悠久に馳せる想い
思いの他短い落下が終わりを告げる。
落下時に加わった加速度を物ともせずに、紅はふわりと形容できそうなほどに軽い足取りで床に降り立った。
「無理やり別の空間に放り出すなんて…随分手荒な歓迎ね」
頬にかかる髪を後方へと払い、紅は忌々しげに口を開く。
そんな彼女の声を聞いた人物は喉の奥でクッと笑った。
「それは悪かったな。俺の名は朱雀。ようこそ、『血の要塞』佐倉。歓迎しよう」
「していただかなくて結構よ」
きっぱりと答える紅に、朱雀は笑みを深める。
紅はそれを無視して部屋の中に視線を巡らせた。
「お前の恋人は随分とご立腹らしい。見るか?」
椅子に深々と腰掛けた朱雀の手には澄んだ水晶玉があった。
そこに写っている人影は四つ。
見覚えのあるそれらを視界に捉えた後、紅は朱雀を睨む。
「で、私を先に招いた理由は?別に彼らと一緒でも問題なかったでしょう?」
「……実に興味深い噂を耳にした」
「へぇ…。覚えがありすぎてどれの事かわからないわね」
肩を竦めてそう答える紅。
朱雀は水晶玉を片手で遊ばせながら続けた。
「“死にさえしなければどんな傷でも癒す”。そんな力を持っているらしいな?」
「………それをどうしようと言うの?私が力を貸すとでも?」
「貸すさ。愛しい男の命が懸かっているなら」
楽しげに細められる目を見せる朱雀。
しかし、紅はいたって冷静だった。
「いいえ。仮に彼の命をあなたが握っていたとしても、私の答えは変わらない」
「何…?」
「彼がそれを望まないわ」
挑戦的な笑みを浮かべる紅とは逆に、朱雀は俄かに冷静を欠いた。
自分が優勢だと思っていた事を覆されたかのような錯覚を起こす。
「あの男が死んでもか」
「あなた如きに殺されるほど弱くはない」
「貴様…っ!」
「愛しいからと言って盲目的に保護するのはただのエゴよ。まぁ、あなたにはわからないでしょうね」
彼の意思を…想いを踏み潰してまで、自分を通したいとは思わない。
それによって彼の命が救われるとしても…。
その誇りを守る事に意味があると、紅は思う。
だからこそ彼女は彼が望まぬ限りは止めようとはしない。
組んだ腕を掴むその爪が自らを傷付けたとしても。
握り締めた手の平が爪で傷付こうとも。
彼の血が舞うのを見届けると、自分自身に誓ったから。
紅の言葉を受け、朱雀は空いた手を彼女に向かってかざす。
彼女に向かって走る閃光は、確実に紅を捉えていた。
「無意味」
小さく呟くと同時に、赤みを帯びた結界によって閃光は弾ける。
彼女の髪一筋揺らすこともなく、それは消え去った。
「この程度では髪一筋…それどころか周囲の空気すら動かすことは出来ないわよ?」
彼女の挑発的な笑みは朱雀の冷静を次々と剥がしていく。
強制的に連れて来られたはずの紅だが、いつの間には主導権は彼女の方に移りつつあった。
一方その頃の幽助たち。
白虎を倒し、四人は再び廊下を進んでいた。
「蔵馬…本当に紅は大丈夫なのか?」
「…あぁ。例え意識がなくても彼女が朱雀に殺される事はない」
紅を守る結界は彼女の意思で作られるのではない。
もちろんその意思を持ってして結界を作り出すことも可能。
「だが………。何も出来ないわけじゃない」
「…言ってる意味がわかんねぇぞ?」
「本来の絳華石は紅が意識を失っている場合、殺意や悪意と言った負の感情に反応して自動で作り出される。
彼女を守るために彼らが紅自身に残した能力だから」
「彼ら…?」
「…今その説明をするには時間がないな」
本来ならば彼女の秘密を明かす事は良くないのだが…
蔵馬にとって彼女の身を案じてくれている二人の気持ちが嬉しくないわけではなかったのだ。
だからこそ、少しでも安心できるように彼女の能力を話す。
「えー……つまり…怪我させるつもりで向かって来れば結界が作られるって事か」
「そう言う事です。相手を攻撃すると言うのは少なからずその意志があると言う事ですから」
「なるほど。とりあえず紅が殺されねーっつーのはそう言う事か」
ふむふむと納得したように頷く幽助と桑原。
しかし、蔵馬の速度が落ちることはない。
不意に今まで沈黙していた飛影が口を開いた。
「おい、蔵馬。攻撃するつもりがなければ結界は出来ないのか?」
「…残念ながらね。彼女が意識を保っていれば大丈夫ですけど…」
蔵馬は苦い表情を浮かべて答える。
飛影の言葉こそ蔵馬が案じていたことらしい。
「どう言う事だよ?」
「フン。頭の悪い奴だ」
「殺されなくても手を出される可能性はあると言う事ですよ、桑原くん」
「手を出すって………あぁ、そう言う事か」
漸く彼らも蔵馬が急いでいる理由がわかったようだ。
紅はかなり容姿がいい。
そこらのモデルと並んでも、彼女の方が魅力的だと言い切れるほどに。
「むしろ殺意を持って殺すつもりでいてくれた方が俺としてはありがたいんですけどね…」
酷く物騒なことを呟く蔵馬。
しかし、その言葉も彼女に対する信頼あっての物である。
「美人の恋人を持つと苦労するなぁ、蔵馬」
「……随分マシですよ。他の男の所に行かれるのと比べれば、ね」
苦笑気味に微笑みながら答える蔵馬に、幽助も同じような笑みを返した。
あれだけ蔵馬を中心に考える彼女が他の男の所に行くなど、想像も出来ない。
それをわかった上で、彼は紅の身を案じているらしかった。
「ベタ惚れだな」
「…君達とは比べ物にならないような長い間一緒にいた人だからね」
「なっ―――…」
僅かに頬を赤らめる辺りはまだまだだと言えよう。
クスクスと笑うと、蔵馬は彼に向けていた視線を真っ直ぐ前に向けた。
次の部屋への扉は近づいて来ている。
05.07.29