ」
タバコの火を消すと左京はドアノブに手をかける。
そこで思い出したように紅を振り向いた。
「君の妖怪姿を見れることに期待するよ。では」
バタンとドアが閉じられた。
その後に続くカチャリと言う施錠音に紅は深々と溜め息をつく。
「何考えてるんだかね…」
部屋の中に自分以外の気配を感じなくなって、紅は漸くその警戒を解いた。
足元から伝わる船の揺れに僅かな不快感を受けながらも窓の外へと視線を向ける。
窓枠の中に、船が向かっている島が小さくその姿を見せていた。
「蔵馬ぁ。紅はどうしたんだ?」
船に乗り込んだ一向。
漸く紅の姿がない事に気づいた桑原は蔵馬にそう問いかけた。
しかし、返って来たのは何とも冷たい空気。
「…彼女なら別ルートで会場に向かっているそうですよ」
肩に乗る悠希を撫でながら蔵馬は答える。
先程からピリピリと空気が痛いのはその所為か…と桑原は納得した。
因みに幽助は船に乗り込むなり眠りの世界に沈んでしまっている。
「まぁ、悠希が大人しいから大丈夫だとは思いますけどね…」
蔵馬に名前を呼ばれた悠希は彼の肩から腕の方へと下りてくる。
甘えるように頬を摺り寄せる悠希を腕に、彼は苦笑を浮かべた。
「心配する事ねーって!紅は強ぇんだしよ!!」
「心配はしてませんよ。ただ…落ち着かないだけですから」
「(それは心配してんのとどう違うんだ…?)」
隙を突いたつもりの妖怪をいとも簡単に伸す蔵馬に、桑原は言葉を飲み込んだ。
これ以上彼の機嫌を損ねるのは得策とは言えないだろう。
「むしろこんな大会に来て欲しくないんだけどね…」
小さく紡がれた言葉に悠希が首を傾げた。
そんな反応に苦笑いを浮かべ、彼は水平線に見えてきた島へと視線を固定させる。
隣にあるはずの遠く離れた彼女を脳裏に浮かべつつ、その切れ長の目を細めた。
05.09.16