悠久に馳せる想い
「―――忌々しい結界だっ!!」
ドカッと音を立てて椅子に座り込む朱雀。
そんな彼を横目に、紅は漸く諦めたかと言う風に肩を竦めた。
「あなたに傷付けられるような結界なら私の名前はここまで有名じゃなかったでしょうね」
喉の奥で笑う紅の声を聞き、朱雀はギロッと彼女を睨む。
苛立ちを誤魔化すようにテーブルの上に置いてあった水晶玉に手を伸ばす。
そこに写るのは朱雀の苛立ちを助長する物でしかなかった。
勢いよく水晶玉が地面へと投げつけられる。
激しい音を立ててそれは砕けた。
「おろか者どもが…!!」
そんな朱雀の言葉を聞き、紅は静かに溜め息を落とした。
何やら文句を言っている彼を無視して、彼女は部屋の中を見回す。
出口はある。
実力からして逃げる事も出来なくはない。
しかし―――と紅は思う。
「(今ここで逃げても結局この場所に逆戻りなのよね。)」
目の前で苛立ちを露にしたこの男の所有物こそ、今回の目的なのだから。
基本的に無駄なことはしたくない性格である紅はこの場から動かないことを決めた。
「(今すぐに殺されるって言うほどこいつ強くないしね。)」
決して声には出さないものの、心の中では散々である。
苛立ちに身を任せている朱雀ならば、簡単に虫笛を奪うことが出来るだろう。
しかし、今回の任務は幽助の成長にも繋がるはずだ。
彼を殺さない程度に成長させる。
そのために自分を同行させたのだろう、と紅は踏んでいる。
もちろんその読みは外れていない。
再び長い溜め息を落すと、紅は静かに部屋の壁にもたれかかった。
「耳障りな音…」
虫笛の音に紅が眉を寄せる。
その手は両耳を塞ぐようにして添えられており、酷く無防備に見えた。
あくまで見えるだけなのだが。
馬鹿でかい画面に映し出されるのは、見たこともない少女とぼたん。
彼女らの身が危険に晒されている事は、音を聞かずともわかった。
「朱雀様、先日面白い噂を耳にしましたの」
そんな彼女に目を向け、ムルグと言う鳥が朱雀の肩に乗って声を掛ける。
虫笛を吹くのを止めると彼はムルグの方を向く。
ムルグが何かを耳元で告げるなり、朱雀は楽しげに目を細めて紅を見た。
「それは…試し甲斐があるな」
そう言うと、朱雀は一歩紅の方に向かって足を踏み出す。
彼の肩に留まっていたムルグがバサッと羽を広げる。
それを目で追った後、再び出口へと視線を向けた。
近づいてくる朱雀など眼中にないといった様子である。
朱雀が自分の真正面…手の届く範囲に入ったのがわかる。
視線を出口に固定していた紅だが、ぐいっと強い力で顎を引かれた。
それに抗わぬままに朱雀と視線を合わせる紅。
その目には何の感情も映ってはいなかった。
「何故人間の姿をしている?元の姿の方が美しいと言うのに…」
「戻れる物ならとっくに戻ってるわ。あなたには関係のないことでしょう」
「その強気さえも誂えたようだな、佐倉」
クッと口角を持ち上げ笑う朱雀。
そんな笑みを前にしても、紅はただ『無』を貫いた。
何の感情も映さぬ…それでいて冷たくも鋭い眼差しが朱雀を射抜く。
「…試させてもらおう」
朱雀の言葉に紅が何かを答える前に、彼女の唇を塞いだ物があった。
それが目の前の男の物だと言う事を気づくのに、さほど長い時間は必要ない。
だが、彼女に触れていた時間はほんの僅かであった。
「――――っ…な、に?」
唇が離れるなり、ガクリと膝を付く朱雀。
「朱雀様!?」
ムルグが朱雀の身を案じて彼の頭上を飛ぶ。
彼は肩で息をするようにして高い位置にある彼女の目を見上げた。
紅の目は嘲笑うように細められている。
「気分は最悪だろう?生憎この身体は貴様を拒むらしい。貴様の妖気など足しにもならぬが…頂いておこう」
「…口調が変わったな…。それが本性か…」
「ああ、此方が『佐倉』。とは言っても佐倉は紅であり、紅は佐倉でもある。お互いが別の人格ではない」
前に落ちてきた髪を背中へと払い、紅はそう紡ぐ。
その目には先程とは比べ物にならないほどの鋭さが見えていた。
呼吸すらも憚られるような―――殺気。
「私が受け入れるは蔵馬のみ。貴様のようなしがない妖怪が望めるほどこの身は安くはない」
殺気を帯びた眼差しの茶褐色が金色へと姿を変える。
彼女の右手に赤い妖気が集まっていく。
足音が紅の耳に届いた。
それを聞きとめた紅はふっと表情を和らげる。
「私が手を下す必要はなさそうね」
その目は茶褐色に戻り、手に集っていた妖気も体内へと戻る。
徐々に大きくなってくる足音に向かって紅は歩き出した。
「紅!!無事か!?って…螢子!!ぼたん!!」
階段を上りきるなり、幽助は紅の姿を視界に捉えた。
攫われた時と何一つ変わらない彼女の姿を見て、ほっと息を付く。
『無事だと言う確信はある。彼女の実力も信じている』
蔵馬は苦笑交じりにそう言った。
その後でこう続けるのだ。
『でも…紅を助けて欲しい』
本来ならば自分が駆け出したかっただろう。
僅かに眉を寄せながらそう言った彼の想いを託され、幽助はこの場にいる。
紅の無事を確認した後、幽助は部屋の中にあったそれに目を奪われる。
目に入らない方がおかしいと思うほど大きい画面。
そこに映し出されているのは傷を負った螢子とぼたんだった。
「虫笛で操られた人間が彼女達を狙っているらしいわ」
手短に要点のみを話す紅。
それに頷くと、幽助は朱雀を睨みつけた。
先程は膝を付いていた朱雀だが、幽助が辿り着くまでの間に回復したらしい。
生命力はゴキブリ並みね、と思いながら紅は出口へと向かう。
「紅?」
「この場は任せるわ。三人が下で苦戦しているんでしょう?」
幽助が一人で来たと言うだけでそれを察した紅。
彼らの手助けに行くと言う彼女を、幽助は頷いて見送る。
朱雀が不愉快そうに表情を変えるも、今の彼に彼女を引き止める術はない。
それよりも厄介なのは目の前の人間だろうと、大人しく紅を進ませた。
ただひたすら、長い階段を降りる。
次第に感じ取ることの出来る慣れた妖気に、紅の緊張感は徐々にその結びを解いていた。
不意に、彼女は自らの唇に指を当てる。
「……変わってしまった、としか言いようがないわね…」
小さくそう呟くと、腕でぐいっと唇を拭う。
相性が合わぬ場合、有無を言わさずその妖力を奪う。
朱雀は自分には合わないと言う確信の元、紅はただそれに抗わなかっただけの事。
しかし、後についてきた嫌悪感はとても堪え切れる物ではなかった。
「昔はこれくらい平気だったのに…」
相手を陥れる為に自ら唇を重ねたこともある。
それなのに、自分でも信じられないほどに動揺してしまった。
蔵馬は変わってしまったと思ったが、どうやら変化したのは彼だけではなかったようだ。
そんな変化に戸惑いを浮かべながらも、雷鳴と共に足元に感じる地響きを無視して、紅は進む。
あの腕に抱きしめて欲しい。
その想いだけが紅の感情を支配する。
05.07.31