悠久に馳せる想い

「おはよう、雪耶さん」

クラスメイトの女子が紅に挨拶の声をかける。
紅は人のよい笑みを浮かべて言葉を返した。

「おはよう」
「ねぇ、聞いた?この間のテストも南野くんが一位だって」

紅を囲むようにクラスメイトが彼女の机に集まる。
内心快くは思わない紅だが、それを顔に出さない辺りはさすがと言えよう。

「へぇ…そうなんだ?」
「凄いよね。あんな人が私の彼氏だったらなぁ」
「あんたじゃ無理だって。容姿で釣り合うのなんて雪耶さんくらいだって」
「ホントよね~。あ、でも雪耶さんは南野くんに興味ないんでしょう?」

確認するように紅に話題を振る女子に、紅は曖昧な笑みを返す。
それをいい方向に受け取ったのか、彼女達は自分たちの中で話を弾ませていった。
紅は窓の外に視線を向けながら溜め息を漏らす。

「お疲れですね、大丈夫ですか?」

不意に耳に届く声に、紅は今にも旅立とうとしていた思考を呼び戻す。
声の方に視線を向ければ、悠希が紅を見上げる。

「そうね…。この手の話題にはうんざりだわ」

他の人に悠希の姿が見える事はない。
ゆえに、紅は声を潜めて言葉を返した。
騒がしい教室内で誰に聞かれるわけでもないが。

「本日は如何致しましょう?」
「適当に時間を潰していいわよ。今日は探しに行かなくていいわ」
「わかりました。何かあればいつでもお呼びください」

悠希の気配が完全に消えると、紅は再び溜め息を落す。
妖力を失っていた自分が生きていくには、人間になるしかなかった。
とは言え、本来妖怪である紅にとって人間の中で生きていく事に抵抗を感じないはずもない。
自分よりも遥かに幼く、浅はかな考えを持つクラスメイトを見ているとその感情が高まりを見せる。

「(結局は相容れないものって事か…。)」

チャイムの音と共に、紅は考えるのをやめた。












放課後、紅は教室で本を読んでいた。
ふと、彼女はその視線を上げる。
そして何かに釣られるように視線を窓の外へと移動させた。
彼女の目に入ったのは、校門を抜けようとする一人の男子生徒。

「…あれは…南野秀一…?」

クラスの全員の、と言っても過言ではないほどの好意を寄せられている人物。
紅でさえ、その姿を見たことは一度や二度ではない。
視線を逸らそうとするも、何故か彼の背中からそれを外す事が出来なかった。
ゆっくりと開いていく距離に比例して小さくなる背中。

「…蔵馬…?」

それを見送りながら、紅は知らぬ間にそう呟いていた。
零れ落ちた言葉が耳に入ると、紅はハッとした様に目を見開き、そして首を振る。

「まさかね」

自分に思い込ませるように呟き、再び本を開く。
小説の内容は全く頭の中に入ってこなかった。














暫くの時間を教室で過ごした紅だったが、集中できないと判断すると早々に学校を後にした。
他の学生よりは遥かに長いであろう帰路に着いた紅。
そんな彼女の元に驚くべき速さで駆けて来る者がいた。

「佐倉様!!」
「?悠希…どうしたのよ、そんなに急いで」

自分の胸に飛びついてきた悠希を易々と受け止め、紅は問いかける。

「そんな事よりも大変です!!」

食いつかんばかりに顔を寄せる悠希の勢いに彼女は思わず上体を仰け反らせた。

「な、何があったの?また妖怪でも?」
「違います!蔵馬様の妖気を見つけたんです!!」

その言葉に紅の目が見開かれる。
真剣な光を宿す眼差しを悠希に向けた。

「いつ?」
「つい先程です」
「…私が妖気を抑えるのを止めた頃ね。もう少し早く妖気を解放すればよかった…」

紅は学校では妖気を抑えて生活している。
そうしなければ彼女の妖気に釣られた妖怪が集まってくるのだ。
さほど問題があるわけではないが、さすがに人間を巻き込むわけにはいかない。
先程帰路に着いた時点でそれを解いた。
同時に悠希自身の察知能力も復活したようだ。

「案内して」
「此方です!」

悠希はぴょんと紅の腕から飛び降り、地面を駆ける。
それを追うようにして紅もその場から駆け出した。

「ここから1キロ程先です」
「……病院の辺りか」

悠希の言葉から位置関係をはかり、ある程度の憶測をつける。
すでに人間の目では追えないほどの速さで走っていた。
どうか自分の探し人であって欲しいと言う願いを胸に抱きながら。













病室の前のネームプレートを見つめながら、紅はその場に立ち尽くした。

「…ここで間違いないの?」
「はい。蔵馬様の妖気はここに留まっております」
「そう…。『南野』か…」

プレートに記されている名前を読み上げ、紅は静かに息をつく。
もし彼が探し人だったと言うなら、自分は長い間すれ違いを繰り返していた事になる。
同じ学校に通いながらその存在に気づけなかったのだから、つくづく自分の妖気の低下には悩まされるものだ。

「佐倉様…」
「ええ、間違いはないと思う。懐かしい…妖気だから」

小さく答え、紅は扉に手をかける。
静かにその扉を開き、部屋の中へ首だけ覗かせた。
ベッドに横たわる女性を視界に捉えると、紅は音もなく部屋の中へと入る。
蔵馬について盗賊として生きていた紅にとっては朝飯前の事だ。

「………………」

ベッドのすぐ脇まで近寄った彼女は静かに女性を見下ろす。
女性は瞼を閉ざし、僅かに呼吸を荒らげながらも静かに眠りに落ちていた。
その顔の血色の悪さから、紅はこの女性が長くないのだと悟る。
紅は一言も紡ぐ事なく部屋を出て行った。

「佐倉様?」
「あの女性と南野秀一の関係を調べてきて」
「…わかりました」

悠希が音もなく消え去ると、紅は妖気を感じる方へと歩き出す。

屋上へ向かう足取りは次第に重さを増す。
言い知れぬ期待が胸を焦がし、不安が胸を襲う。
それらが彼女の歩みを妨げていた。

05.06.19