夢追いのガーネット
Episode 48

あぁ、いつもの翼だ。
その名の通りに、背中に翼でも生えているかのような自由なプレー。
水を得た魚とでも言うのだろうか。
風祭のように真っ直ぐすぎるプレーとはまた少し違って、それでも彼らしい動き。
もう大丈夫だ―――自信を持って、そう言える。
シュートを決めた翼は、仲間とその喜びを分かち合う。
審判に窘められてポジションへと戻る途中、彼はクルリとこちらを向いた。
そして、グッと握った拳をこちらに向けてくる。

―――絶対勝つから。

唇の動きだけではなく、全身がそう告げている。
紅は彼の言葉に何度も頷いた。





宣言通り、延長戦の末ではあったが東京都選抜は勝利を収めた。
それは、見ていた者の記憶に残る試合だった。
終了のホイッスルが鳴り響き、その時になって漸くタオルを握り締めていた事に気づく。
しわくちゃになってしまったそれを気にすることもなく、新しく用意していたドリンクの方へと駆け寄った。

「お疲れ様!」

一人ひとりにタオルとドリンクボトルを手渡し、今回の試合を労う。
一時は暗雲…と言うほどではないにせよ、雨雲程度に雲行きが悪かった都選抜。
そこからの逆転なのだから、これは褒められるべき事だろう。
一方に勝利があるならば、もう一方には敗北がある。
負けている選手が居る手前、おめでとうとは言えなかった。
しかし、言葉にせずとも、彼らにはちゃんと伝わっていただろう。
誰ともなく、ボトルを受け取る際に手を上げる。
パンッと乾いた音と共に、紅は彼らと手を叩いた。















今日の試合はこれで終了。
日が暮れるまでの間、監督である玲の指導の下練習を重ね、建物の中へと移動。
その後は簡単な作戦会議を行なって、各自解散となった。
とりあえず、玲から伝えられた作戦をノートにメモ書きし、それを見直す紅。
議事録の如く、箇条書きで書き連ねられたそれを、別のページに修正していく。
誰かが試合前に確認したいと言って来た時、すぐにその内容を理解できるようにと工夫を凝らした。
そんな風に作戦を確認しに来るような選手は居ないだろうけれど。
一人ずつ部屋を出て行って、室内に残ったのは二人。

紅と、玲ではない。

彼女は打ち合わせがあるからと一番に部屋を後にしていた。
残っていたのは、窓際のベッドに座って紅の作業が終わるのを待っていた翼だ。
柾輝達が出て行く時点で「先に行っていいよ」と言った。
しかし、翼は彼らを送り出し、自分はここに残ったのだ。
何か理由があっての事なのだろうと、紅もあえて口を出さない。
沈黙だけれど、苦痛ではない時間が過ぎていく。
カリカリと書き連ねていたペンの音が止んだ。
どうやら、紅の作業が終わったようだ。
ぐぐっと身体を伸ばしてから、翼の方を振り向く。
彼はぼんやりと窓の外を見つめていた。

「寝てる?」

控えめに声を掛ければ、その肩が揺れる。
やや時間をかけて振り向いた彼に、彼女は小さく微笑んだ。

「今日の試合は疲れたもんね。早めに休んだら?」
「大丈夫。それより…終わったの?」
「んー…纏めるのは、ね。もう一つだけしなきゃいけないことが残ってるけど…」
「ついでだし、済ませれば?」

翼を待たせるから、と思ったのだが、先にそう言われてしまった。
紅は損な彼の言葉に苦笑し、それから「彼がいてくれた方がいいかも知れない」と思う。

「じゃあ、ちょっとだけ」

そう言うと、紅は翼の隣に座った。
そして、ポケットから携帯を取り出して、傍に置いてあったメモ帳を手に取る。
ペラペラとページを捲り、11桁の番号の書かれているところで指を止めた。
間違えないようにそれを押し、耳へと沿える。

「―――雪耶…紅です。…はい。お久しぶりです」

声を聞いている限りでは、そう親しくはない相手のようだ。
けれど、嫌な相手と言うわけでもないらしい。
どういう関係なのかは分からないが、翼は黙って彼女の会話に耳を傾けていた。
他の人との電話を聞くのはよくないと思うが、隣で電話しているのだから悪いと言うことはないのだろう。
相手の声が何を話しているのかまでは聞こえない。
ただ、それが男性のものであると言う事は分かった。

「例の件ですが―――まだ、先の事なのでお断りします。その時になって状況が変わっているかもしれませんし」
『――――、――――。――――』
「…ありがとうございます。そうですね…その時になって、まだそう思ってくださるなら…もう一度考えてみます」

では、と彼女は通話を切った。
名残を惜しむ様子も見られない。
紅はふぅと溜め息を吐き出してから、隣の翼を見る。

「気になる?」
「…まぁ、ね」
「………うん。解決したし…もう話しても大丈夫かな」

自分の中で整理するようにそう呟くと、紅はメモ帳の先ほどのページを彼に見せた。
ただの数字の羅列が電話番号であるという事は分かる。
しかし、誰のものと書かれているわけでもなく、ただ数字だけが並んでいるのだ。

「私…あの人に誘われたの」
「あの人?」
「スペインチームのスカウター」

そう言って、暫くはその人物を思い出せなかったようだ。
名前を言わなかったのは、肩書きで説明した方が分かり易いと思ったから。

「誘われたって…」
「…その広い視野は誰でも持っているものじゃない。高校を卒業したら、私の元で鍛えてみないか、って」
「スカウターに…ってこと?」
「そう言う事になるわね。信じられないでしょう?」

どうやら悩みからは解放されているらしく、吹っ切れた様子で笑う彼女。
どう反応したものかと微妙な表情を浮かべる彼に、紅は肩を竦めた。

「何が出来るんだろうって、将来のことを悩んでた時だったから…認められたことが、凄く嬉しかったの」

翼にはサッカーで世界に行くと言う夢がある。
それに対し、自分はあまりに中途半端だった。
インターハイで優勝した剣道も、それ以上極めようとは考えていない。
かといって、このまま選抜のマネージャーを過ごして一生を終えるわけには行かない。
これと言った将来の夢もなく、抜きん出た取り得もない。
紅に取り得がないと言うと他の人に怒られそうだが、自分ではそういう風に低く見てしまうものだ。
そんな中、自分を認め、そこに可能性を見出し、自分の元で頑張らないかと言ってくれた。
ただ、素直に嬉しかったのだ。

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08.04.04