夢追いのガーネット
Episode 40
試合の途中から雪が降り出す。
フィールド内を走り回っている選手とは違い、寒さが身に染みる。
そう考えた所で、紅はそれを振り払うかのように二・三度頭を揺らした。
走り回っている彼らだって、寒くない筈はない。
それでも、この寒さに筋肉の動きを奪われながら頑張っているのだ。
自分がこんな事ではいけない、そうは思うけれど、やはり寒いものは寒かった。
「…ん?」
不意に、視界を白い何かが泳ぐ。
それは上から下へと、まるで重力に従うかのように、ふわりふわりと。
その出所を追うように空を仰いだ彼女は、わ…と静かに声を上げた。
「雪…」
この天候は後半戦を大きく左右するだろう。
そう思いながら、紅は再び試合の方へと視線を戻した。
「い゛っ!!」
「我慢して。寒さの所為で筋肉の動きが悪いから、しっかり解しておかないと」
「や、それは分かってんだけど…痛いもんは…痛ってぇー!!」
ぐりっと指で押したところで、再び声を上げたのは鳴海だ。
紅はベンチに座る彼の前に膝を着き、その脹脛を指でマッサージしている。
今休ませた事で、後半が始まるまでに今までの流れを途絶えさせてしまうかもしれない。
ある程度筋肉を解した所で、紅はすぐに次の選手の元へと移動する。
ハーフタイムはマネージャーにとって最も忙しい時間となるのだ。
「雪耶、テーピングは?」
「救急箱の中に入ってない?」
「…救急箱は?」
「青いバッグの傍に置いてある!
あ、ドリンクボトルは籠に戻さなくてもいいよ、私がしておく。それよりも身体を解す事に集中して!」
忙しく右へ左へと動き回る紅を横目に、玲は後半戦のオーダーを伝える。
前半の終わりにかなりいいムードになった所で終了のホイッスル。
それが後半に繋げられればいいのだが…と思っていた紅だが、それは杞憂だったと悟る。
彼らの士気は下がるどころか、更に高まっていた。
「他にテーピングが必要な人は!?」
声に答える者がいないと分かると、紅はすぐにそれを救急箱の中に戻して次の作業に移った。
慌しく動き回る中でも、耳は玲の作戦を聞き取る事に使われている。
慣れている者でなければ…いや、慣れていたとしても難しいだろう。
壁に凭れてその様子を見ていた暁斗は、そんな紅を見ながら静かに口角を持ち上げる。
「我が妹ながらいいマネージャーだよなぁ」
ポツリと呟いた声は、玲に応えるように発せられた彼らの声により掻き消された。
後半戦も白熱してきた頃、都選抜はカウンターの危機に晒される。
無論、DF陣がすぐに反応するが、体格の良い韓国選抜の選手により行く手を阻まれる。
辛うじて翼がボールを弾くも、それはよりゴールに近い位置に飛んだ。
GKと相手のFWとの一騎打ち。
結果は―――
「小堤!!」
駆け寄っていく選手らの前に、紅はすでに彼の元に着いていた。
それよりも先に駆け寄っていたマルコはフィールドに倒れこむ小堤の肩を診る。
その傍らで、紅はすぐにでも処置が出来るように準備を整えていた。
アイシングの準備をマルコに手渡しながら、案じるように彼を見下ろす。
肩に近い位置などに手を触れながら顔を険しくするマルコの様子に、彼女も自然と表情を歪めた。
恐らく、このまま試合を続行するのは難しいだろう。
幸か不幸か、この韓国との親善試合が決まってから古傷を傷めた渋沢は回復していた。
オーダーの変更を予想して顔を上げた紅だが、それに合わせるようにして口を開いた小堤の言葉に驚かされる。
「待ってください!…やれます。大丈夫です!」
僅かに青褪めた顔で、肩眉を苦痛に歪めつつ、必死にそう訴える。
初めこそ信じられないものを見るようだった紅の表情は、彼の様子に徐々に変わっていく。
話が纏まらないうちに、脇に用意していたテーピングなどを腕に抱えた。
「マルコさん。必要…ですか?」
そんな声と共に差し出されたそれらを、彼は無言のままに受け取った。
試合の結果は引き分け。
あれから二点を稼ぐも、ロスタイムの3分間の間にゴールを奪われる。
小堤が万全の状態であれば止められたかもしれないが、怪我を負ったままの彼には無理だった。
ゴールネットを揺らすのに続き、試合終了のホイッスルが高らかに鳴り響く。
紅は崩れ落ちるようにゴール際に座り込んだ彼の元に駆けて行くマルコに続いた。
あの後、彼は紅から受け取った用意をそのままボックスの中に戻す。
あの場で応急処置を始めれば、メンバーを交代させない事に対しての意見が出ただろう。
受け取るか、否か。
恐らくは後者だと踏んでいた紅だが、その予想はやはり正しかったのだ。
そして、試合が終わった今は、もうそんな事を心配する必要もない。
すぐに患部の固定を始める彼の手伝いをしながら、紅は自分の事のように眉を寄せた。
『すぐに医者に診せた方が良さそうだ』
「医者の手配なら、兄…いえ、暁斗さんが済ませてくれています」
『ありがとう。助かるよ』
紅の返事にそう答えると、彼は小堤を抱え上げてフィールドを出て行く。
途中に、彼と、それから選手への言葉を発しながら。
「―――ん、わかった。じゃあ、ホテルで待ってるから…はい」
ピ、と電源ボタンを押して通話を切断する。
電話相手はマルコと共に小堤に付き添っていった暁斗だ。
邪魔にならないようにと部屋を離れていた紅は、ふぅと小さく息を吐き出す。
やはり、かなり酷く患部を傷めてしまったようだ。
暫くは腕を吊らなければならない、と言っていた暁斗の言葉を思い出すと、気分が落ち込んでしまう。
まだ都選抜は始まったばかりだと言うのに…。
「スポーツに怪我は付き物だとは言え…辛いよね…」
誰も居ない廊下に、紅の呟きが響く。
今はそれほどではないにせよ、自分も一時はスポーツに打ち込んだ身。
怪我の怖さもある程度はわかっているつもりだ。
それだけに、漸く夢への一歩を踏み出したところでこんな事になってしまった彼を思うと、どうにも遣る瀬無い。
自分が落ち込んでも仕方がないとは思うけれど、こうして走り出した感情は止められそうになかった。
『紅…?』
不意に、独特の発音で自分の名が呼ばれる。
紅は迷う事無く振り向き、その声の主を視界に捉えた。
「アトレチコの…」
『あの選手は大丈夫かい?暁斗が付き添ったんだろう?』
『…暫くはサッカーから離れる事になるようです。あとは…本人次第でしょうね』
試合前に顔を合わせた彼に、紅はその程度の説明をする。
やはり選手を心配する人に何も伝え無いと言うわけには行かない。
しかし、本人の許可なく言いふらす事でもなく…恐らくは、この程度が妥当な所だろう。
『そうか…。だが、彼もまだ若い。怪我をしても、それを癒す力があるからね。身体も…心も』
『…その通りですね。所で、ミスター。私に何か用ですか?』
突然ではあったけれど、紅はそう問いかける。
何の用もなしに都選抜が使っている部屋に繋がる廊下を歩いているとは思えない。
その問いかけに、彼はその笑みを深くした。
『よく分かっているね。君を探していたんだ』
『何でしょう?』
そう言って首を傾げつつ聞く姿勢を見せた彼女。
そんな彼女に、彼は笑みを消さずに続けた。
『君さえ良ければ―――』