夢追いのガーネット
Episode 42

「雪耶さーん。またお客さん」

教室のドアの方からそう呼ばれ、紅は前の席の翼とつき合わせていた顔をそちらへと向ける。
そこにはクラスメイトと共に、部活の後輩が居た。
先ほどの数学の課題を解いていた彼に一声残して、紅はドアの方へと歩いてくる。

「先輩!ハッピーバレンタインです!」
「ありがとね。短い休み時間にご苦労様」

可愛らしくラッピングされたそれを受け取り、にこりと微笑む。
コロコロと表情を変える後輩は、中学生には見えないくらいに可愛らしい。
つい頭を撫でてしまえば、彼女は少しだけ照れたように笑った。

「お返しはいつがいい?今か、それとも一ヶ月後?」
「一ヶ月後がいいです!」
「了解。じゃあ、ホワイトデーにね」
「はい!楽しみにしてます!」

元気よくそう答えてから、彼女は失礼しますと教室を去っていく。
ヒラヒラと手を振ってそれを見送ると、紅は自分の席へと戻ってきた。

「何人目?」
「んー…6人…かな」

手に持っていたそれを机の右に掛けたペーパーバックの中に入れながら答える。
そんな彼女に、翼は呆れた風に溜め息を吐き出した。

「バレンタインに苦労するのって、男だけだと思ってたよ」
「意識改革が出来てよかったね。って言うか、本来は苦労する日じゃないよ」

そう言って苦笑いを返す。
確かに、本来ならばバレンタインと言うのは苦労する日ではない。
しかし、人並み以上に顔が良くて、人並み以上に何かに秀でている者にとっては、色々と苦労する日なのだ。
紅の目の前に居る、彼のように。
因みに、彼の机の脇にも紅同様にペーパーバックが掛かっている。

「なんて言っている間にも、椎名にお客さんよ」

脇から聞こえた声に、二人は椅子に座ったままその人物を見上げる。
紅の机のすぐ隣に来ていた悠希は、彼の視線が自分に向いたのと同時にクイッと親指をドアに向ける。
吊られるようにそちらに視線を移動させれば、半開きのドアの傍で顔を俯かせている女子生徒が一人。
リボンの色からして、一つ下の2年生だ。

「…面倒なものを連れて来ないでよ」
「知らないわよ。私は「椎名先輩は居ますか?」って聞かれただけだし」

呼ばれるのが嫌なら初めから逃げなさいな。
しれっとそう答えた悠希に、眉間の皺を深める彼。
チョコを渡してくるだけならば、まだいい。
それと一緒に思いを告げようと呼び出す女子の方が、翼にとっては迷惑だ。
人の思いを迷惑と言うのは良くないとわかっているけれど、それが事実なのだから仕方がない。

「行ってあげなよ、翼。先輩の教室の前で待つのって辛いよ」
「………はぁ。わかったよ」

ガタン、と椅子を動かして席を立つ。
態々紅と一緒に過ごすようにしているにも関わらず、今日で3度目の呼び出しだ。

「何?」
「あ、あの…!お昼休みに、少しだけお時間をもらえませんか…っ」
「…昼休みはサッカー部の連中と約束があるから無理」
「え…あ、じゃあ、放課後でも…!」
「放課後も部活だし、無理だね」

迷いなく答える翼に、女子生徒は顔を赤くして戸惑う。
今は三時間目の後の休憩時間なのだから、それを逃せば授業をサボる以外に時間はない。
二の句を注ぎかねる彼女に、翼ははぁ、と溜め息を吐く。

「内容って告白?」
「えぇ!?」
「…違うの?」
「いえ、あの…違いませんけど、でも…!」
「告白なら時間を取るだけ無駄だよ。俺、紅と付き合ってるし。別れてあんたと付き合うつもりもないし」

悪いけど、と形ばかりの謝罪を口に載せる。
すぐさま目元を赤くして俯いてから、彼女は勢いよく頭を下げた。

「すみませんでした、失礼しますっ」

そう言って、返事を聞く前にそこから走り去っていく。
それを見送らずに、彼は自分の席へと戻ってきた。

「相変わらず容赦ないわねー」

そう言ったのは、紅ではなく悠希だ。
そんな彼女を睨みつけるように見てから、やや乱暴に椅子に座る。

「容赦も何も、事実を言っただけだよ。下手に期待させないだけマシだろ」
「そりゃそうだけど…。紅としては、その辺どうなの?」

急に話題を振られた紅は、問題を解いていた手を一旦休める。
それから、んー、と悩むように腕を組んだ。

「翼の言う事も、一理ある。あんまり優しく断ると、諦められない人も居るみたいだから」
「経験者は語るって奴ですか」
「まぁね」

紅はそう言いながら苦笑にも似たそれを浮かべている。
彼女自身は、振られる女子を見て楽しむような醜い性格は持ち合わせていない。
どちらかと言えば僅かながらも心を痛める方なのだから、これを3度も見るのは相当応えているのだろう。

「しかし…流石に、告白は後輩ばっかりね。皆、紅の事知らないのかしら」
「さぁ?大々的に公開しているわけじゃないし」
「………あんた、それで公開していないつもりだったの?」

呆れた、と肩を竦める。
紅と翼が付き合っていることなど、すでに周知の事実と言っても過言ではない。
サッカー部員を初めとする多くの運動部がそれを広めた事がきっかけだ。

「って言うか、嫌じゃないの?目の前で告白される彼氏を見るのは」
「…慣れてるし。どちらかと言えば、可哀想かな…。報われないって辛いから」

そう答えて眉尻を下げたところで、スコンと勢いよく額に消しゴムが飛んでくる。
思わずそこを押さえて飛んできた方向を見れば、翼がやや表情険しくこちらを見ていた。

「報われる方がいいの?」
「それは…困るけど」
「なら、仕方ないじゃん。紅が代わりに断る?」
「いや、そこまで干渉するのは嫌よ」
「大体、何でバレンタインに紅まで呼び出されるわけ?男がこんな行事に便乗するなんて…呆れるのを通り越すよ」

彼の言葉の中に、その不機嫌さの原因が垣間見えた。
紅はあまり気にしていない様子だが、傍で聞いていた悠希は如実にそれを感じる。
バレンタインと言う事もあり、翼が呼び出されるのはわかる。
しかし、まるでその行事に便乗したかのように、紅もまた、数回男子生徒からの呼び出しを受けているのだ。
日本と言う国の中では、少なくともバレンタインデーは男子からのプレゼントが一般的ではない。
恐らくきっかけは何でも良かったのだろう。

「それにしても…今回はよく寝込まなかったね」

ふと、悠希が思い出したようにそんな事を言った。
そんな彼女の言葉に、今しがた数学のノートに解答を記した手を止める紅。

「…いつまでも寝込んだりしないし」
「似たような状況ではあったよね」
「………放っておいて」

翼に笑顔でそう言われ、紅はふと視線をずらす。
そんな反応が面白かったのか、声を抑えるようにして笑う翼。
そして、彼の反応に口を尖らせる紅。
そんな二人を見ていた悠希だが、溜め息一つと共に自分の席へと戻っていく。

「機嫌がいいんだか、悪いんだか…」

恐らくは、そのどちらもが該当するのだろうけれど。
翼ほどあからさまではないにせよ、紅とて相当気にしている様子だ。
それなりに得意なはずの数学の課題が休憩時間内に終わっていないのが、その最たる証拠。
休み時間のたびに自分の彼氏が呼び出されれば、それも無理はないだろうけれど。
まったく気にせずに居られるほどに大人ではないし、二人の関係だってドライではない。
翼にいたっては、不機嫌を隠そうともしない。
そうする事である程度の牽制を行っているのだろうけれど。

「不憫な二人…」

どちらも飛葉中では有名すぎるが故の不幸。
先日まで韓国に行っていて留守していたというのもいくらか手伝っているだろう。
校内に鳴り響くチャイムを聞きながら、悠希は溜め息と共に肩を竦めた。

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07.08.03