夢追いのガーネット
Episode 32

暁斗が一週間の海外出張に向かってから、すでに4日ほど経っている。
彼の不在は家の中が紅一人になると言う事もあり、基本的には翼の家に世話になる―――それが、決まりだった。
無論、年が明ければ卒業とは言えまだ中学生なのだから、それは今でも変わらない。
玲の部屋で起床し、登校準備を済ませれば一旦家に戻って確認。
その後翼と共に登校し、帰宅してからは自分の家に戻る。
そうして着替えと翌日の用意を持って再び翼の家の敷居を跨ぐ…こんな感じで4日間を過ごしていた。
幼い頃から何度も世話になっているために、ほぼ紅専用となっている客室もあることにはある。
しかし、玲の願いに紅が頷くと言うこともあり、この部屋はあまり使われる事はなかった。

「翼、今度韓国と親善試合があるでしょ?」

選抜練習を翌日に控えた夜。
玲が出かけていると言う事もあり、紅は今回の出張で初めて客室を使っていた。
すでに風呂に入り、後は寝るだけの二人は、数十分前から他愛ない雑談に花を咲かせている。
と言っても、テレビでは素晴らしいタイミングで放送されていたサッカーの試合中継が流れていて、会話は時々途切れる。

「うん。それがどうかした?」
「皆に発表した時、私練習を休ませてもらってたでしょう?何か変更とかあった?」
「…特になかったよ。玲から聞いてるんだから、間違いないだろ?」
「そうなんだけど…玲姉さん、何か隠してる気がするのよね…」

アザラシの形をした白いクッションを腕に抱きしめながら、紅がそう言葉を落とした。
疎外感を感じるようなものではなく、何か…そう、自分にとって、不利益なものを隠されているような…そんな感じだ。
丁度流れたCMから顔を逸らし、翼がベッドに座っている紅を見上げる。

「隠す意味がないと思うけど?」
「そう…よね」

気のせいかなぁと呟きながら、ベッドに横向きに倒れた。
CMが終わり、狭い箱の中を選手達が重力に逆らって動いていく様は何とも面白い。

「試合ってどこでするんだっけ?国内?」
「どこでって―――…あぁ、そう言う事か」

紅の質問に、翼は今更何を言っているんだと驚いたように目を見開く。
だが、彼の頭の中でパズルのピースがカチリとはまった。
はとこの考えが、漸く見えてきた瞬間だ。

「翼?」

黙り込んだ彼に、紅は身体を転がしてうつ伏せになる。
そして、正規の向きで視界に映った彼を見つめ、首を傾げた。

「…ま、その内分かるから…楽しみにしてなよ」

ポンポンと頭を撫でると、彼は再びサッカー中継に意識を向けてしまう。
誤魔化されたというのをありありと感じたが、こうなってしまえば彼は口を割らないだろう。
溜め息を吐くと、自分も試合に集中する事にした。

「大方、紅が嫌がるのが見たいんだろうけど…玲も人が悪いよね」

呟かれた声は、ゴールネットが揺れた事によるテレビからの歓声に掻き消された。
彼女が真実を知るのは、そう遠くはなく…恐らく、明日辺りだろう。
はとこの思惑通りに動いてやるのは癪のようにも感じる。
だが、紅の嫌そうと言うか、困ると言うか…そんな表情を見たくないわけではないので、ここは口を閉ざしておこう。
















翌日の練習は滞りなく進んだ。
午前の練習が終わり、玲の号令により昼食タイムが始まる。
昼食の間に軽い打ち合わせも済ませることもあり、紅は玲と取る事が多かった。
だが、今日に限り打ち合わせはないと言われているので、いつものメンバーと食事を共にしている。
穏やかなひと時―――であったはずの時間は、柾輝の一言により崩れる事になる。

「――――は?」

思わず、そんな声が零れた。
紅の隣では翼が軽く肩を竦めているのだが、生憎彼女はそれに気付けるほど余裕はないらしい。
穴が開きそうなほどに柾輝を見る彼女に、その視線を向けられる彼の方がたじろいだ。

「…何か、まずい事言ったか?」

助けを求めるように、六助のほうを向く。
しかし、彼も紅がこんな反応をする理由がわからないようだ。
さぁ?とばかりに首を傾げる彼に、柾輝は最後の手段と翼の方を向いた。
紅の事ならば、彼に聞けば大抵の事は解決する。
だが、柾輝はその表情を見た途端にその希望が崩れさるのを感じた。
笑っている、それも、楽しそうに。

「ごめん、柾輝。聞き間違いであれば凄く…凄く、この上なく嬉しいけれど…。もう一度、言ってくれる?」

何やら必死な様子の彼女に、彼は心中で首を傾げる。
そうしながらも、望まれた言葉を再度口にした。

「だから…翼も雪耶も、パスポート持ってるんだよな?だから改めて取りにいく必要ないよな…って…」

その質問の、どこに問題があると言うのだ。
だが、やはりその言葉が引き金らしい。
目に見えてピシリと固まる彼女。
やがて、彼女は油切れの機械のような動きで翼の方を向いた。

「…知ってたのね…?」
「当然だろ?」

にっこりと笑って返され、紅は目に見えて反応した。

「い…」
「“い”?」

柾輝と六助の視線が彼女の唇の動きを追う。
鸚鵡返しのように紡いでしまったのは、異様なほどに力の篭った“い”だったからだ。

「嫌ー!絶対に嫌!!」

ぶんぶんと首を振ってそう叫んだ紅。
グラウンドの好きな場所を使って食事しているとは言え、隅々まで散っているわけではない。
当然、そう遠くない位置に居た選抜メンバーの耳にもその叫びは届いた。

絹を裂く女の悲鳴。

そう形容するには少し可愛らしい声だったが、何事だと視線を集めるには十分だ。

「と、とりあえず落ち着けよ」
「六助ぇ…」

頭を抱えるように蹲りそうだった紅は、六助の声にゆっくりと上体を起こした。
そして、弾かれたように救いの声を向けてくれた彼に向かって飛びつく。

「はい、ストップ」

が、それよりも先に翼が彼女の首根っこを掴んで引き止めた。
反応を見たいとは思ったが、他の男に抱きつかれるのはごめんだ。

「翼!離してよー!」
「掴まるならこっちにしてなよ」

そう言って彼女の手に自分の腕を掴ませてしまう。
それを振り切って行くことも出来るが、紅の頭は損得勘定が出来るほど落ち着いていなかった。
とりあえず、自分が一番安心できるものを与えられ―――迷う事無く、それに縋る。
零れ落ちるほどではないにせよ、彼女の目には薄っすらと涙が滲んでいた。
いつものハキハキと動く彼女からは想像できない。
一風変わった彼女の様子に、メンバーが遠巻きながらも様子を窺ってくる。

「な、何事…?」
「雪耶、どうしたんだよ。こいつらに何かされたのか?」
「飴やろうか?」

扱いが微妙に子供っぽくなってきているのは、今といつものギャップの激しさに順応できていないからだろう。
会話を聞いていなかった他のメンバーには、何が起こっているのかわからない。
だが、一つだけ言えることがあった。

「(普段とは違って可愛い…)」

委員長肌の普段は、どちらかと言えば綺麗系だ。
そして今は…何かに怯えるように首を振り、薄く涙を見せている。
正直、可愛い。

「椎名、何があったんだよ」
「…飛行機だよ」
「飛行機?」
「そ。こいつ、飛行機大の苦手」

腕に紅を引っ付けたまま、翼は楽しげにそう答えた。
誰かにいじめられただとか―――何かしら、そんな大事かと思ったのだが…聞いてみれば、飛行機が理由らしい。

翼が黙っていた事もあり、こんな場所でこんな事になっている。
にも拘らず、その原因に張り付くというのはどうなんだろう…と考える余裕は、今の紅にはなかった。
それを理解して、翼は予想通りの展開に楽しげに笑みを浮かべている。

一人は半泣きの状態、一人は満面の笑み、他は戸惑いやら呆気に取られるやら。
何とも奇妙な光景が、グラウンドに出来上がっていた。

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06.12.08