悠久に馳せる想い
「何だかなぁ…」
紅は倉庫の壁にもたれながら呟く。
蔵馬がここまで信頼する人物に興味が湧いたのも事実。
その信頼を受ける人物に淡い嫉妬を抱いたのも…事実である。
「蔵馬が変わったって言う証拠…か」
極悪非道の盗賊と謳われた彼が、自らを犠牲に人を助けた。
人間界と言う場所はそれほどまでに彼を変えてしまったようだ。
自分だけの場所を失ってしまったような…そんな煮え切らない感情が紅を支配する。
「これからずっと…ああやって人のために傷つくのかしら…」
「しない、とは断言できないな」
聞こえてきた声に驚くわけでもなく、紅は酷く冷静な視線を声の主へと向ける。
「遅いわよ」
「ごめん」
彼の謝罪に一瞬考えるように口を噤んだ紅だったが、すぐに我に帰る。
もたれていた壁から離れ、ゆっくりと帰路へとついた。
その隣を蔵馬が歩く。
「守るものが増えた」
「…そうみたいね。昔の蔵馬からは考えられない」
「本当だな。でも…俺は気に入ってるよ」
そう言った蔵馬の横顔を紅は盗み見る。
彼の表情に迷いはなく、本心からの言葉なのだと言う事がわかった。
「こんな俺は…嫌うか?記憶を消す事も…出来る」
視線を前に固定したまま蔵馬がそんな事を呟く。
決して大きくない声ではあったが、紅の聴力を持ってすれば聞き取るには十分だった。
暫くの沈黙が二人を包み、その場には二人分の靴音のみが響く。
蔵馬にとって、紅が口を開くまでの間は譬えようもなく長い時間に感じた。
「…また高い所が駄目になるじゃない」
開いた口から紡がれた言葉。
蔵馬は紅に目を向けた。
彼女は自嘲の笑みを浮かべて彼を見つめ返す。
「どんなに変わろうと、あなた自身である事に変わりはないわ。嫌いになれるはずがないでしょ?」
「紅…」
「私が離れたら怪我の治療はどうするつもり?人を庇って怪我が増えるに決まってるのに」
即行で死ぬわよ?と紅は笑う。
そんな彼女に、蔵馬は思いつめた自分が馬鹿らしく思えた。
忘れていた…と言うよりも記憶の底に沈めすぎてしまっていたらしい。
自分たちの絆がそれほど浅いものでないと言う事を。
「それに…。私に夢幻花は効かないわよ。忘れたの?」
「あ」
完全に頭から抜け落ちていたようだ。
彼の珍しい一面を見た、とクスクス笑う紅。
思わぬ失態を晒してしまった蔵馬は、彼女の反対側に顔を逸らす。
そんな彼の腕に自分の腕を絡め、紅は問うた。
「ねぇ、仮定の話よ?」
「?」
「私と志保利さんが危ないとしたら、どっちを助ける?」
その質問に蔵馬は逸らしていた視線を紅へと戻す。
生憎、正面を見つめる彼女とそれを合わせることは出来なかった。
「……母さん、かな」
「………そっか」
「紅は守らなくても強いから」
蔵馬がそう言うと、彼の腕を抱きしめる紅の腕に力が篭る。
「でも、本当の意味で危険な状態だったなら…俺は迷わず紅を取るよ」
「……やっぱり蔵馬だ…」
紅は嬉しそうに笑う。
手放しに自分の力を認め、無条件で同じ位置に立たせてくれる。
守られる存在でありたくないと思う紅にとって、何よりも嬉しい言葉だった。
「だから手放せないのよねー…」
「はいはい。俺はずっと紅の傍に居るよ」
「…ところで…歩きにくくない?」
「全然平気」
月が見守る中、二人は他愛ない会話を楽しみながらそれぞれの家へと帰る。
「何やってんだい?」
「あ、幻海師範。これ見てくださいよ」
紅が手の平サイズの一枚の紙切れを持ち上げる。
真っ白だった紙は、彼女の指が触れるや否やその色を赤く変えた。
幻海が驚きの表情を浮かべる。
「一定以上の妖気に反応するんです」
「ほぉ…。また依頼かい?」
「ええ。何でも、『俺は妖怪だ』って騒ぐ人が居るらしいんです。調べる方法はないかって」
「なるほどね…。これは使えそうだ」
「?」
ニヤリと口角を持ち上げた幻海に、紅は首を傾げた。
その紙切れを紅の手から受け取りながら、幻海は言う。
「それは今度の選考会に大いに活用できそうだ」
「選考会…あぁ、門下生の?あれって妖怪も来るんですよね」
「霊気に反応するように変換できるかい?」
幻海は自分の手に移った途端に白く戻ってしまった紙を揺らしながら問いかけた。
紅は少しだけ悩んだ後、頷く。
「幻海師範が協力してくださるなら。私は霊気の方面に関してはかなり疎いですから…」
「よし!なら、さっそく作業に取り掛かるとしようか」
幻海が腕をまくりながらそう言った。
紅も素直に頷き、彼女にその紙の製法を教える。
幻海が作った紙を紅が小さく切断していく。
そんな作業を進めながら紅が口を開いた。
「師範。門下生の選考会ってやっぱり人が集まるんですよね?」
「当然じゃな」
「じゃあ…当日は逃げますから」
紅がきっぱりと言い放つ。
予測済みの言動だったのか、幻海は簡単に頷いた。
「そう言うと思っておったわ」
「あ、そうですか。……師範…変な妖怪とか選ばないでくださいね。殺しちゃうかもしれませんから」
「さぁてね。素質があれば例え悪党でも奥義を渡す」
「師範…」
「あたしの性格はよーくわかっとるだろう?」
幻海の言葉に、今度は紅が頷いた。
15年の付き合いがあるのだ。
彼女の性格くらいは嫌と言うほど理解している。
「じゃあ、出来るだけそうならないように祈ってます」
肩を落として、紅は静かにそう言った。
05.07.06