夢追いのガーネット
Episode 41

ぼんやりと窓の外を流れる風景に目を向けていた。
時折、路上環境により揺れるバスのそれに合わせて身体が揺れる。
それすらも気にならない様子で、紅は冷たい窓にコツンと額をつけた。

『君さえ良ければ―――』

例の言葉が頭から消えない。
いや、まるで消してはならないと、頭がわざとそればかりを流しているように思える。
忘れるな、忘れるな。
頭にそう訴えられているような錯覚すら覚えて、振り払うように瞼を落とす。
そこで、膝の上に置いていた手が温もりに包まれるのを感じた。
驚くよりも先に目を開いてその原因を辿れば、彼女の顔を覗きこんでいる翼と視線が絡む。

「翼?」
「具合でも悪いの?いつもの元気がないみたいだけど…」

どうかした?と問いかける前に、逆にそう問いかけられてしまった。
紅はきょとんと目を見開いてから、見られていたのだと気付く。
そして今更に、彼が自分の隣に座っていたことを思い出したのだった。
案じるようなその視線に笑みを返しゆっくりと首を振る。

「何でもない…事はないけど………」
「言えない?」

続きを躊躇った紅の代わりに、翼がそう続ける。
彼女は彼の言葉に頷いた。
何でもない筈がない事くらいは、幼馴染である彼の事だからわかっているに決まっている。
だからこそ、誤魔化すのではなく…言えないのだと伝えたかった。
その意思を正しく汲み取ってくれた彼に心中で感謝の言葉を述べる。

「言えないことなら無理には聞かないけど…煮詰まる前に誰かに相談しなよね」

そう言って、紅の手を握っているのとは逆のそれで彼女の額をピンと弾く。
利き腕ではなかったから少し弱かったけれど、元々痛みを与える為の行動ではないから問題はない。
紅は力なく笑ってから、ギュッと彼の手を握り返して頷く。

「言えるようになったら言うからね」
「はいはい。ちゃんと待っててあげるから、考えすぎて突っ走るなよ」

やや突き放した物言いだったけれど、ふいと視線を逸らすその耳が少し赤かった。
あぁ、照れているんだなと思うと、そんな彼の口調だって気にならなくなる。
クスクスと口元で笑ってから、紅は翼の肩に頭を乗せた。
その姿勢になると、昨日は殆ど眠れなかった所為か、自然と瞼が下りてくる。
掌から伝わる彼の体温がどうしようもなく安心感を誘って、意識も瞼と共に落ちていた。

「暁斗は何か知ってるんだろ?」

紅が完全に眠りについたことを確認すると、最低限まで声を潜めてそう問いかける翼。
通路を挟んで向こう側に座っていた暁斗は、彼の問いかけに苦笑を浮かべた。

「まぁ、断片的には…な」
「こんなになるまで放っておいていいわけ?」

そう言った翼は、暁斗から視線を外して紅を見る。
目を閉じて寝息を零す彼女の目元には薄く隈が入っていた。
悩み事などで眠れなかった時に現れてくるそれに、翼の眉間には皺が刻まれる。

「俺の知っている事で構わないなら話すか?」
「聞かないよ。紅から直接聞くからね」

迷う暇すらなくきっぱりとそう答える翼に、暁斗は笑みを深めて頷いた。
それから、翼の向こうに居る紅を見て、口を開く。

「…お前が居てくれて助かるよ、翼」
「何を藪から棒に…」
「悩んでても無茶はしないだろ?ストッパーになってくれる奴が居るからな」

だから安心して預けられる。
そう言った暁斗に、翼は呆れた風に肩を竦めた。
動かしたのは彼女に貸していない方の肩だけだったが。

「悩ませてやってくれよ。紅の将来にも関わってくる事なんだ」
「将来って…また、大きな悩みだね」
「まぁ、今すぐに悩まなきゃならん事でもないんだがな…」
「…紅は変な所でせっかちだからね」

分かっている、と言う風に溜め息を吐き出した翼に、暁斗はその通りだと頷いた。
二人の心配など露知らず、紅は身動ぎ一つせずに熟睡している。
初めこそ賑やかだった選抜メンバーを運ぶバスは、発車から一時間後にはシンと静まり返っていた。












空港へと到着した紅は、着いたよと言う翼の声に起こされた。
飛行機が苦手な彼女を思えば、このまま寝かせておいてやった方が親切だったのかもしれない。
けれど、抱いて運ぶわけにも行かないのだから仕方がないだろう。
これからの事を思って肩に重い空気を背負う紅に苦笑しながらも、翼は動かない彼女の手を引いた。

「紅!」

不意に、名前を呼ばれた紅は、睨みつけるように見つめていたガラスの向こうの飛行機から視線を逸らす。
キョロキョロと周囲を見回せば、その声の主が見つかった。

「あれ?何でここに…」
「当然、君達を見送りに来たんだよ」

そう言って屈託なく微笑んだのは、昨日の試合で共にフィールドを駆けたソウル選抜の選手、潤慶だ。
まさか彼とここで会うとは思って居なかったのか、紅は驚いたようにそう問いかけた。
当然のことのように返してくるその答えに、クスリと笑ってから「ありがとう」と紡ぐ。

「郭なら向こうに居るよ」
「そうみたいだね。少し話してくるよ」

そう言ってひらひらと手を振って郭の方へと歩いてくる彼を見送る。
それから、隣に立つ翼を見た。

「眉間に皺ー」
「誰の所為だと…」
「妬かなくても大丈夫ですよ、翼さん?」
「そう言う問題じゃないよ。第一、あいつまた名前で…」

ぐりぐりと眉間を指先で押していると、鬱陶しそうにその手を払いのけられる。
未だに潤慶の背中を睨むようにしている翼に、紅は思わず苦笑いを浮かべた。
名前くらい別に構わないのだが、彼にとってはそうではないらしい。
確かに、会ったばかりの女の子が翼を名前で呼び捨てれば良い気分はしない。
だからこそ、それに関しては何も言わなかった。
尤も、紅が気にする以前に、翼からのマシンガントークがその女の子に向けられるのは必然だが。



適当に空いている長椅子を見つけてそこに腰を下ろしていれば、自然にいつものメンバーが集まってくる。
そうして空き時間を過ごした彼らの耳に、日本行きの飛行機の搭乗手続き開始のアナウンスが流れた。
一気に嫌そうな表情を浮かべた紅に、柾輝や六助が苦く笑う。
嫌でも手続きをして乗らなければ日本には帰れない。
永久に韓国に滞在するわけには行かないのだから、仕方がないと諦めてもらう他はないのだ。
鉛を引きずっているかのように重い足取りの紅。
やや呆れた風にしながらもその手を引いていく翼。

「紅」

不意に、翼が握る方とは逆の手を取られ、何かを手渡される。
振り向いた時にはすでにそれを渡していた手は離れていて、そこに笑みを浮かべた潤慶が居た。

「アレを選んでくれたお礼。韓国に来ることがあったら、いつでも連絡してきなよ。案内してあげるよ」
「え、あ…ありがとう」

半ば強引に渡されたそれだが、すでに選抜メンバーは移動を始めていて返している余裕はない。
ここは彼の厚意として素直に受け取るべきだろう、と思い、それを鞄の中に入れた。
ひらひらと手を振る彼に同じく手を振り替えして、紅は前を行く翼に続く。

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07.05.21