夢追いのガーネット
Episode 28
3年である紅は、来年の春には飛葉中を卒業する。
同学年である翼も然り。
サッカー部は新たなキャプテンも決まり、翼はその引継ぎに追われていた。
それはマネージャーである彼女にも言えること。
掲示板にマネージャー募集の広告を張り出せば、放課後には大量の申し込みが紅の手元にあった。
だが、その中から本当に続きそうな子だけを選別するのは難しい。
役に立たないマネージャーに引継ぎをするのは時間の無駄だ。
そう考えた紅は、面接と言う形で一人ずつと顔を合わせて話を聞く時間を設けた。
「翼、この子はどう思う?」
「…ある程度のやる気は見えるけど、週1の参加じゃ無理」
「んー…やっぱりそうか…」
元キャプテンである翼の意見も聞きつつ、面接でチェックした子の最終調整を進める。
そんな風に数週間を過ごし、最終的に残ったのは僅か5人だ。
この中から一人でも3年生まで続けてくれる子がいてくればいいのだが…。
そう考えながら、教えなければならない事を箇条書きにしてノートに書き出す。
サッカー部は去年出来たばかり。
翼をキャプテンとした今のサッカー部は、前にあったサッカー部とは全く違う練習を取り入れていた。
それ故に、他の部活のような過去の履歴が無い為に一から教えなければならない。
引継ぎはどの部活よりも忙しく、そして面倒なものばかりだった。
紅も翼も、意見交換のために、距離は声の届く範囲である事が好ましい。
自然とどちらかの部屋で作業を進めることが多く、それが今日は紅の部屋だった。
パソコンを使っている紅は、自分の机に向かって、翼は彼女の背後に出したテーブルに向かっている。
ふとペンを止めた彼が、彼女の方を振り向いた。
「紅。来年度って部費が増額されるんだっけ?」
「されるよ。微々たる額だけど」
カタカタとキーボードの上を滑らせていた指を止め、翼の質問に答える。
先程の箇条書きの内容が、簡略な説明と共に打ち込まれている画面を覗きながら彼は続けた。
「…誤字発見」
「どこ?」
「上から…9行目。後者内ランニングって所」
「あ、本当」
すぐにマウスポインタを運んでその箇所を修正する。
そうしている間にも、翼は上から下まで目を通した。
気になる部分はすぐに解決しておく。
口裏を合わせたわけではないが、いつの間にか出来ていた二人の間の決まりごとだ。
これは、後々の面倒が少なくてすむので今後も続いていくだろう。
「引継ぎが終わったらさー…」
手を休めないまま、紅は背後の翼にそう声を掛ける。
彼もまた、視線を手元に落としたまま「何?」と答えた。
「選抜練習に専念できるね」
「うん。貧血で倒れて事を大きくした誰かさんの負担もちょっとはマシになると思うよ」
「…意地悪な言い方だな、もう」
むっと口を尖らせながらも、その端は僅かに持ち上がっている。
笑い出してしまいそうなのを堪えているといった表情だ。
彼の言葉が嫌味だとは思わない。
その端に見え隠れする、自分を心配してくれている感情に、紅が気付かないはずは無いのだ。
「柾輝たちは大変ね」
「あいつらは選抜を優先すると思うよ。どっちかって言うと、そっちの方が好きだろうし、それに」
「…翼が居るし?」
クスクスと笑いながら翼の言葉を遮る。
彼女の言葉に掻き消された続きが、彼の口から紡がれる事はなかった。
声を失った唇が所在無く閉じられるのを想像し、紅の指が不自然にキーから滑り落ちる。
その文章を最後まで打ち込んでしまうと、キィと椅子の悲鳴を聞きながら彼を振り向く。
丁度、床に置いたテーブルを挟んで彼と向かい合うように。
彼女が振り向いた事により、翼もまた視線を合わせるように顔を持ち上げた。
そんな彼に向けて、紅は柔らかく微笑む。
「ま、翼と組むのが一番やり易いって言うのは間違いないと思うよ。だって…生き生きしてるもん」
「…ふぅん」
「照れてる?」
自分の友情が一方通行では無いと言うのは嬉しいものだ。
ましてや、自分や相手ではない人間にそれを認められるのは尚のこと。
ふいっと視線を逸らした翼に、紅は悪戯めいた笑みを浮かべて問いかけた。
それに返事が返る事は無く、代わりに彼の持っていたシャーペンの芯がポキッと折れる。
カタカタ、カリカリ。
キーを打ち込む音と、シャーペンがノートの上を滑る音。
二つの音だけが室内に響く。
「そう言えば…風祭は随分詰まってるみたいね」
カタカタ、カリカリ。
「何?急に将の話?」
カタカタ、カリカリ。
「杉原や水野もメールで随分心配してたわ。気晴らしにフットサルでも誘ってあげれば?」
カタカタ、カリ…。
後者がピタッと止む。
特に気にしていたわけではないのに、止まってしまうと何故か違和感があるのだから音と言うのは不思議なものだ。
紅は首を傾げて彼を振り向いた。
「杉原に水野?しかもメールって何?」
「あれ?言ってなかったっけ?選抜が始まってすぐに、全員とアドレス交換してあるのよ」
「聞いてないよ」
「話したと思ってたわ。ごめんね」
事後報告になったね、と苦笑する。
基本的に前もって話してくれる事が多い所為か、事後報告と言うのは慣れない。
自分の知らない所で紅の携帯の電話帳に男が増えていると思うと…何だか、嫌だ。
そこまで行動を制限したくはないと思うのに、心は自然と急降下してしまう。
不機嫌が表情に出たのか、紅は少しばかり心配そうに彼を見た。
「翼…怒ってる?」
「別に」
「(怒ってる…)………あぁ、なるほど」
その理由を考えていた紅。
だが、この会話の中で彼の怒る理由を探す事などさほど難しくは無い。
納得したように頷くと、パソコンの隣においていた携帯を彼の方へと差し出した。
翼はそれを見て内心首を傾げる。
「何?」
「気になるなら、見てもいいよ」
「…プライバシーっていう言葉知ってる?付き合ってるからってそこまで束縛するつもりは無いよ」
「束縛じゃなくて、安心する為の材料だと思えばいいんじゃない?見られても困らないよ」
そう言って、携帯をさげようとしない。
暫くそれを睨むようにして見つめていた翼だが、溜め息を一つつくとそれに向かって手を伸ばす。
彼女の手の中から折りたたまれた携帯を持ち上げ、そして―――
「…翼?開けないと見えないよ?」
透視でもするの?と場違いな言葉を向ければ、彼は苦笑を浮かべる。
先程紅の手から彼の手へと渡った携帯は、一ミリも開かれる事なくそのままテーブルの上に置かれた。
それから、彼がそれに触れる素振りは見せない。
「親しき仲にも礼儀あり。それに、監視する必要はないんでしょ?」
「うん」
「なら、信じとく」
元々疑ってないけどね、といいながら、彼は携帯を指で押してテーブルの上を滑らせる。
不機嫌な表情の名残など微塵も感じさせない、いつもの強気な笑み。
それに安心したのか、紅は嬉しそうに笑ってそれを受け取った。
「玲姉さんは容赦なく見てるのに…そう言う所、律儀だよね」
「…玲、そんな事してるんだ…?」
「してるよ。時々兄さんの携帯で電話してたりするし」
「………呆れた」
「ま、あの二人はあれでいいんだよ。信じ方は人それぞれって事ね」
二人の普段でも思い出したのだろう。
ニコニコと笑う紅を見ていた翼は、ふと思い出したように鞄のポケットに手を差し込んだ。
そこから取り出した携帯をストラップだけでぶら下げ、彼女の前に出す。
「どうする?」
向けられたのは、答えなど分かりきっているかのような、自信に満ちた笑み。
もちろん、紅がその期待を裏切る事はなかった。