悠久に馳せる想い
「幻海師範、手合わせお願いします」
亜麻色の髪を結わえた少女が襖の中の人物に声をかける。
「おや、もうそんな時間かい?」
「そうですよ。師範、忘れてたんですか?」
クスクスと笑いながら答える少女。
そんな彼女に、幻海は「もう歳かねぇ」と笑った。
不意に幻海の攻撃が止む。
紅も同じ気配を感じ取り、一時的に攻撃の手を休める。
「佐倉ーっ!!!!」
「ここでは“紅”よ、コエンマ」
とある人物が耳を劈く様な叫び声と共に部屋に飛び込んできた。
視界に捉えるまでもないその人物に紅は静かに溜め息を漏らす。
この時点で幻海は手合わせの続きは無理と判断して道場を後にした。
「どっちでも変わらんだろうが!!それよりも大変だ!!!」
「ちょ、わかったから!!近い近いっ!」
ぶつかりそうな程の至近距離まで詰めてくるコエンマを押さえる紅。
間違っても顔面強打などしたくはない。
興奮冷めやらぬ彼を宥めるのに、紅はかなりの時間を提供する事となってしまった。
「で、何をそんなに焦ってたの?」
漸く落ち着きを取り戻したコエンマに茶を差し出しながら紅が問う。
彼は湯飲みを受け取り、喉を潤した後ゆっくりと口を開いた。
「オヤジのお気に入りの秘宝が盗み出されたのだ」
「……それは穏やかじゃないわね」
「わかってくれるか!?さすが佐倉だ!」
「紅だって。何度言えばわかるのよ…」
何度訂正した所で直るわけでもないのだが、訂正しないわけにも行かない。
すでに何度目の訂正か記憶に無いが、それでも彼は一向に直す気配を見せなかった。
「それで?私に何をしろって言うの?盗まれた後では結界も無駄よ」
「そんな事はわかっておるわ。前に話した霊界探偵に動いてもらっておる」
「うん。浦飯幽助…だっけ?」
「そうだ。あいつに協力してやってくれ!」
「………昔のよしみだからって扱き使ってくれるわね、本当に」
肩を竦めながら紅は答える。
しかし、次にはその首を縦に振った。
彼には恩があるのだから。
もっとも、お釣りが来る程度に返せているのだが。
「あー…でも、この三日間は駄目だわ」
「何かあるのか?」
「別の依頼が来てる」
自分の手帳を取り出してスケジュールを確認していた紅が言う。
手帳にははっきりと『依頼』の文字が三日間に渡って書き記されていた。
「まぁ、幽助もそんなに早くは回収出来んだろう」
「OK。交渉成立よ」
パタンッと手帳を閉じながら紅が口角を持ち上げる。
コエンマも安堵の息を漏らした。
彼女が動けば何とか期限内に回収できるだろう。
「時に佐倉」
「…何?」
「妖力は戻ってきておるのか?」
「……まぁ、そこそこには」
テーブルに片肘をついて、その上に顎を乗せる。
紅の表情はとても明るいとは言えないものであった。
「まだ戻らんか?」
「無理よ。彼の妖気で封印したんだから。全て取り戻すには前の姿のままの妖気を浴びる位は必要ね」
八方塞だ、と言わんばかりに肩を竦める。
コエンマは静かに頷いた。
「15年も待ったのに、まだ会えないのよ。どこに行ってくれたのかしら…」
「…早く戻ればいいな」
「ホント。おかげで向かって来る妖怪の始末が面倒でならないわ」
15年前、紅はギリギリの状態で人間界までやってきた。
そんな時に彼女を救ったのが、この屋敷の主である幻海だったのだ。
今こうして生きているのが不思議なくらい瀕死だったのだが、紅の生命力は捨てた物ではなかった。
彼女の場合は精神的な面も大きく関わっている。
「しかし…。紅と名乗るとは思わなかったな」
「だって彼に付けて貰った名前だもの」
テーブルに付いた手に顎を乗せ、にっこりと微笑む。
そんな彼女の様子に、コエンマは「もう何度も聞いた」と言う風に肩を竦める。
差し出されたお茶の残りを啜ると、彼は徐に立ち上がった。
「さて…ではわしは帰るとするか。紅、頼んだぞ」
「了解」
紅の答えを聞くと、コエンマは頷きながらその姿を消した。
その気配までもが完全に消え去るのを見届け、紅は緩慢な動きで立ち上がる。
空になった二つの湯飲みを流し台に戻してから自分の部屋へと戻った。
「お帰りなさい、悠希」
部屋に入るなり、その一角に目を向けて紅はそう言い放った。
彼女の言葉を受けるなりそれは姿を見せる。
「佐倉様、ただ今戻りました」
そこに現れたのは子犬ほどの大きさの狐。
もっとも、こんな姿でもすでに数百年の時を生きているのだが。
名を悠希といい、紅の唯一の使い魔である。
甘えるように擦り寄る悠希を抱き上げ、机の前の椅子を引いてそこに腰掛ける。
膝の上に座る悠希はしきりに尾を揺らしていた。
「ご苦労様。どうだった?」
紅がそう問えば、悠希は表情に陰を作って首を振った。
「そう…」
「申し訳ありません。私が至らぬばかりに…」
「まぁ、仕方ないわ。あなたの能力は私の妖力と比例してるんだから…」
落ち込む悠希を宥め、紅は机の上に乗った花瓶に手を伸ばす。
そこに活けてある一輪のバラの花。
決して枯れる事のないそれを手に取り、紅は悲しげに目を伏せる。
「逢いたいよ…」
血のように赤い花びらに唇を落とし、小さく呟いた。
05.06.18