夢追いのガーネット
Episode 43

「え…。今度は兄さんも初めから参加するの?」

必要であろう衣服類を箪笥から取り出し、籠に詰めてリビングへと運ぶ。
それを畳みなおしながら大きな鞄に移す作業をこなしながら、紅はそう声を上げた。
ソファーに腰掛けたまま足を組んでいた暁斗は彼女の問いに頷く。

「スポンサー代表として、他の選抜のメンバーの成長ぶりも見ておきたいしな」
「でも、兄さんは都選抜のスポンサー代表なんでしょう?」

他の選抜まで見る必要はないんじゃ…。
そう言葉を濁した彼女に、暁斗はにっこりと笑う。

「俺は都選抜だけと言った覚えはないぞ」

つまり、都選抜だけでは無いと言うことだ。
畳もうとTシャツを持ち上げた状態のまま、紅は目を瞬かせる。

「………兄さんの会社って、そんなに右上がりの業績だっけ…?」
「ん?まぁ、今が旬………じゃねぇな。これからが旬の事業だからなぁ」

折角業績が右上がりなんだから、若くて有望な選手の育成に使いたい。
そう言って笑う彼に、紅は苦笑を浮かべた。
彼らしいと思う反面、その過去を思って少しだけ切なくなる。
彼は…若くて有望だった筈なのに、その道を半ばで途絶えさせてしまった人だから。

「兄さん…」
「…そんな顔をするなよ。俺は今の仕事が好きなんだ。
有望な子供の未来を広げてやるのは、大人の役目なんだよ。その最前線を進めるなら、これ以上に嬉しい事はない」

だから、お前がそんな顔をする必要はないんだ。
そんな言葉と共に優しく降って来る彼の手に、紅は静かに瞼を伏せた。
それから、手が引いて行くのにあわせる様にし、Tシャツを籠の上に放り投げて立ち上がる。

「忘れ物したみたい」

そう言ってパタパタと自室へと駆けて行く。
彼女を見送り、暁斗は静かに笑みを浮かべた。

「忘れ物…ね。相変わらず俺にだけは気の使い方が下手な奴」

他の奴なら卒なくこなすのにな、と呟く。
良くも悪くも、彼女の性格は同年代の子供よりも早くに成熟してしまった。
その所為で、大人の顔色を伺う事、そしてそれを気遣う事を覚えてしまったのだ。
子供として甘えるべき場所でも、まずは相手を気にしてしまう。
今だって、思い出したくないであろう過去に繋がる話題を出してしまった自身を悔やんでいるのだろう。
自分が慰めに行ってもいいのだが…何だか、少し違うような気がする。
恐らく、彼女に必要なのは大人の優しさではない。
同じ目線で物事を捉える、そんな人間の存在だ。

「子供は黙って甘えてりゃいいのになぁ…」

こう言う時、少し…ほんの少しだけ、彼女を置いていった両親を恨めしく思う。
自分達を養うため、多くの社員のため。
日夜汗を流す理由は、社会人になった自分が誰よりも分かっているつもりだ。
けれど、やはり両親として、兄では埋められない部分を与えてやって欲しいと思うのだ。

「まぁ、紅にはあいつが居るし…大丈夫か」

そう呟き、彼女が放り出したTシャツに皺がついてしまわないようにときちんと畳んでおく。















部屋に戻った紅は、バタンとドアを閉めるなりベッドに突っ伏した。

「うー…馬鹿だ、私…」

きっと、暁斗は過去のことを思い出していなかった。
けれど、自分がそんな表情を見せてしまった所為で、即座にその事に結びついてしまったのだ。
結局の所、心配が裏目に出てしまった。

「自己嫌悪…ホントに、馬鹿だー…」

口は災いの元とよく言うけれど、自分にとっては口よりも表情の方が鬼門だ。
特に、暁斗は長い付き合いもあり、自分の表情から心中を読み取ってしまう。
あれだけあからさまな表情を見せれば、よほどの馬鹿でも気づくというものだ。
はぁー、と長く溜め息を吐き出してから、ごろんと寝返りを打つ。
横向きに姿勢を変えれば、ベッドの反対側にある箪笥が目に入った。
その上に置いてある、質素な写真立てが見える。
アクリル板の向こうには、屈託なく笑う暁斗と、そして彼のハーフパンツを握る自分。
暁斗がまだ、少年と青年の両方を併せ持っていた年代のものだ。
薄汚れたユニフォームに身を包み、足元にボールを転がしている。

「…私が居なかったら、兄さんは今も続けていたかな…」

ポツリと呟いた声は思った以上に小さかった。


高校から大学へと進学した彼は、20歳を境にそれまで続けていたサッカーをやめてしまった。
その一ヶ月前に選手同士の衝突によって足首の筋を傷めてしまった事が原因―――となっている。
紅はそれだけではない、と思っている。
リハビリを続ければ、頂点は無理でもプロの中で生きていく事は出来る。
それが医者の診断結果だったからだ。
しかし、彼はその一ヶ月後に所属チームを出てしまった。
その後、大学の友人らと会社を立ち上げ、青年実業家としてその世界でもある程度名が知れるまでになっている。
卒業後はそちらの会社に専念するかと思いきや、彼は殆ど会社には顔を出さずに自宅で仕事をしている。
偶に指示が必要な時には出社しているようだが、それも紅が学校に行っている間の数時間だけだ。
後は殆ど家に居て、いつでも「お帰り」と迎えてくれる。
それが嬉しくて、けれども時々申し訳なくなってしまうのだ。

「…ごめんね、兄さん」

本人に言えば、気にするなと困った表情でそう言わせてしまう。
それが分かっているから、本人にそれを告げようとは思わない。
けれど…時折、言わずにはいられない時があるのも事実だ。
だからこうして、誰も居ないひとりの部屋の中、小さく小さく呟く事にしている。
きっと、全てお見通しであろう兄が、これ以上自分の未来を閉ざしてしまわないことを祈って。















カーテンの隙間から覗いていた外の闇に光が差す。
ベランダの向こうにある翼の部屋に電気が灯ったのだろう。
少しだけ悩んだ末、紅はポケットに入っていた携帯を取り出してメール画面を開いた。
あて先に翼のアドレスを呼びだし、ただ一言だけ本文の中に打ち込む。
そして、少し迷うように彷徨う指先で、送信ボタンを押した。
程なくして、自分の部屋ではない窓が開く音がする。
その後に続くコンッと言う小さな合図。
ベッドに腕をついて起き上がると、軽く手櫛で髪を整えてからカーテンへと手を伸ばした。
そこに居たのは予想通りの人物で、その表情まで自分の脳内に浮かべた彼と相違ない。

「何があったの?急に「会いたい」なんて」

『何か』あった、ではなく、『何が』あったと問う。
それは、自分の表情から何かあったことを悟り、その原因を問うているという事だ。
近しい人にしか出来ない問いかけに、紅は自然と笑みを浮かべる。

「何もないの。ちょっとだけ、肩…貸してくれる?」

そう聞けば、彼は何も言わずに部屋の中に足を踏み入れた。
それから、ベッドに凭れるようにして床に座り込み、未だ窓の傍に居る紅を手招きする。
窓の鍵を閉めた紅は、迷いなく彼の隣に落ち着いた。
触れ合う右手と左手を絡め、コトンと彼の肩を借りる。

「ふた月に1度の発作が来たわけだね」
「ん…」

紅が自己嫌悪に陥るのは、決して多い数ではない。
けれど、常に頭の片隅にあるそれを拭い去る事は出来ず、結果としてそれはふた月に1度くらいのペースで顔を出す。
それを、翼は「発作」と呼んでいた。
当然ながら、馬鹿にしているわけではない。
彼女が心を弱らせ、誰かを必要とする時なのだ。
その時に頼られるのが自分である事が、寧ろ嬉しい。
だから、何も言わずに彼女を隣に座らせ、自分の肩を貸す。
慰めも励ましも、それこそ優しい言葉も、何一つ無い。
ただ一緒に居て、肩越しの熱を分け合うだけ。

「ありがとう」

殆ど唇を動かさずに紡がれた声は小さかったけれど、触れ合う肌から直接届いてくる。

いいよ、別に。

声に出さない翼の言葉は、彼女に届いただろうか。
何も言わない代わりに、彼は握った手に少しだけ力を込めた。

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07.09.20