悠久に馳せる想い
「約束は守ってね、コエンマ」
紅はニコニコと笑いながら、目の前に座るコエンマを威圧する。
彼は内心冷や汗を流しながらも「うむ」と頷く。
「約束は守ろう。しかしだな…」
「わかってる。あなただけで決められる問題でもないって事くらいは」
不意に寂しげな表情へと変わる紅に、コエンマもそれ以上何も言えない。
紅が案じているのは他でもない蔵馬の事だ。
理由があるとは言え、彼が秘宝を盗み出したことは変わらない。
霊界裁判を待つ身であると彼から聞くと、紅は迷わずコエンマを呼びつけた。
「しかし…お前はこうなる事がわかっておったのか?」
「まさか。一応、保険よ。世の中何があるかわかりませんから」
誤魔化すように足を組み替えて微笑む紅。
紅が彼と交わした約束は一つ。
――蔵馬に関与しないこと――
それを理由に霊界探偵が見つかるまでの間、彼女はその代わりを勤め上げたのだ。
「裁くな、とは言わないわ。ただ…極刑なんて事になったら許さないから」
柔らかい表情から一転し、紅はその眼差しに鋭さを纏う。
僅かに漏れ出す妖気は明らかに高まりを見せていた。
彼女の妖力は蔵馬との接触で戻りつつあることにコエンマも気づく。
「ま、それはさておき…。もう一つの秘宝は取り戻せたの?」
「……まだだ。あれを持っておる妖怪が何とも厄介な奴でな…」
「ふーん…頑張ってね」
気にした様子もなく紅はコエンマに答え、隣の椅子に置いてあった鞄を持ち上げる。
彼女のそんな行動に、コエンマが首を傾げた。
「どこかに行くのか?」
「学校。幻海師範が人間の中で生きるなら通えって言うから」
因みに現在の時間は朝の6時。
登校時間には早すぎるようにも思えるが、こんな山奥なのだから仕方がない。
「今までは面倒な事この上なかったんだけどね。今日からは違うの」
嬉しそうに微笑む紅を見れば、その理由は自ずとわかると言うものである。
「よかったな、佐倉」
「ええ。あなたにも感謝してるわ。学校が終わったら私もその宝を取り戻すのにも協力するわ」
「そうしてくれ。どうにも幽助だけでは不安だからな」
「…そう言えば、彼と会ったことないわね」
「…………………まだ会っとらんだのか、お前は…」
「紅!」
その声に、教室の中がザワッと揺れる。
紅は他の生徒のように騒ぎはしなかったが、声の主に覚えはあった。
もう少し目立たないように登場して欲しいものだ、と額を押さえる。
ガタンッと席を立つと、ドア付近で紅を待つ彼の元へと歩いた。
クラスの女子の羨望の眼差しが遠巻きに紅を包む。
二人の間に割って入れないのは、二人の醸し出す雰囲気からだろう。
お互いを引き立たせるには十分な容姿を持つ二人の間に入れるほど自分に自信のある女子は居ないようだ。
もっとも、この場合は紅狙いの男子にも言える事ではあったが。
「ちょっといいかな?」
「…ええ」
紅がそう答えると、蔵馬は彼女のクラスメイトを一瞥して教室に背中を向ける。
彼の背を追うようにして、紅も歩き出した。
数秒後、まるで金縛りにあっていたように動きを静止していたクラスメイトらが一斉に声を上げた。
「出来ればもう少し目立たないように来て欲しかったわ」
「何で?」
「高校生活くらいは穏便に過ごしたいのよ」
「あぁ、なるほど。…ま、俺と関わった時点で無理と思った方がいいかな」
悪びれた様子もなく答える蔵馬に、紅は肩を竦めた。
あの後彼についてやってきた場所は屋上。
生徒が入れないように鍵が閉められているはずなのだが、元盗賊の彼に解けない鍵を人間が作れるはずもない。
普通にドアノブを捻るのと同じくらいの時間でそれを解き放ってしまった。
「俺は隠すつもりないから」
「?」
彼の言葉に紅は首を傾げた。
屋上の中ほど辺りで空を仰いでいた蔵馬が、階段を抜けたドアの所から動かない紅の元へと歩いてくる。
「恋人に集る虫は掃わないとね」
「虫って…。そんな人いないわよ」
「……………まさかとは思うけど…気づいてないの?」
「何が?」
再度首を傾げてしまった紅に、蔵馬は軽い頭痛を覚える。
自分はあれほどクラス中の男子から痛い視線を浴びたと言うのに…。
「蔵馬…?」
「何でもないよ。紅が可愛すぎるって話だから」
「かわ…っ…そんな事ないし」
ふいっと視線を逸らしてしまう紅。
そんな彼女を見て蔵馬はクスクスと笑いを漏らす。
「あぁ、ごめん。紅は可愛いんじゃなくて綺麗、か」
「からかわないでよ、もう…」
「はいはい。それより、紅」
急に真剣な声で自分を呼ぶ蔵馬に、紅も姿勢を正す。
蔵馬はそんな彼女の腰に手を回し……彼女を抱き上げた。
「く、蔵馬?」
急に抱き上げられた事に戸惑いを見せる紅だが、蔵馬は何も言わない。
そのまま彼女を抱き上げた状態で、蔵馬はドアから離れてフェンスの方へと歩き出した。
「―――――っ」
蔵馬の制服を掴む紅の指に力が篭っていく。
それに気づき、彼は漸くその足を止めた。
「昨日も思ったけど…酷くなった?」
「な、何が」
「高所恐怖症」
「……知らないっ。下ろしてよ」
「ここで下ろしたら立てないんじゃないの?」
「………………………」
図星を言い当てられたのか、紅は口を閉ざす。
依然として緩む気配を見せない彼女の指先に、蔵馬は「いじめすぎたかな」と思い始めていた。
昨日も気づいていたが、紅の高所恐怖症は以前より僅かに悪化してしまっているようだ。
決してドアの所から離れようとしなかったのがいい証拠だろう。
自分が妖狐であった時には無理やり抱きかかえて高い所に連れて行くことも少なくはなかった。
そのおかげで随分慣れ始めていたのだが…離れていた時間は思ったよりも長かったのだ、と蔵馬は思う。
「ごめん」
漸く腕の中に取り戻した彼女。
自分は彼女を忘れてのんびりと生きていたのだと思うと胸が痛かった。
彼女の身体を抱き上げたまま、蔵馬はその身体を強く抱きしめる。
そうすれば、紅の緊張が僅かながら解けた。
「…いいよ。今こうして幸せだから」
蔵馬の腕の中にあると言う安堵感が紅を包む。
彼女は猫の様に彼の胸に擦り寄りながら微笑んだ。
仲睦まじい雰囲気を醸し出している間にチャイムが鳴り終わっていたのだが…彼らは気づいていないだろう。
優等生二人組、初の自主欠席(サボり)だった。
05.06.26