夢追いのガーネット
Episode 34

「紅~!」

階下から名前を呼ばれ、紅は1階に向かって大きく「何ー?」と答える。
階段上にある窓ガラスを拭く手を休め、階段の上から顔を覗かせる。
その行動を読んでいたらしい暁斗が、同じく階段のところから彼女を見上げた。

「ちょっと翼を呼んでくれ。男手が欲しい」
「んー、わかった。呼んでみる」

雑巾片手に自室へと足を運び、ベランダへと踏み出す。
この寒い季節にカーテン諸共窓ガラスを開けているところを見ると、彼も掃除の途中らしい。
自室にその姿は見えないが、恐らく声を上げれば聞こえるだろう。
そう思って、紅はベランダ越しに口を開いた。

「翼ぁー!!ちょっとお願い!」

ご近所さんに迷惑にならず、かつ彼には届く音量でそう声を掛ける。
紅は待っている時間が勿体無いとばかりに、ベランダの窓ガラスを雑巾で拭き出した。
程なくして、ちょっと待って、と言う声が小さく紅の耳に届く。
大きさからして、2階のどこかの部屋に居るらしい。
丁度ベランダの大きな窓ガラスを拭き終えたところで、彼の自室にその部屋の主が姿を見せた。
頭に手ぬぐいを巻いて手にはハタキ―――なんて事はなく、いたって普通の普段着だ。
普段と違うと言えば、その袖を肘辺りまで捲り上げていると言うことだろう。

「お待たせ。何?」
「兄さんが、男手が欲しいんだって。頼まれてくれる?」
「…うん、いいよ。5分待って、って伝えて」

自分の作業を思い浮かべていたのか、少し間をおいて彼はそう答えた。
色よい返事が聞けたことに満足げに頷く彼女に背を向けて、彼はそのまま部屋を出て行く。
紅のほうもそれを見送る事無く部屋を出て廊下を歩き、そして階段の手すりから身を乗り出した。

「兄さん!翼OKだって!5分後待ってだってさ」
「わか、った!」

リビングから聞こえる彼の声はどこか力が入っている。
大方、家具の移動に力を込めているところだったのだろう。
律儀に返事をしなくても…と思いつつも、やはり返事が返ってきたほうがいいに決まっているので何も言わない。
手に持ったままだった雑巾と共に、途中だった階段の窓拭きに戻っていった。
















「よし、翼。そっちを持ってくれ」
「…毎年の事だけど…大掃除の度に家具を大移動させるのやめれば?」
「ついでに模様替えも出来てお得だろ?そろそろこの配置も飽きてたところだったんだ。ほら、持ってくれよ」

リビングから聞こえてくるそんな会話を聞きながら、紅はシンクに向かう。
おせち料理の下準備のついでに、昼食を作っていた。

「…暁斗。これだとソファーがテレビに背中を向けることになるよ」
「………おぉ、本当だな!よし、じゃあ…これはこっちに移してみよう」
「それは今さっき運んだところでしょ!もうちょっと計画性って物を持てないの!?」
「ははは!時には自分の勘に頼る事も大事なんだぞ、翼!」
「そう言うのは勘が冴えてるって言う自信がある時にしなよ!さっきから同じものをあっちこっちに動かして…!」

彼らの会話を聞いていると、うっかり自分の指を切ってしまいそうだ。
笑いを堪えれば肩が震え、それに併せて包丁を握る手が揺れる。
手元が狂うなぁ、と思いつつ、彼女はそっと視線を上げた。
4人掛けのソファーを持ち上げつつ、やいやいと言い合う二人。
と言っても、片方が一方的に声を荒らげるだけで、相手は柳の如く笑っている。
とりあえず、その重いソファーを置いてからにすればいいのに…そう思うが、口には出さない。
沸騰した湯の中に具材を投入して蓋をすると、紅は一旦キッチンを離れた。

「翼、兄さん。とりあえず、ソファーを下に置いたらどう?」

あれから数分経っているのに、まだ同じ格好でいた二人に思わず溜め息が零れた。
第三者の乱入に我に返った二人は、漸く腕の痺れと腰の痛みに気づく。
たっぷりした重量感のあるそれを数分間中腰で持ち上げ続けていたのだ、無理はない。
呆れ顔で肩を竦める彼女に、返せるのは苦笑だけだった。

「兄さん。その辺にある要らない広告の裏にでも図面を書き出してからにすれば、移動は一度で済むでしょ」

その方が効率がいいよ、と言う妹の言葉に、彼は漸く頷いた。
あれほど自分が言っても首を縦には振らなかったのに…と思うが、そこは彼が彼ゆえの行動。
妹が大事で可愛くて仕方の無い彼なのだから、そんな事を思うだけ無駄だ。
この後は無駄な動きがマシになるだけでも、良しとしておこう。

「それから、翼。もうお昼だけど…どうする?食べていく?」
「もうそんな時間?」

思ったよりも時間が過ぎているらしい。
リビングの時計を求め、いつもの壁を見上げるが―――そこに目当てのものは無い。
キョロキョロと別の壁に視線を向ければ、二回ほど首を振ったところで漸くそれを発見した。
暁斗の飽きが、こんなところにまで影響していたらしい。

「あ、でもこの時間だと、おばさんが用意してるかな」
「それはないよ。さっき出てくる時に買い物に出かけたから。適当に食べるように言われてるし」
「なら、食べていって?兄さんの無理に付き合ってくれてるお礼」
「そんなに無理は言ってないだろ?」
「「言ってる(ます)」」

語尾は違えど、二人の言葉が綺麗に重なる。
二人は顔を見合わせ、そして笑った。













昼食の後、リビングの模様替えを手伝った翼はそのまま家へと帰っていった。
日が暮れた頃には両者の家は共に掃除を終えていたらしく、ベランダ越しの逢瀬を楽しんでいる。

「あいつらと約束してあるけど…紅はどうする?」
「あー…どうしようかな。行きたいのは山々だけど、寒いし…」
「…変な所で出不精を発揮するよね、紅って」

吐き出した息が白く曇る。
こんな寒い中、自分との時間を持つことは拒まないのに、大晦日に出かけるのは嫌らしい。
そこが彼女らしくもあり、そして翼にとっては嬉しい事でもあった。
何があっても自分だけは拒まれないのだという自信が、寒さに震える身体を芯から暖めてくれる気がする。

「兄さんと一緒に居たいしね」
「ま、紅ならそう言うと思ってたよ」
「やっぱり?」

そんな感じがした、と笑う。
彼女の答えに彼は肩を竦めた。

「それに、何より兄さんのOKが出ないと思うよ。人出は多いって言っても、やっぱり夜だし」

女の子がそんな時間に出歩くものじゃない、と反対されるだろう。
飛葉中のメンバーが一緒なのだから、誰と行くよりも安全だと言うことは彼もよくわかっているのだ。
それでも、両親から紅を預かっている身としては許可出来ない。
今までどれほどお願いしても駄目なのだから、今年突然許可が下りるということはまずありえないだろう。

「最大の壁だね」
「そう?最高の守りだと思うよ」

安心だもん。と笑う彼女に、翼は反応に困った。
どうあっても紅にとって兄は絶対で、彼に守られることを決して嫌がったりはしない。
彼女が常に安全なのだから、翼にとっても良い事の筈だが…同時に、壁でもあるなと改めて思う。
将来的に越えられるのかという点が不安だ。

「今年もあと2日かぁ…。時間が経つのは早いね」
「そうだね。初夏からこっちは特に」
「それは同感。選抜の練習が入るようになって、より一層時間が逃げていくみたいに去っていくよね」

忙しい時、楽しい時ほど、時間は短く感じるものだ。
それを痛感した半年だった、と思う。
それでも、得たものがあるなら…それも悪くは無い。

「年明けには韓国行きが待ってるし…」
「頑張れ」
「…ん」

思い出したのか、顔を強張らせた彼女に苦笑し、翼はその頭を撫でる。
現金だとは思うけれど、彼の手は魔法のようにその恐怖を和らげてくれた。

「翼の手って好きだなー…」

頭に乗せられていたそれを自身の手にとって、呟く。

「…よく言うね、そう言う恥ずかしい事」

呆れたような、それで居て照れたような声。
そんな彼に向けて、紅は微笑んだ。

「手だけじゃなくて、全部好きだからね」
「…知ってる」
「――――――…」

じーっと見つめてくる視線に、彼はふいと視線を逸らした。
いつもはあんなにも自信に満ちているのに、何故こう言う時だけ照れてしまうんだろう。
そう思うけれど、それも彼だと思えば心が温かくなる反応だ。

「そんなに期待に満ちた目で見ないでくれる?」
「翼は言ってくれないのかなーと思いまして」
「…言う必要、ある?」
「ある」

はっきりと言い切る彼女に、翼はこれ見よがしな大きな溜め息を吐き出す。
そして、彼の唇が動いた。
ようやく届く程度の音で紡がれた言葉を知るのは、彼女だけである。

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06.12.30