悠久に馳せる想い
桑原の部屋のドアノブを握った紅の耳に、三日ぶりの彼の声が届いた。
無事に目を覚ました事に対する安堵の息が漏れる。
カチャリと静かにドアを開き、彼女は部屋の中に入った。
今しがた目を覚ましたばかりといった様子の幽助。
「あ!!そうだ、螢子とぼたんは!?」
「あ~~それから岩本!!
あいつ今でもサツで事情聴取だってよ。なにも覚えてねーとか言ってるらしいけど」
焦った様子でそう言った彼を誤魔化すように桑原が現状説明に移る。
「竹センは頭ぶっとばされて通院してっしよ」
「おい!!んなことはいいんだよ」
そう言う幽助だが、桑原は依然として先程の問いには答えない。
問いに対する答えを避けるかのように、また別の話題を繰り返す。
その様子を傍らで眺めていた紅は人知れず溜め息を落とした。
「………螢子とぼたんは!?桑原!!」
強くその答えを求める幽助。
ずっと沈黙してきた蔵馬はその言葉に視線を逸らす。
そして、桑原も視線を落とした。
まるで……その答えが彼らにとって負のものであるかのように。
答えを知っている紅も、彼らに合わせるように顔を俯かせ、口元を手で覆う。
三人の行動に、幽助の中の不安が広がった。
「黙ってたらわかんねーだろうがァ!!なんとか言え!!桑原!!」
胸倉を掴み上げ、怒鳴る。
その時 ―――
「なに大声出してんだい。あ!!おはよ、幽助!!」
部屋の空気など露知らず、彼女達は陽気な声を上げて姿を現した。
驚きに表情を染め上げる幽助の隣で桑原が悪戯が成功したと言う風な表情を見せる。
「なんだよ、もう少しひっぱりてーのに」
「冗談にしてもシャレにならないと言ったんですが」
その時になって漸く蔵馬が口を開く。
彼の隣で紅は溜め息をついた。
「止めなかったら同ざ…」
同罪よね、と言おうとした紅の口を蔵馬が塞ぐ。
彼の男らしい手にすっぽりと覆われ、彼女は不満げに彼を見た。
「黙ってましょうね、紅。過ぎた事なんですから」
楽しげに笑う蔵馬。
紅はそれ以上何も言う気にならなかったのは、惚れた弱みという奴だろうか。
「お邪魔しました」
「はいよ。またいつでもおいで。幻海師範によろしくね」
静流に見送られ、紅と蔵馬は桑原家を後にする。
夕暮れと言うには僅かに早い時間。
道行く人も少なく、のんびりと歩を進めるには丁度良い時間帯だった。
「二人とも、暫くはろくに動けないでしょうね」
「幽助たちの事?」
「ええ。あそこまで疲労させて…今狙われたら一溜まりもないって事、コエンマはわかってるのかな」
紅は人事のように淡々と話す。
もっとも、彼女にとっては立派に人事なのだが。
「俺の所に幽助を護衛するように話が来てたな…」
「………受けたの?」
「いや。まだここが治ってないからね」
答えながら蔵馬は服の上から傷に触れる。
飛影に貫かれ、玄武に再度傷を与えられた場所だ。
それを見て紅は眉を寄せる。
「痛むの?治す?」
「別にいいよ。あまりそれに頼りすぎると自己治癒力が低下するんだろう?」
「…そう。ならいいけど…。それより。コエンマはまだ蔵馬を縛り付けてるの?」
さも不愉快だという様子で紅は彼に問う。
ここで頷けばコエンマの身が危険かもしれない。
蔵馬の脳裏をそんな縁起でもない考えが過ぎる。
いや、彼女の行動を考えれば十分にありえる事なのだが。
「いい加減彼とキチンと話さないといけないわね」
「俺にも非はある。従うのは当然だよ」
「……………」
「償いは必要だと思うんだ。だから…」
「…わかった。この件に関してはもう口出ししないわ」
苦笑気味に笑い、紅は答えた。
蔵馬は彼女の答えに満足そうに頷く。
そして、笑顔で紅の手を取った。
「心配してくれるのは嬉しいよ」
屈託のない笑みを浮かべ、彼は言う。
「…その言葉だけで満足だわ」
「これから暫くは学校生活に集中出来るかな?」
「出来るんじゃない?四聖獣を倒したって聞けば三下妖怪は鳴りを潜めるでしょ」
「…だといいんだけどな。……………紅」
「何?」
突然足を止めた蔵馬。
手が繋がっているのだから、当然紅も止まる。
紅は返事を返しながら彼を振り向いた。
そんな彼女に答えず、彼は空いている手で前方を指す。
その指を追った紅 ―――
「佐倉様!」
「っと」
不意打ちの突進に紅の身体は傾く。
が、当たり前のように蔵馬がその腕で背中を支えてくれたおかげでひっくり返る事はなかった。
「ありがとう。悠希、飛びついちゃ危ないってば」
何度もそう言っているのだが、依然として悠希は突撃を止めようとしない。
言うだけ無駄なのだが…言わずにはいられないのが普通である。
「あの少年は目を覚ましましたか?」
「ええ。あ、忘れていたけど…。彼女達を助けてくれてありがとうね。おかげで彼に恨まれずに済んだわ」
「お役に立てて光栄です」
紅の腕の中で身体を伸ばし、悠希はその首筋に擦り寄る。
サラサラとした毛並みにくすぐったそうに身を捩るが、紅は嬉しそうだ。
そんな彼女の表情を見つめる蔵馬の眼は優しい。
「さて。仲睦まじい所を申し訳ないけど…時間も遅くなるから帰ろうか」
「あ…お邪魔…でしたか」
悠希は蔵馬と紅を交互に見やり、しゅんと耳を伏せる。
そんな悠希の反応に二人は顔を見合わせた。
そして、次の瞬間には同時に笑い出す。
「悠希。君に妬くほど心が狭いつもりはないよ」
紅の腕から悠希を抱き上げ、蔵馬はその頭を撫でる。
彼らにとって悠希は使い魔であり、家族でもあった。
「蔵馬の腕に納まるのを許してるのは悠希だけよ。安心していいわ」
紅も隣から悠希の喉を指でくすぐる。
「他のものを腕に抱いたらどうなるのかな、紅」
「即魔界に帰らせてもらうわ。コエンマに頼んで、ね」
「…冗談だ」
「…笑えない冗談ですこと」
勝者に約束されたひとときの休息。
全てを忘れ、彼らはそれぞれの思いを胸に抱く。
新たな未来は ――― すでにその歩みを進め始めていた。
05.08.20